第69話「半歩、外を」
朝日の中、キトニアの集落の藁葺屋根の合間から立ち昇る炊煙が、霊峰キノールから吹き下ろす風に揺れている。
ロアちゃんこと大賢者バズロアとの出会いから二週間後、旅支度を整えた俺たちは、集落の入口で見送りを受けていた。
「なかなかいい馬だ。バルマ大将に礼を言っておけ」
馬を曳いてきたシェルダが俺に向かって言う。
「今度会ったときでいいだろ……。あのおっさん、会う度に『手合わせを』って言い出すし、出発前に余計なことはしたくない」
俺が返した言葉にシェルダが苦笑する。
「ようやく後処理も終わって、大将も今日ミディガルへ帰還だ。顔を見せておけ」
俺が溜息で返事をすると、先の方からずんぐりとした、肉厚な体を揺らしながら、件の大将が歩いてくる。剣は──よし、持ってないな。
「今日出発だったな」
「ああ──」
俺が返事し終わる前に、バルマが俺の肩にその太い腕を回す。
「バズロアの件、調査とは言うが……一筋縄ではいかんだろう。シェルダを頼むぞ」
シェルダに聞こえぬようバルマは小声で言った。
「世話されるタマじゃないだろ。あの姉さんは」
俺がそう返すと、バルマは、俺の肩をばんばんと叩きながら、大笑する。
「ふははは。まぁ、息災でな!」
大股で歩き去るバルマを見送っていると、ムギとシャオに声をかけられた。
二人の後ろには、ムギの姉のトワもいる。キトニアに帰ってきて二週間。
すっかり血色の良くなった顔を朝日が眩しく照らしている。
「その節は本当にありがとうございました」
改めて頭を下げるトワの横からシャオが大きな包みを差し出す。
「はい、これ! 『青い鐘楼亭』特製のお弁当! 皆の分あるから、途中で食べてね」
礼を言いつつ収納空間に包みをしまう。
「また、お寄りください。次に来たときにはキトニアはまた変わってるはずです」
「いいところは、今のままでね!」
微笑みながら言う、ムギの言葉にシャオが楽しげに補足を入れる。
「ああ、楽しみにしてるよ」
見送りに出てきてくれた、キトニアの住民達との挨拶を済ませ、馬に乗る。
リンドの方を見ると、ラオと話をしている。
ラオの話を聞きながら、リンドは何度も頷いている。
遠目に、ラオの目の周りが少し赤くなっているように見えた。
リンドがラオに手を振りながら、こちらに駆けてくる。
「もういいのか?」
「はい」
リンドは小さく鼻を啜って、ノルの後ろに乗った。
「じゃあ出発するとするかの」
ノベリーの前に跨ったロアの一言を受けて、手綱を軽く緩め、踵で腹に合図を送る。
先行するロアの馬に従うように、歩み始める。
霊峰キノールの青い山稜とキトニアの街並をもう一度目に焼き付け、俺たちはバズロアへと向かう。
◆
キトニアを出て、旅路は順調に進んでいる。
ユキオさんは、以前よりも馬の扱いに慣れてきたみたいで、手綱を持つ手も適度に緩んでいる。
時々、モンスターを感知して飛んでいくのは変わらないけれど。
「ノル。バズロアの件だが、エルフの里ではどう判断してるんだ?」
キャンプ中、食事の後片付けをするわたしに、シェルダが隣に座りながら尋ねる。
「ノベリー様は、フェニルドのご出身で、わたしが生まれる随分前に、バズロアへ出仕されたと聞いています。長老とは顔見知りだったそうです」
「ほう。お前が生まれる前とは……」
「何年前とは言いませんよ?」
わたしの冗句に、シェルダが鼻を鳴らしながら、焚き火に薪をくべる。
「里長とどのような話をされたかは、聞いていませんが、ユキオさんの助力を得たいとの申し出に対して、わたしが案内するよう、すぐに命じられました」
「まぁ、如才ないミエラ殿のことだ。思惑があられるのだろう」
懐かしむような、シェルダの微かな笑みが炎のゆらめきに照らされる。
「ええ、わたしの同行が決まる直前に予定を変えて、わたしを『守り人』にしたくらいですから……何かお考えがあるのでしょう」
「『守り人』……『門』の封印のか?」
「ええ」
「ふむ……」
シェルダは顎に手を当てて、呟く。
「時間がかかるとみて、急いだか、あるいは、バズロアの問題に何か関わりがあると見たのか……」
こうして考え込む姿を見るのも久しぶりで、なんとなく嬉しい。
「ミディガルのユルディマ様や宰相様はどうなんですか?」
「ヤラガ研究員のことがあるからな。真相の解明に繋がる以上、バズロア様への協力は当然だ」
わたしの問いに答えたあと、シェルダは考え込むように、じっと焚き火の炎を見つめた。
「いずれにせよ──バズロアでわかることが……魔族やエルフという種族がこの世界でどういう役割をしているのかを知る手がかりになるのかもしれないな……」
「ええ。わたしもそう思います」
わたしが頷くと、シェルダが息をついて上を見る。つられてわたしも顔を上げた。
木々の合間、切り取られた夜空に星が瞬いている。
「お互い難儀なことだな。ユキオに関わったことで──いつの間にか、世界の半歩外に出たみたいだ」
「本当に……」
これまで知っていた世界が広がり、まだ外があると知る。長命種であっても知らないこと、わからないことの前で立ちすくむのは変わりない。この後何を知るのか、知ってどうなるのか、怖くないと言えば嘘になる。
──けれど、
「まぁ……刺激的ですけど、楽しいですよ。わたしは」
「ふふっ。まぁそうかもな」
焚き火の爆ぜる音を聞きながら、しばらくの間シェルダとわたしは、黙って満天の星空を眺めていた。
◆
キトニアからバズロアへ至る道。
山を越え、谷を渡り、時に小さい村に立ち寄りながら進む。
ノベリー様の案内は迷いなく、特に目立ったトラブルもなく旅路は続く。
キトニアを出て、一週間。
尾根を越えたところで視界がひらける。
先頭を行くノベリー様が馬の足を止め、ロア様が満足気な声を上げた。
「見えたぞ。あれが賢者の書庫、バズロア図書館じゃ」
「わぁ……」
後ろから身を乗り出してリンドが声を上げる。
周囲を山に囲まれた窪地の中央に、城と見まごう石造りの巨大な建物がそびえている。
おそらくあれが図書館なのだろう。いくつもの塔が重なり合うように建てられたそれは、荘厳さとどこか雑多な雰囲気を併せ持っている。
図書館から溢れるように街は広がり、様々な造りの家々が並ぶ。よく見ると、フェニルド風の白壁造りの家も何軒か目に入る。
屋根の形も、高さも、色合いも違う、統一感が無い、ある種混沌とした街並はあらゆる文化を受け入れ、内包していることを示している。
「おもしろそうな街だなぁ」
ユキオさんの声も少し弾んでいる。
多様な文化と知識を蓄え、更には不穏な企みをも孕んだこの街で、何が起こるのか。
──そして、わたし達が何を見て、何を知るのか。
並んで馬を停めたシェルダと顔を見合わせ、どちらともなく頷きあった。




