第62話「立ちのぼる悪意」
国境にほど近い場所に設けられた野営地。
テントが沢山建てられ、さながら1つの町のようだったこの場所も、今は徐々に撤収が進んでいる。
解放期限まで三日を残し、全てのティグ族を保護することができたからだ。
これまでに第一陣、第二陣と、それぞれがミディガル軍に護衛されてキトニアへと戻っていった。
残る第三陣をキトニアまで送り届ければ、俺の任務は無事終了となる。
第三陣は最も人が多い。そして国境に展開した宿営を引き払って移動する以上、自然と大所帯となっている。
撤収作業が進む中、バルマが俺の元へと文句を言いながら近づいてくる。
「うーむ。つまらん。つまらんぞ! 剣を振る機会が一つもないとは!」
「何があると思ってたんだよ……」
軍を率いて、国境で威圧を続けてきたバルマだったが、退屈が極まっているらしい。
「お主が動いておるから、何やら面白いこともあるだろうと思って出張ってみたが、小競り合いの一つもない! まったく、デノビアの連中は腑抜けばかりだな!」
本当に大将なのかと疑いたくなるほどの血の気の多さだ。
「まぁまぁ。そんなに暇ならシェルダがやってるみたいに周辺の警戒に出ればいいじゃないか」
宥める俺の言葉は、虚しく空を切る。
「それよ。たまに出ていっても、モンスターの一匹もおらん。腕がなまって仕方がないわ」
バルマの言葉に少し引っかかりを感じる。
ここでは、エルフの里と違い、瘴気が感じられるのに、モンスターが全く出ていないというのは、少しおかしい。
「なぁ大将。全然モンスターは出てないのか?」
「ん? おお、布陣してからはな」
「妙……だよな?」
「ふむ。確かに魔族領ほどではないが、瘴気もある。多少は出てきても良さそうなものだな。──だが、淀みが生じても、どこにモンスターが出るかは、はっきりとはわからんものだ。儂の武運が悪いのだろう」
顎を撫でながらバルマは言った。
「──失礼します」
俺が更に疑問を口にする前に、バルマの副官であるオルドスが俺たちに声をかけてきた。
野営中とは思えないほど、きっちりとまとめられた髪。頭部の角は磨き上げられているかのように黒光りしている。
姿勢良く立つ姿と、品よく揃えられた口髭は軍人と言うより、老成した執事を思わせる。
「おお、オルドス」
「全軍移動の準備が整いました。先頭を第一部隊、馬車を伴う輜重部隊が続いて、子どもらを運びます。第二部隊と第三部隊は、縦列にて側面を警戒、中央に徒歩のキトニア民が行きます」
「うむ」
オルドスに任せ切りであろうバルマが頷いた。
「大将はどこに?」
オルドスに尋ねる。
「本隊は殿です」
俺を見て、オルドスは少し微笑みながら答える。
「大将自ら、殿とはね」
呆れたように言うと、バルマがにやりと笑った。
「デノビアの追撃に期待しとる」
「縁起でもないことを言うなぁ」
俺が苦笑する。
「戦の匂いのするところに置かねば閣下は臍を曲げられますからな」
オルドスが事もなげに言い、それを聞いたバルマは、豪快に笑った。
「キトニア民の準備は大丈夫かい?」
「はい。トワ嬢が編成や、準備など立ち働いてくれています。第一陣で戻れたはずですが、自分は最後でいいと言われ──甘えさせていただいています」
大変な状況を経験しただろうに。ムギの心の強さの理由が一つわかった気がした。
「じゃあ、そろそろ出発だな」
俺がそう言うと、──おい、ユキオ。とアノンの声が頭に響いた。
さりげなくバルマ達から距離をとる。
「どうした?」
『このあたり、なにかへんだぞ』
「さっきの話か?」
『ああ。とてもへんだ。瘴気のながれ、おかしい』
アノンの言葉に、胸騒ぎがした。
……
しばらくして、準備が整い、いよいよ第三陣の出発のときが来た。
俺は、バルマ達と一緒に先立つ第一部隊を見送っている。
「大将。念のため聞くけど、ここには誰も残さないんだよな?」
「ふむ。オルドス」
バルマに変わってオルドスが答える。
「警戒に出ているシェルダ師団長の部隊は途中で合流しますが、それ以外は残りませんな。なにか懸念が?」
オルドスが背筋を伸ばしたまま、チラリとこちらを見る。
「いや……ちょっと嫌な予感がして」
俺がそう言うと、バルマは眉根をぴくりと動かした。
「ふむふむ。そうかそうか。まぁ、なにかあったときのための殿だ。キトニアの民を逃がすことを第一に考えておけばよかろう」
言葉がどこか弾んでいるように聞こえるのは気の所為だろうか?
俺が訝しみながら、バルマとオルドスの背を見送ると、シェルダの声が頭の中で聞こえた。
『ユキオ、聞こえるか?』
「ああ、聞こえてる。どうかしたか?」
シェルダは、第三陣の帰投に合わせて、周辺の警戒に当たっていた。アノンが繋いでくれたらしい。
『森で怪しい連中を捕らえた』
「怪しい連中って、盗賊か?」
『いや、おそらくデノビアの兵だ。口は割らんがな」
「伏兵とかなら、バルマの大将が喜びそうだけどな」
『いや、もっと厄介そうな気がする。連中、空の荷台を運んでいたんだが……』
シェルダはそこで少し考えるように間を置いた。
『荷台にはモンスターの血痕が残ってた。瘴気もな』
デノビアの兵が、モンスターの死骸をどこかに運んでいた? 意図が見えない。
「何をしてるんだ?」
『分からんが、連中はしきりにここから離れることを望んでいる』
「何かあるな」
先ほどの嫌な予感が、更に首をもたげた。
『ああ。できるだけ移動を早めてくれ。私もそちらへ急ぎ向かっている』
「捕まえた連中はどうした?」
『自分たちが持っていた荷台に乗せてからキトニアに向けて部下に運ばせた。向こうで根気よく、じっくりと話を聞かせてもらう』
「そいつは……災難だな」
『まぁ後悔は──するだろうな』
だが、キトニアで話を聞き出したとしても、何かしでかすつもりなら、確認にしかならない。
動き出した第三陣、ティグ族の集団を横目に見ながら、俺は足早に歩を進めた。
◆
『シェルダ。今どの辺りだ?』
アノンを通して、ユキオが話しかけてくる。
「もうすぐそっちに着く」
馬を操り、森の脇道から街道に出ると、兵とティグ族の姿が見える。
キトニアに向かって伸びる列を遡りながら、横目に見ると、テントや野営道具を載せた荷馬車が目に入った。
先ほど捕らえたデノビア兵は、モンスターの死骸を荷台に載せて運んでいた。荷台に垂れた血痕や残った瘴気から、一体や二体ではきかないだろう。
そして、周囲で見つけた轍。
幾度となく同様の荷馬車がそこを行き来したことが察せられた。
わざわざ、人目に付きにくい森の道を選び、何をしていたのか。通信魔法を使える者に轍の先を探らせているが、戦闘は禁じている。
モンスターの死骸。輸送の跡。
──ろくなことじゃない。それだけは間違いない。
殿に向かう。
「シェルダ!」
列の最後尾、馬上のバルマ大将と副官のオルドス。その二人の横で徒歩のユキオが手を振っている。
「馬じゃないのか?」
馬を寄せながら問う。
「知ってるだろ? 苦手なんだよ。それにいざとなれば自分で走った方が速い」
──まったく、相変わらずデタラメだ。
「まぁ、いい。それより……」
私の言葉を遮って、バルマ大将が声を上げる。
「シェルダ! やつらは何を企んどる!」
言葉の端から漏れる愉悦を隠せていない。
「部下に探らせていますが、わかりません」
「先ほどの話では、モンスターの死骸を何処かへ輸送しているとのことでしたな」
冷静にオルドスが問う。
この副官がいて初めて、バルマ大将がただの豪傑ではなく、一軍の将でいられるのだと、私は思う。
「はい。それと付近には古い轍もありました。昨日今日始めたものではないでしょう」
「ふむ……」
オルドスが口髭に指を当てる。
「瘴気溜まり、か。だが……」
「ええ、操作できるとは思えません」
先回りした私の言葉に、ユキオが不満を言う。
「俺にでもわかるように、説明してくれよ」
「これは、失礼」
オルドスがユキオに小さく頭を下げる。
「これは、魔族領ではよく知られている事なのですが、モンスターの死骸を一カ所に集めておくと、瘴気溜まりを発生させることがあります」
「そうなの? じゃあ、ギルドの解体場なんて大問題じゃないか?」
まぁ、そう考えるのは無理もない。
「コアを摘出したモンスターの死骸では、そうはならない。魔族領の冒険者ギルドから広めさせたから、今はどこのギルドも真っ先にコアの摘出から行うことになっているはずだ」
ユキオはそれを聞いて、しきりに感心している。
「荷台に残っていた瘴気から推察すると、おそらくコアを残して、運んでいたと思われる」
「じゃあ……それで瘴気溜まりを作って、モンスターに俺たちを襲わせようとしてる?」
ユキオが問う。
「その可能性はありますが、瘴気溜まりから生まれたモンスターを操る術はありませんからな。全くの見当違いの方へ向かって、自国民を襲うこともある」
「なるほど……博打か、それとも──勝算があるのか」
ユキオの言葉に背筋に冷たい物を感じる。
「伝令! 第一部隊から第三部隊、進行速度を上げよ! ティグ族に対してもだ! 遅れそうな者は馬上に引き上げてでも、全体の速度を上げろ!」
バルマ大将が、よく通る野太い声で指令を飛ばした。
「後顧の憂いは除いておかねばな」
にやりと笑う上官を見て、オルドスが苦笑して、近くの兵に手招きして、補足の指示をする。
デノビアの狙いが見えない中、不穏な予感だけが広がっていく。
……
進行の足を早めたことで、予定よりやや早くキノール山の入口へとたどり着いた。
ここからはきり立った崖に挟まれた隘路を登ることになるため、自然、先頭の速度も落ちる。
ここに入れば逃げ場はないが、進むより他ない。
『師団長! 応答願います!』
先を見やったところで、探査に出した部下から通信が入った。
「何かわかったか?」
『瘴気溜まり……でした。ですが、あれは……』
「何を見た?」
『兵達が崖上から瘴気溜まりに死骸を投げ込んでいたのですが、瘴気溜まりの周囲に見慣れぬ陣が描かれていました……』
──瘴気溜まりの周囲に、陣? 一体何をする気なのか。
「瘴気溜まりの状態は?」
『高密度で安定……いや、静止しているように見えました』
「……わかった。今すぐにそこを離れろ。大至急だ」
以前デニスが語った内容が脳裏によぎる。
高濃度の瘴気溜まりが、一定期間停止したように見えた後、爆発するようにモンスターが発生し──ある種の指向性を持って動き出す。
「シェルダ。どうした?」
ユキオが森を見つめる私に声をかける。
「デノビアめ……とんでもないことを……」
その瞬間──私の視線の先、遠くの森で鳥たちが一斉に飛び去った。
「なんだ?」
ユキオや殿の面々が森に目をやる。
最初に木々の合間から細い黒い筋が、そして爆炎のような瘴気が森から立ち上った。
先を進むティグ族から悲鳴があがる。
「スタンピードだ……」
おそらく、あれが向かう先はこちらだろう。
馬を降りる。
「正念場だな」
ユキオと並び、広がっていく喧騒を背中に感じてながら、こちらへ真っすぐに向かってくる黒い塊を見据えた。




