第67話「大賢者、ロアちゃん」
キトニアの食堂宿、青い鐘楼亭の一室。
俺はシェルダと一緒にデノビアでの顛末を語り終え、改めて目の前の人物に目をやった。
「ふーむ。それは難儀じゃったのぅ。わしが今少し早く着いて同行しておれば、助けてやれたものを」
腕組みした少女が、姿に似合わぬ老成した口調で、うんうんと頷きながら口惜しそうに言った。
「それはなりませんな。帰り着く前に御身に何かあっては困ります」
少女の後ろでは、紳士然とした初老のエルフ男性がウェーブのかかった少女の栗色の髪をブラシで梳かしながら、釘を刺す。
俺の横に立つノルは困ったような、何とも言えない顔でその様子を黙って見ている。
目の前に座っているのは、十一、二歳の少女。リンドと年は近いが、リンドよりも小柄だ。
栗色のボリューミーな髪を高めに結び、丸いつぶらな瞳をした、あどけないこの少女こそ、俺とリンドが向かおうとしていたバズロア図書館の創始者、世界的大魔導士にして、世界を見通す者。
大賢者バズロアその人──なのだそうだ。
「ええと。それでバズロア様は、何故俺達を探しに?」
俺の問いに、バズロア様は首を振りながら、大きく溜息をついた。
「なぁ、ユキオや。昨日言うたじゃろ。もう忘れたか?」
「いや、でも……」
ノルと顔を見合わせる。
「わしのことは『ロアちゃん』と呼べと言うたじゃろ!」
──事の発端は、キトニアに帰り着いた昨日に遡る。
◆
「着いたな──」
およそ二月半ぶりに見るキトニアの集落。
朱色に染まる藁葺の屋根は、心なしか明るい空気を纏っているように見える。
集落の入口では、第三陣でキトニアに帰ってきた家族や友人を待ちかねていた人々が集まり、既に歓喜の声が上がっている。
子どもを抱きしめ、涙を流す母親とその周りで涙を拭う人々。
そして、それを見つめるミディガルの兵達。中には重症を負い、荷車から痛む体を起こし、その風景を見ている兵もいるが、その表情は一様に誇りと安堵に満ちた笑みを浮かべている。
「ユキオ」
シェルダが俺の肩を叩いた。
「私はこれから連絡所へ行って、報告を済ませてくる。それと──」
「デノビアの連中か?」
シェルダがスタンピードの直前に捕らえたデノビア兵は、既に到着して拘束されているはずだ。
「ああ。一息つきたいところだが、まず一度話をしておきたい。お前はどうする?」
「そうだな──」
俺が答えようとした瞬間、遠目から俺の名前を呼ぶ声がして振り返る。
「お、リンド!」
リンドがラオを伴って、駆け寄ってくる。
そして、目の前で立ち止まり、俺の頭から爪先までを確認するように見る。
旅路の中剃り損ねていた無精ひげを手で擦る俺の様子を見て、リンドは小さく微笑んだ。
「おかえりなさい!」
リンドのしっかりとした声に、ラオも続く。
旅塵にまみれた掌をシャツで二、三度拭ってから、リンドとラオの頭にポン、と乗せる。
「ただいま」
リンドが俺を見あげて──ふふ、と笑みをこぼした。
「シェルダさんも。おかえりなさい」
「ああ」
シェルダが微笑み返しながら、指の背でリンドの頬を優しくつつく。
「あ、それと──」
リンドが振り返り、俺もそちらに目をやると、歩みよってくる見覚えのある姿があった。
長い銀髪と、そこから覗く尖った耳。
「ユキオさん、お久しぶりです」
ミディガルで別れ、エルフの里フェニルドに戻ったはずのノルが穏やかな笑みを浮かべ、こちらを見ている。
「ノル! なんでここに?」
俺の問いにノルが困ったような、悩んでいるような微妙な表情をしながら答える。
「ええと、族長からの命で、客人の護衛と案内でこちらへ……」
ノルがちらりと振り返る。
そこには、艶のあるグレーの髪をきっちりと撫でつけて後ろで結んだ、初老のエルフの男性がまるで背中に鉄棒を仕込んでいるかのように、姿勢よく立っていた。かっちりと着込んだ黒く丈の長いジャケットに白いシャツからのぞくスカーフタイの上品な柄に至るまで、一分の隙もない。
思慮深げな静かな眼差しと、目尻に刻まれた皺は、計り知れない知性を湛えている。
「……ユキオさんがこれから行かれるバズロア図書館の館長様でして……」
なんでまた、フェニルドからキトニアまでバズロアの館長が来ることになるのか、さっぱり見当がつかない。横にいるシェルダも訝しむように顎に手を当てる。
「──ユキオです」
ともあれ、まずはご挨拶。
握手を求めて男性に手を伸ばすと、細指の小さな手が横から伸びてきて、奪いとるように掴まれた。
「うむ! よろしく頼むぞ!」
男性との身長差のせいか、それまで視界に入っていなかった少女が、握手した手をぶんぶんと上下に振りながら溌溂とした声で言う。
「……?」
「ご紹介しますね……。こちらが、バズロア図書館の館長──賢者バズロア様です」
落ち着いた色のチュニックに、ふんわりとした生地のスカート。
栗色の髪をした十一、二歳の少女が、くりくりの目を、ぱっちり見開いて、俺を見ている。
「そして、その秘書ノベリー様です」
ノベリーと呼ばれた男性が胸に手を添えて品よく頭を下げる。
「おお……」
予想外の展開に言葉が出ない。
「まぁ、まずはゆっくり旅の垢を落としてもろうて、明日にでもゆっくり今後の話をしようかの!」
握手した俺の手をポンポンと叩きながらそう言うと、少女はキトニアの集落に向かって踵を返した。
「おお、そうじゃそうじゃ! ユキオよ」
思い出したように、こちらに向き直る。
「はぁ……」
握手した後の手をしまえず立ち尽くす俺に向かって、威張ったように胸を張る。
「わしのことは、気軽に『ロアちゃん』と、呼ぶがよいぞ!」
あどけない顔でニヤリとしながらそう言うと、『ロアちゃん』こと、賢者バズロアはノベリーを引き連れて悠々去っていった。
そして、俺は大量の疑問符を押し付けられて宿へと向かい、消化しきれぬままの朝を迎えたのだった。
◆
翌朝、ノベリーから『ロアちゃん』の部屋に呼び出された俺たちは、本題の前に──とのロアのお願いにより、デノビアの顛末を話すことになったのだった。
「──じゃあ、改めて『ロアちゃん』は、なんで俺たちを探してこんなところに?」
呼び名を変えさせて、気を良くしたのか、ロアは姿勢を変えながら、──それよ、と小さく間を置いた。
「おぬしも、バズロア図書館のなりたちは知っておろう?」
ロアの問いに、俺の目が泳ぐ──ごめん、よく知らない。
空気をいち早く察したリンドが、口を開く。
「太古の昔、彼の地に住み、あらゆる知識と魔法を研究しつくした大賢者バズロア様の蔵書は、家から溢れ、大量の蔵にも収まりきれずに、日々増え続けた。大賢者に教えを求める人たちは、研究の傍ら次第にその蔵書を整理、収蔵していく役目を負うようになり、それがいつしかバズロア図書館と呼ばれるようになったと──」
「うむ。流石は龍の娘じゃ。よく勉強しとる」
ロアの言葉に驚いて、リンドを見る。
リンドも目を見開いて、俺やノルの顔を交互に見ている。
「おお、聞いておらなんだか。龍は古い友人でな。わしが死ぬ前に訪ねてきて、人の子を拾ったと言うて、名付けの相談に乗ったのよ」
「知りませんでした……」
龍の友人と言うのも驚きだが、引っかかる言葉がある。
「さっき、『死ぬ前に』って言いました?」
「ん? おお、そうじゃそうじゃ、それもこれからの話に関係するのう」
ロアはありもしない顎髭をいじるような仕草をする。
「わしは、先ほどリンドが話してくれた大賢者バズロア本人じゃ」
「そんな馬鹿な。バズロアの起源はわかっているだけでもミディガルの歴史をゆうに超える。──歴代館長はバズロアを名乗るとは聞くが、本人のはずが……」
黙って聞いていたシェルダが声を上げる。
「ふむ、いかな長命種であろうと、無理であろうな」
ロアは泰然と構えて動じることもない。
「では、どういう──」
思わず反駁するシェルダの言葉を、ロアは掌で制する。その仕草と有無を言わさぬ雰囲気は少女のものとは思えない。
「わしは死ぬ度に別の人間として、生まれ変わっておる。まぁ、『転生』とでも言えばいいかの?」
つぶらな少女の瞳が見透かすように俺を見る。シェルダは、予想だにしていなかった答えに絶句している。
「転生……。里長は、そのようなことは、何も……」
ノルの言葉に、ロアが膝を打つ。
「おお、あの娘は肝が座っとった」
それを受けてノベリーが静かに頷いた。
「里長は当然知り得ぬことでしょうな。かつて、フェニルドよりバズロアに出仕した私が『そうだ』と言う以上、外見、常識に囚われることなく、この方が大賢者バズロアであることは間違いない、と判断されたのでしょう」
「ですが、そんなことが──」
ノルのその後の言葉は続かない。
「以前見た東の国の本で、子どもが知るはずのない知識を語り、見たことのない文化を語ったという奇譚がありますけど──」
リンドが少し前のめりになって問いかける。
「いつかのわしのことかもしれんし、違うかもしれん。まぁ、あり得ん話ではないということじゃな」
リンドが感心したように息をついた。
「では、バズロア図書館が、館長の死後、同日同時刻に生まれた子を譲り受け、館長とすべく教育する、という噂も……」
シェルダが考え込みながら、呟いた。
「うむ、転生したわしを探してのことじゃ。父御、母御には、毎回心苦しく思うておるから、しばらくはそちらで子どもらしく厄介になることもあるが──大抵は司書らが探し当て、いずれ図書館に戻ることになっておる」
泰然として、さらりと話しているが声音にほんの少しだけ憂いの色が乗ったように感じた。
「まぁ、転生については、秘匿しとる。この世界の埒外のことは、世間に良い影響を与えぬだろう、ということでな」
ロアの言葉にシェルダとノルが息を飲む音がした。
──信じ難い話なのかもしれない。だが転移した俺が、転生を信じない理由はない。
「それで──、今回はそれに問題が生じてる、と」
俺の発した言葉にロアが頷く。
「それが、本題よ。通常であれば、わしが前世を終えてすぐに捜索を始めるはずの司書達が今回は動かず、このノベリーが独力で探し当てるまで放置しておった。そして、あろうことか、わしの命まで狙ってきおったのよ。育ってしまえば、物の数ではないが、如何せん、幼児の体では荷が重い。今まで、ノベリーとあちこち隠れつつ動向を探っておったのだ」
ロアの話にノベリーが静かに頷いた。
「それで──」
俺に何をさせたいのか。そう問いかける前に、シェルダが──ちょっといいか、と俺の言葉を遮った。
「正直、混乱している。転生にバズロアの秘匿事項、私達が今聞いた内容は私達が知る理とは、一線を画していると思う」
シェルダの言葉にノルが頷く。
「私達が聞いてよいものなのでしょうか……」
「そう。これは先ほどロア殿が言われた、我々が知らない方が良い『世界の埒外』のことなのでは?」
シェルダとノルの言葉にロアが少し驚いたように眉根を寄せる。
「今更何を言うておる。今世において、お主らほど『世界の埒外』に関わっとる者はおらんじゃろ」
呆れたようなロアが言葉を続ける。
「『門』『神樹の枝』に『龍』──」
いつの間にか、アノンが肩に乗って、興味深げに頭を揺らしている。
「そして何より──『来訪者』」
ロアが俺を指差し、三人が一斉に俺を見た。
「来訪者──」
リンドとノルが同時に呟いた声が、静まり返った部屋に静かに、重く、響き渡った──。




