第70話「賢者の帰宅」
尾根を下り、バズロアへと向かう。
木々の合間から差し込む光が未舗装の道の白けた土に反射している。
「ユキオ、長い下りだ。もっと重心を後ろにしろ」
シェルダのアドバイスに従って、姿勢をただす。
大分慣れたとは言え、流石に人馬一体とまではいかないし、気になることもあるので、馬にばかり意識を向けられない。
馬に負担をかけないように、ゆっくりと進む。
前を行くのは、ノベリーとロア。
キャンプ中にロアにノベリーの年齢を聞いたことがある。その時のロアの回答は、
『前生のわしが若い頃から仕えてもらっとるからの……いくつじゃったかな。五百……いや、六百か? まぁ、若作りしとるが、普通のエルフなら、よぼよぼの爺さんじゃよ』
との事で、正確なところはさっぱりわからなかった。
ロアの言葉から、かなりの年齢だと思われるが、背筋を真っすぐに伸ばして馬を巧みに操る姿からは、全く衰えは感じられない。
それどころか、時折周囲に目を走らせる鋭い眼光、隙のない立ち居振る舞いは、現役の戦士の雰囲気を醸し出している。
例えば、俺がここで攻撃をしかけでもすれば──。
そう考えると同時に、ノベリーがこちらを見ずに口を開く。
「ユキオ殿。間もなく下り坂も終わります。退屈でしょうが、今しばらく辛抱願います」
と、絶妙なタイミングで釘を刺してくる。
勿論、本当にしかけることはないが、この洞察力は相当な実力者のそれだと思われる。
下り坂が終わり、森が切れたところで、不意にノベリーが馬を止めた。
「それでは、ロア様」
「うむ」
ノベリーが促すと、ロアが軽やかに馬から飛び降り、俺の馬の元へと歩いてくる。
「ほれ、少し下がらんか」
言われるがまま、少し腰の位置を下げるとロアが手慣れた様子で俺の前に座る。
「……どういうこと?」
当然のごとく進められる展開に呆気をとられる。
「ここから、ノベリーは別行動じゃ」
「そうなの?」
ノベリーはすました顔で頷いた。
「後ほど合流しますので」
「そういうことじゃ。ほれ行くぞ」
ロアに急かされ、ノルとシェルダも慌てて手綱を握り直す。
森を出てしばらくしたところで、ロアに尋ねる。
「監視を片付けに行ったのか?」
「ん? 気づいとったのか?」
ロアがチラリと振り返る。
「いや、確信はなかったんだけど、見られているような気配だけがなんとなくあってさ」
俺がそう言うと、ロアが鼻を鳴らした。
「腕っこきが隠行の魔法を駆使しとるからの。なんとなくでも気づいていれば上出来よ」
「ロア達は気づいてたんだな」
「そりゃあ、身内のやることじゃ。見破る術もある」
俺達の会話を聞いていたノルが馬を寄せる。
「ノベリー様はお一人で大丈夫でしょうか?」
「まぁ。大丈夫じゃろ。他にも仕事があるし、監視には時間はかけんと言うとった」
大賢者と呼ばれるロアがここまで信頼するのだから、やはりノベリーは只者ではないのだろう。
「ほれ、それよりもう少しじゃ。もそっと速度を出せ」
ロアに促されて、馬の腹へ踵で軽く合図を入れた。
遠目に見えていた街が近づき、歩を緩める。
「よし、あそこの宿じゃな。馬も預かってもらえるはずじゃ」
街の入口にほど近い宿をロアが指さした。
言われるがまま、馬を留めて宿に入る。
「すぐ行くんだろ?」
宿帳に記入して、支払いを進めながら後ろに控えるロアに尋ねる。
「うむ。せっかくのバズロアを案内してやりたいところじゃが、早い方がよかろう」
顎髭を弄る真似をしながらロアが言うのを、宿のおかみがクスクスと笑いながら見ている。
視線に気付いたロアがバツが悪そうに、──ほれ、もう行くぞ、と皆を急かし、宿を出る。
「この通りを真っすぐ行けば、図書館じゃ」
指さした先には、先ほど遠目に見た図書館の大小の塔が重なり合うように立ち並んでいる。
通り沿いには統一感のない家屋が立ち並び、本を売っていると思しき店が並んでいる。
「本を売るお店は、片方に寄っているんですね」
街並を眺めていたノルが呟いた。
「ふむ──」
「書店は日の光を避けるために、北向きに建てられるんです」
口を開きかけたロアにかぶせるようにリンドが説明を入れて、慌てて口を噤む。──すみません、と小さく謝るリンドにロアが笑いながら手を振る。
「よいよい。リンドは本が余程好きと見える」
ロアの言葉にリンドが恐縮する。
「──それで、図書館にはどう入る?」
シェルダが通りの奥を見ながら声をひそめつつ言う。潜入するにしても、見つからない道があるのか、協力者がいるのか。
考えを巡らせはじめた俺の思考が、ロアの言葉に肩透かしを食らう。
「そりゃ、正門から真っすぐじゃよ」
「正面突破かよ」
思わず突っ込んだ俺に対して、ロアがからからと笑って返す。
「十二年ぶりに家に帰るだけじゃからのぉ」
「あの、命を狙われてらっしゃるのでは?」
おずおずとノルが発した言葉に皆で頷く。
「襲う気なら、もう来とる。それにわしも、今世で十と二歳──小童どもには、捕らえられもせんわい」
と、ロアはこともなげに言い放った。
──じゃあ、俺たちは別にいらなかったのでは?
と言いかけたのをぐっとこらえる。
「お主らの出番は帰ってからじゃよ──多分じゃがな」
俺の内心を読んだかのようにそう言うと、ロアはスタスタと歩き始める。
慌てて着いていくが、ロアは街並を見ながら、あそこの肉屋の腸詰は美味いとか、お気に入りの酒場がなくなっているのに悲嘆の声を上げたりしながら、散歩でもしているかのように歩いていく。
そして、遠目に見えていた大門が眼前に迫り、図書館の入口へと至った。
鋲の打たれた木製の丈夫そうな門扉の前で、ロアが立ち止まり腰に手を当てる。改めて門を見れば、脇に通用門があり、詰め所らしき建物も見えた。
大門前に屯する俺たちを見咎めて、詰め所から門衛が駆け寄ってくる。
「おい、お前ら。大門でなにしてる!」
白い制服に身を包んだ中年の門番が俺たちの顔を見渡して下がるように促す。
「おお! ダモスか! 髭なんぞ伸ばしよって。門衛の仕事は慣れたか?」
不意に名前を呼ばれた門衛が怪訝そうにロアを見る。
「なんで俺の名前を……」
ロアはダモスと呼ばれた男に栗色の結わえた髪を揺らしながら近づいていく。
「『勇士ダモレスクの偉大なる冒険』はどうなった? もう書き上げたかの?」
「ちょっ! なんでそれを!」
ダモスが慌てふためきながら、ロアの口を抑えようとする。
「聞いたことがない本ですね」
リンドが呟くと、ダモスの手をひらりとかわしたロアが言葉を続ける。
「おお。『勇士ダモレスクの偉大なる冒険』はの。このダモスがこまい頃に書いた冒険活劇よ」
顔を真っ赤にしたダモスが、ロアの言葉を遮ろうと声を上げる。
「赤い髪の青年ダモレスクが、ドラゴンを討伐し、大国の姫を助け、と大活躍するお話じゃった」
ダモスを見ると赤い髪が制帽から覗いている。
「手製の本をわしに『寄贈』してくれてのぅ。途中までだったから、長じて門衛になったのを知って、続きは書かんのかといつも聞いておった」
──ああ、よりによって。黒歴史の開示先としては、最悪の場所だ。
「まさか……そのお姿……館長なのですか?」
ダモスが真っ赤にした顔を改めてロアに向ける。
「言うとったじゃろ。生まれ変わると」
「何という……」
ダモスが呆然としてロアの前に膝をついた。
「開けてくれるか?」
「……はい。ですが──」
先を言い淀むダモスの肩にロアが手を置く。
「よい。悪いようにはせん」
ダモスはロアの言葉を噛み締めるように、俯いたまま聞くと、無言で詰所へと駆けていった。
詰所内にざわめきが起こっているのが見てとれる。
「開門!」
ダモスが声を張り上げると、ギリギリと歯車の軋む音が響き始め、大門の門扉がゆっくりと開いていく。俺たちは少し下がって門が手前に迫るように開くのを見つめている。
周囲では、門が開く音を聞きつけて、集まった住民が声を漏らす。
完全に開いた門扉の前で、ダモスが敬礼をする。
「では、行くか」
ロアが先立って門を抜け、俺たちも後に続く。
門を抜けると、そこは石畳が敷き詰められた円形の広場になっていた。
正面の建物へと続く階段上、白い制服の一団が立っている。
広場を真っすぐに進む俺達。背後では大門が閉じられる気配がした。
中央に差し掛かったとき、待ち構える一団から、一人の男が歩み出て手を上げた。
周辺の建物から一斉に弓矢と杖が構えられる。
「止まれ!」
リンドとロアを囲みつつ、俺とシェルダ、ノルがそれぞれに武器に手をかける。
「武器はいらぬよ」
ロアが前に進みながら、手で俺たちを制する。
「司書諸君。かわゆい姿になっておって驚いておるじゃろうが図書館長の帰還じゃ。随分待たせたの」
ロアの高く、細い─しかし、鷹揚とした声が緊迫した空気に響く。
武器を構える司書達にほんの少し、動揺の気配が漏れる。
その空気を振り払うように、正面に立つ男が声を荒げた。
「黙れ! 図書館長を騙る不届き者が!」
男が持っていた本を掲げると、広場を覆うように結界と思しき幾何学模様が浮かび上がる。
反応した俺たちに──待て、とロアが言い、押し留める。ロアが手を軽く振ると、俺たちの体を薄い光の膜が覆った。
戸惑う俺たちをよそに、結界から茨が伸び、俺たちの体に巻き付いて自由を奪う。
「痴れ者が! 思い知るがいいわ」
身動きが取れなくなった俺たちに向けて放たれた、侮蔑を含んだ男の声が、図書館の壁に反響した。




