第66話「隘路、決着の時②」
隘路にそびえる、先ほどまでゴーレムだった岩山。
赤黒い触手は蠢きながら、その岩肌を徐々に呑み込んでいく。
──スライム……なのか?
みるみるうちに、岩山を飲み込んだそれは、取り込んだ岩ごと動かしながら、形を変え、粘性の液体で形作られた巨大な一つの姿を表す。
消化途中のモンスターの死骸、岩々、そしてそれを内包した液体が赤黒く艶めいている。
後続のモンスターをこいつが──。
「魔法兵!」
後方のオルドスが指示を出して、魔法が打ち込まれる。スライムの体には魔力による攻撃がもっともよく通る。
オルドスが合図し、魔法兵の斉射が止まる。
瘴気の煙が薄れ、姿を現したのは、まばらに消化途中の物体を表面に露出させたスライムの姿だった。
「魔法への対策か! しゃらくさい!」
バルマが剣を振りかぶり距離を詰める。
次の瞬間、スライムが丸太のような触腕を伸ばし、取り込んだ岩でバルマを突き飛ばす。
合わせた剣撃を質量で弾き返され、バルマは激しく後方に吹き飛ばされた。
伸びた触腕を目掛けて、ハグスが大斧を振り下ろす。触腕を死骸ごと斬りつけるが、両断には至らず元の形状に戻りながら復元される。
「ちっ!」
距離を取るべく飛び退るハグスを囲むように、細い触手が四方に伸びた。
援護のために横から炎を撃ち込むが、瓦礫を表面に出してくるため、通りが悪い。
直接援護に向かおうと踏み出した私の前に、触手が壁となって立ちはだかった。
「くそっ!」
触手は本数を増やしつつ、絶え間なくハグスを襲う。
触手が頭部をかすったのか、ハグスの顔に血が垂れる。
「兵長!」
ハグスの部下二人が援護に飛び出し、両脇を固める。
後方からの魔法も繰り返されるが、巧みに岩や死骸で防がれ、スライム本体を削ることができない。
三人がかりでスライムの触手の猛攻をしのぐハグス達だが、一人の兵の足を触手から飛び出したモンスターの牙が貫いた。
「ぐっ!」
崩れる部下の前にハグスは立つ。
更に部下が駆けつけ、負傷者を引きずり後退する。
赤黒いスライムの体内で、内容物が位置を変えていくのが見える。大きい内容物を下げ、細かい物を前に。体表に近づけられた骨や礫が力を溜めるように回転している。
──まさか。
伏せながら声を上げる。
「盾兵、備え! 総員伏せろ!」
その言葉が終わるやいなや、スライムの表面から、散弾と化した瓦礫やモンスターの牙、折れた骨が物凄い速度で射出された。
盾を吹き飛ばしかねない速度で放たれたそれらは、盾と盾の隙間を縫って、後方の兵達に至り、血飛沫とうめき声を生む。
「ハグス兵長! 下がれ!」
更に内容物を動かすスライムから距離を取る。
残りの魔力も少ないが、出し惜しみしている余裕はない。口中で詠唱しながら、体内の魔力の循環を高める。
体内を巡った魔力を両手で圧縮し、一気に放つ。
赤に黄色の混じった鉄をも溶かす業炎が隘路全体を塞ぐ。
「全軍下がって、陣を立て直せ!」
張り上げた声に応じて、軍は後方へと下がる。
オルドスが下がりながら下知を飛ばし、兵の足が徐々に緩み、鋒矢の形へと陣は姿を変えた。
矢の切っ先に当たる部分で構える。
──どうする。
スライムはコアを潰さなければ倒せないが、取り込んだ内容物のせいで位置も見えない。
炎の壁の向こうでは、岩と岩がぶつかる不気味な音が響いている。
──時間稼ぎにしかならないか。
気づけば、バルマが隣に立っている。
「お体は?」
「もういい。油断したわ」
ハグスもやってくる。頭部には、血止めの布を巻きつけている。
「どうする?」
炎の壁を越えたスライムは表面に出していた内容物を組み替えながら、ジリジリと進んでくる。
今の私の最大火力だったが、表面を焦がしただけだ。スライムが内容物を消化しきるまで、耐えきるか──あるいは。
「間に合うかどうか」
私の言葉に、二人が無言で頷く。
肉が焦げる音とともに、炎の向こうから、瓦礫で表面を覆った塊がゆっくりと向かってくる。
焦げた瓦礫からぷすぷすと煙が上がり、内容物を組み替えながらずりずりと這い寄ってくる、赤黒いスライムの体が視界を埋めていく。
後方から聞こえる兵達の唾を飲む音が、迫る緊張と恐怖を物語る。
柄を握り直して、不気味に内容物を動かすスライムを睨んだ。
視界の端、崖の上に黒い影が走り、スライムへと飛びかかる。
──次の瞬間、轟音とともに、スライムの体の一部が爆散した。
吹き飛ぶ瓦礫、溶けかけたモンスターの死骸のその奥。ガラス玉のような真っ黒な球体がチラリと光を受けて見えた。
「ユキオ!」
「くっそ。一撃じゃ無理だったか──」
着地したユキオが悔しげに呟く。
──間に合ったか。
「随分遅かったんじゃないか?」
安堵の息の代わりに叩いた憎まれ口に、ユキオが鼻を鳴らす。
「魔力切れになる寸前まで苦戦してたんだ。意地悪言うなよ」
スライムのコアは再び内容物に隠れて見えなくなり、攻め手を探るように体内の内容物が流動している。
「ユキオ。お前、コアの位置がわかってるな?」
「ああ。アノンが教えてくれる」
肩口に立つアノンが胸を張る。
「さっきの攻撃。あと何回いける?」
「正直……あと一回、だな」
瘴気溜まりの対処は余程の重労働だったと見える。
「わかった。おまえのタイミングで行け。合わせる」
私がそう言うと、ユキオはアノンに目配せをした。
すると、アノンが私の肩に移ってくる。
「ほれ」
アノンがそう言って指さすと、スライムの体内に光が示される。
「おお? なんだあれは?」
ハグスとバルマが、突如現れた光を見て、戸惑いの声を上げる。
「詳しい説明は後にしますが──あれがスライムのコアです。ユキオが露出させ──その機を捉えます」
「お、おお。わかった」
バルマとハグスはその光を訝しみながらも、それぞれ得物を構える。
「後方は、魔法で援護しろ! 投擲は無しだ! 放射に備えて盾を密に!」
後方に向けて指示を出す。
態勢を立て直したスライムが、前進を再開する。
「行くぞ」
ユキオが短く言い放ち、突っ込んだ。
スライムが触手を突き出し、阻もうとするが、ユキオはそれを紙一重でかわす。
後方からの魔法が飛び交うなか、我々もユキオに追従する。
スライムの体内では、コアの位置を示す光がスライムの動きに合わせて、移動を続けている。
コアは瓦礫を纏ったまま、体内を移動しているらしい。
ユキオは、コアが最も露出させやすい位置に来る機を見計らっているのだろう。触手をかわしながら、細かく位置を変えている。
移動先を狙って放たれた散弾をかわし、ユキオが一気に踏み込んだ。
「行きます」
バルマたちに短く伝え、ユキオに遅れないように踏み込む。目線の先は、体内の光。
丸太のような触腕が突き出される瞬間、スライムの体内が動き、コアが引っ張られるように前面に寄る。
──そこだ。
私の意を汲んだように、ユキオは突き出された触腕から覗く瓦礫を踏み台にして、体表へと向かい、手に持つ棒に恐ろしい量の魔力を込める。
「──っらぁ!」
ユキオの気合を込めた一撃が、轟音を立ててスライムの体を体内の瓦礫ごと弾けさせる。
その瞬間、一気に加速してコアを目指す。飛び散る瓦礫と赤黒い粘液の中、光が見える。
抉られるように体を失ったスライムは、再びコアを覆い隠そうと、瓦礫を盾にして私達を挟み込んでくる。
──構わん。
一気に駆け抜けるべく、足に力を込めた瞬間、ハグスとバルマが迫る瓦礫に取りついた。
「行け!」
ハグスが壁を受け止める。
「ええい! 血は争えんな! 決めてしまえ!」
バルマは大剣を支えに、体で壁を押し留める。
態勢を低くし、迫りくる瓦礫の壁の合間を駆ける。
──間合い。
目標を睨みつけ、愛剣に魔力を通す。
『氷の如く機を見定め、炎が燃え上がるように一気に最短を突く』
イングウェルの剣とは、そういう剣だ──父の言葉と姿が脳裏によぎり、その剣閃を体はなぞる。
一瞬でも速く。全身の力を縒り上げて増幅した速さが剣へと伝わる。
そして、瓦礫がコアを覆う寸前──。
紙一枚の隙間を残して、剣先がコアへと到達した。
時が止まったかのような、一瞬の間。スライムの赤黒い粘液が沸騰するかのように泡立つ。
突き立てた切っ先を斬り上げ、振り返ると、背後でスライムのコアが地に落ちる、水気を含んだ音がした。
周囲の赤黒い粘液が、蒸発するように宙に散る。
瓦礫が崩れる音を聞きながら、顔を上げる。
「お前の膝をつく姿を見られるとはな」
「はぁ──また魔力切れ寸前だ」
困ったような笑みを浮かべるユキオに手を差し伸べて起こす。
「感謝する。ありがとう──」
隘路に木霊した、兵達の安堵と歓喜の声が、私の言葉をかき消した。私の礼がユキオの耳に届いたのかは知れない。
「スタンピードを生んだ瘴気はどうした?」
「魔力をガンガンぶち込んで、アノンが中和してくれたよ」
──相変わらず出鱈目だな。
「それで──見たか?」
「ああ、術式の跡みたいなのがあった」
ユキオの言葉に頷く。
デノビアがそのような瘴気を操る術を知っているとは思えない。一体誰が入れ知恵を? いや、そもそも、そのような術がどこで研究されているというのか。
脳裏に浮かぶ疑念。
その答えは像を結ぶ気配すら見せず、隘路を吹き下ろす風に陽炎のように揺れていた。




