第68話「来訪者の立つ場所」
唐突にロアから、投げかけられた『来訪者』という言葉に血の気が引いた。
不意に足場が脆くなったような気がして、足で軽く床の感触を確かめる。
「なんじゃ! まだ言うとらんかったのか?」
俺たちの反応を見たロアが声を上げた。
「ああ、まぁ……言う機会もなくてさ」
我ながら言い訳じみている。
「ふむ、まぁ殊更に言いふらすことでもないし、信じてもらえるとは限らんからのぅ」
ロアは言いながら、自分でうんうんと頷いている。
シェルダが小さく手を上げた。
「──ちょっといいか?」
ロアがそちらを見る。
「その『来訪者』というのを、私は聞いたことがないんだが──どういうものなんだ?」
「まぁ、一般的ではないからの。リンドは聞いたことがあるのじゃろ?」
振られたリンドが、おずおずと話し始める。
「昔の石碑に異世界から来た何者かの姿があって、それが『来訪者』じゃないかって、書いてある本を読んだことがあります」
「ミディガルでわたしに話してくれましたね──」
ノルが補足する。
「ふむ。『来訪者』というのは、何らかの働きによって異世界からこのルヴァニアへやって来た者の総称じゃ。こちらの世界にない知恵や技術を持ち、ルヴァニアに貢献した者や、圧倒的な力を持って国を開いた者もおる。どれも、伝聞の過程や権力者の修正を受けて形を変えとることもあるが──」
ノベリーがロアの肩にそっと手を置いた。
「うむ、わかっとるわかっとる」
ロアがノベリーの方を見ずに手を上げる。
訝しむ俺たちに気づいて、小さく咳払いをした。
「言うまでもなく、わしはルヴァニアのことをよく知っとる。知りすぎとる。わしがこの世界に生じる問いに答え続ければ、ルヴァニアの大概の謎は解けるじゃろう。しかし、それは人にとっての正解ではない」
そこまで言って、ロアは大きく息をつく。
「だから、わしは『正解』を極力言わぬようにしとる。知恵の芽を摘むことがないようにな。ノベリーは語りすぎるなと釘を刺したんじゃ」
ノベリーが静かに目を伏せた。
顎に手を当てて何事かを考えていたシェルダが口を開く。
「伝承や御伽話に、どこからともなく現れて、ドラゴンを倒したり、それまでなかった作物を実らせたりするような『異邦人』の勇者や賢者の話もある。理解としては、その中でも異世界から来た者が『来訪者』ということか」
シェルダが誰にともなく呟いた。
「納得だ。こいつの馬鹿げた強さがこちらで生まれたものでポンポン出てきていたら、世界が保たん」
シェルダが俺を見ながら息をついた。
「そうですねぇ。わたしも、やっぱりそうかって感じです。以前リンドとお話しした時から、そうかもしれないって思ってましたからね」
ノルはそう言いながらリンドへ微笑みかける。
「しかし──、お前何で今まで黙ってた?」
シェルダが呆れたように、俺を見る。
「いや、それは……」
「そうですよ。今までいくらでも話す機会はあったはずですよ?」
ノルも一緒になってこちらに視線を飛ばすが、その視線を真っすぐに受け止めることができずに視線を落とす。
「いや……そうだな。多分、怖かったのかもな」
「怖い?」
ノルが小さく首を傾げる。
「ああ。俺は元々ルヴァニアにいないはずの──異世界から来た人間だからな。それをはっきりさせて、他の人と明確に線を引かれるのが怖かったんだと思う。それと──それを明らかにすることで、利用されることが」
──お前は違う人間だと、線の向こう側に追いやられ、必要に応じて便利に使われる。
線の向こう側へと迎え入れられるかもしれないと期待してしまえば、人は自分を見失い、何でもやってしまうかもしれない。
例え世界が異なっていても、人間が異なっているとは思えなかった。
「だから──」
俺が次の言葉を発する前に、リンドが俺の袖をそっと握る。龍によく似たエメラルドグリーンの瞳がこちらをじっと見つめていた。
ああ、そうか。そうだった。
「言えずにいて、悪かった──」
頭を下げる。ノルに、シェルダに、そして、リンドに。
顔を上げると、シェルダとノルはこれまでと変わらない表情でこちらを見ていた。
「お前がそんなに繊細だとは思わなかったな」
「そうですね。正直意外です。もっと暢気に生きているとばかり思ってました」
シェルダとノルの軽口に少し肩の力が抜ける。
「まぁ、内緒にはしておいてやる」
苦笑しながら言ったシェルダにノルも頷いた。
「そうした方がよかろう。ユキオの心配の通り、どんなに危険なものであっても、利用しようと画策する輩がおるからの」
ロアが溜息をつく。
「それって──」
含みのあるロアの言葉に俺が反応したのを見て、ロアがノベリーをチラリと見る。
「先ほどのバズロア様の話の続きになりますが、バズロア様の転生後、バズロア図書館の司書達の動きがおかしくなりました」
「おかしく?」
訝しんだ俺の反応にノベリーが言葉を継ぐ。
「不穏と言った方が良いでしょうな。──先に申し上げたバズロア様の捜索の遅延に始まり、発見したバズロア様への襲撃」
ロアはノベリーの言葉を眉間に皺を寄せて聞いている。
「潜伏して調査を進めている間にも、バズロアの司書の関与が疑われる事件が各所で起こっています」
そこまで話すと、ノベリーは一つ息をついてシェルダの方を向いた。
「シェルダ殿。昨日、デノビアの兵はスタンピードの結界について、何を語りましたかな?」
シェルダの表情が少し険しくなる。
「いや……捕らえた連中は、指定の場所にモンスターの死骸を移送するよう命じられていただけだと、証言している」
「他には?」
「一人の兵が、最初に指定場所に移送した際、黒いローブを頭から羽織った男がいた、とも」
シェルダの言葉にノベリーが頷く。
「その人物は──バズロア図書館の司書です」
ノベリーが断言する。
「なぜ、それを?」
俺の疑問に、ノベリーは淀みなく答えていく。
「バズロア様が亡くなられた直後、司書長の命で禁書が収蔵された書庫が解錠されました。名目上はバズロア様の遺言を受けて、収蔵文書の精査を行うこと」
「それは、嘘……なんですよね?」
ノルの言葉にロアが大きく頷いた。
「そして、それ以後各国に禁書にしたためられた術式による災害が起こり、その前後に黒いローブの人物の活動が確認されました」
ロアが忌々しげに溜息をつく。
「詳しい話は避けるがな。デノビアでスタンピードを人為的に起こしたその術式も、バズロア図書館の禁書にある術式じゃ」
ロアの言葉に空気が張り詰める。
「なぜそんなことを──」
ノルの問いにロアが小さく頭を振る。
「正直わからん。各国に混乱を起こし、戦略兵器として利用可能な術を与えることで、バズロア図書館の地位を固め、支配に転じるつもりかもしれん」
室内に不穏な空気が満ちる。
「しかし──腑に落ちんことがある」
「腑に落ちないこと?」
「うむ。わしが死んだ直後か」
ロアがシェルダの方を見て、少し眉根を寄せる。
ノベリーが話を引き継ぐ。
「司書長が自ら、ミディガルから研究に来ていた青年を招き、ある理論と術式を伝授しました。それは、瘴気に悩む魔族領にとっては、革命とも言える技術──」
シェルダが目を見開く。
「まさか……」
「青年の名は、ヤラガ・ノールド。ミディガルの魔導技術院の研究員でした」
ミディガルの地下、あの『門』が開きかけ、レヴォルフが出てくるきっかけになった出来事については、俺も聞いている。
確かユルディマの兄、第二王子と瘴気の転用を目的として、『門』を解放しようとした研究員の名前がヤラガ・ノールドだった。
「では……あの惨事を引き起こした裏にバズロアの司書長がいたと──」
シェルダの怒気を孕んだ声は微かに震えている。
「うむ。司書長サガン、目的はわからぬが、あやつを止めねばならん」
ロアが姿勢を正し、俺に向き直る。
「バズロア図書館を我が手に取り戻す手伝いを──ユキオ、お主に頼みたい」
ミディガルの『門』、デノビアのスタンピード。無関係じゃない。だが、来訪者として、埒外の人間としてこれ以上関わっていいのか、という疑念が頭をよぎる。
「うけろ」
それまで、俺の肩の上で黙っていたアノンが不意に声を発した。
「ユキオじゃなきゃだめだ」
「どうしたんだよ。急に」
普段とは違うアノンの様子に、ノルもリンドも驚きを隠せない。
「これは『せかいのらちがい』だ。ユキオがただせ」
さっきロアが言っていた、世界の埒外、世界の理の外。
「俺じゃなきゃだめか?」
苦笑いしながらアノンに問いかける。
「ああ」
「どうしても?」
「しつこい」
アノンがパタパタと手を振る。
「はは……。大事な相『棒』がそう言うなら仕方ないな」
苦笑する俺を見て、ロアが頬を緩める。
「神樹の導きのままに、じゃな」
シェルダが大きく息をついた。
「魔王様と宰相に勅命を出してもらうまで、出発は待ってもらうぞ。私も行く」
「おいおい……」
「わたしも行きますよ。里長からバズロア様のお手伝いするよう命を受けていますから」
ノルがすました顔で宣言する。
「バズロア図書館は、『わたし達』の目的地ですよね?」
リンドがにっこりと笑みを浮かべて俺を見た。
「……はぁ。仕方ない、か」
俺の言葉に皆が頷き、次の目的が決まる。
目的地は変わらない。ただし、厄介そうな仕事が舞い込んだ。
バズロア図書館の奪還。
待ち受けている出来事。俺じゃなきゃだめなこと。
そして、来訪者の俺にできること。
それらの先に、自分の納得できる生き方があることを願いながら、俺は足元の確かな感触を確かめた。




