第61話「保護と別れ」
豪華な門扉の前に立つ。
塀に囲まれた瀟洒な邸宅は静まり返っている。
「アノン。中にティグ族の気配はあるか?」
アノンが肩に現れる。
「ある」
「よし──。それと……お前がそこにいると、何か面倒そうだから、姿を見せない方がいいな」
精霊ですら容易に見られないらしいので、姿を見せれば余計なことになりそうだ。
「ん? ほかの人間には見えないようにしてるぞ」
アノンが事もなげに答える。
「え、そうなの?」
「ああ」
──なら、安心か。
「なんでもありだな」
「まぁな」
アノンが自慢げに胸を張った。
「じゃあ行くか──」
今日付けでデノビアがミディガルの宣告を受け入れ、キトニア奴隷を解放する旨が告示された。
主要貴族にはその旨はすぐに伝えられ、辻に貼られた告示文をこの家の使用人が確認して邸宅に戻ったことを確認している。
門脇の小屋と呼ぶにはしっかりした建物に向かい、扉を叩く。
開いた扉から、使用人と思しき中年の男が胡乱げな目で俺を見た。
「何用でしょうか」
俺の足先から頭までを見て、冷たく言い放つ。
俺は、シェルダから渡された依頼文書と冒険者証を目の前にかざした。
「冒険者ギルドを通したミディガルからの依頼でね。ティグ族の解放が受諾されたのは、知ってるだろ? 迎えにきた」
俺がそう言うと、使用人はチラリと奥を見る。
「いや、もう暇を出し──」
「嘘だな」
アノンが、既にティグ族の気配を感知している。
「入るぞ」
使用人に押しのけて、使用人の部屋を抜ける。
「どっちだ?」
アノンが指をさす。
「あっち」
庭には、綺麗に切り揃えられた木々が植えられている。その庭を抜けて、建物へ。
大勢の使用人らが集まってくる。
「やめろ! 兵を呼ぶぞ!」
使用人の一人が俺を抑えながら言う。俺はそれを引きずるように歩みを止めずに答える。
「さっきも言ったけど、国が解放を指示した。それに従わなければ、あんたの御主人は咎人だ。やってきた兵にそう言うつもりか?」
早歩きで邸内を進む。
豪華にしつらえられた壁紙に、高価そうな内装。塀の外とは別世界だ。
アノンの指示に従って進み、広間の扉を開けると、奥に檻があった。
中には、椅子にかけてうつむいたままの、ティグ族の女性がいた。
黒い髪を長く垂らし、頭部の耳は周囲を探ることを忘れたように後ろを向いている。
綺麗な服を着せられ、飾り立てられているが、じっと下を向くその目には生気が感じられない。
ジェノンの街で奴隷商から聞いた話を思い出す。
稀少価値──己の財力を誇示するために、『飼って』いるのだろう。
檻に近づいたところで、背後から声がした。
「何をしている!」
振り返ると小太りの豪奢な服を纏った男が鼻息を荒くしてこちらを睨んでいる。
──こいつが『飼い主』か。
「本日、デノビアはミディガルの宣告を受諾して、ティグ族は解放されることになった」
俺の言葉に、檻の中の女性が息を飲んで顔を上げた。
「俺はミディガルから、ティグ族保護の依頼を受けた者だ」
冒険者証と、依頼文書をまとめて投げ渡す。
手に取った小太りの貴族の顔が赤から青に変わる。
「まだ、情報が行ってなかったのかな? 解放が遅れているようだから──手伝いにきたんだよ」
そこまで言って、檻へと近づく。
鉄柵を両手で握り、徐々に力を込めて開くと、ミシミシと檻は音を立てた。
柵は曲がり、顔を上げた女性の顔をようやくまっすぐに見ることが出来た。
──やっぱり似てるな。
「トワさんだね。迎えに来た。キトニアに帰れるよ」
トワが、俺が差し出した手を震えながらとる。
「私の名前──」
「ああ。デノビアに連れてこられた人は全員わかってる。ムギがまとめてくれた」
「ムギ……」
トワの目に涙が溢れる。
「ああ、妹さんの働きが解放につながった。立派な妹さんだよ」
広間にトワの嗚咽が響く。
いつの間にかアノンがトワの肩に移動して、頭をポンポンと優しくたたいている。
トワの背を支えながら、檻から出した後、『飼い主』の元へ歩みを進める。
使用人達が槍を持って間に立つ。
「聞いた話ではあんたは『同好の士』の中では、有名人らしいじゃないか。今すぐお仲間に伝えておいて欲しいんだ」
なおも近づく俺と『飼い主』の間に差し込まれた槍を掴んで曲げながら言葉を続ける。
──ひっ、という声が『飼い主』から漏れる。
「俺が行くまでにティグ族に傷一つでもつけようもんなら、檻だけじゃなく家ごとああなるってさ」
俺が顔を近づけながら、檻を指差してそう言うと、『飼い主』は尻餅をつくように地面に倒れ込んだ。
地面に落ちた冒険者証と依頼文書を拾い上げる。
「じゃぁ、そういうことで、よろしく」
そう言い捨てて、トワを連れて広間から出る。
檻の中で過ごした時の長さからか、トワの足取りは少しおぼつかない。
それを支えてやりながら邸宅から出ると人集りができていた。
集まった人垣の中から、「冒険者等級『黒』がティグ族を回収して回るってよ!」「ティグ族を隠し持ってると殺されるらしいぞ!」という声がひそひそと聞こえてくる。
おそらくミディガルからの差し金だろう。
──しっかりしてるなぁ。
人混みを抜けて、街の外へ出ると、一台の粗末な幌馬車が停まっている。
それまで暇そうな顔をしていた御者が俺達を見て、無言で後ろを親指で指し示した。
「大丈夫。魔族が手配した馬車だ。これでジェノンまで向かってもらう」
小声でトワにそう伝えた幌馬車へ乗り込む。馬車の座席の隅にフードをかぶった男女がいる。
「何か問題は?」
「ありません」
男がはっきりとした口調で答える。
「兵に怪しまれたりは?」
「いえ、特には……ただ」
「ただ?」
「門兵は新兵のようで、交代もほとんどありません」
何か妙だ。彼はそう言いたいらしい。
そう言えば街中でも兵の姿を全く見かけていない。
調べている余裕はないが、何か引っかかる。
「ジェノンに着いてからは……どうするのですか……?」
トワの言葉に、考えを打ち切って向き直る。
「ジェノンの近くの国境で、他の捕まった人と合流してから、キトニアに戻るように手筈を整えてる。近くの街であと二人乗せてから行くから」
俺がそう説明している間に男の方が御者に合図して、馬車を出発させた。
「あ、あの……」
フード付きの外套を受け取ったトワが口を開く。
「ありがとうございました……本当に……本当に……」
それ以上は声が震えて言葉にならない。
魔族の女性が、そっとトワの肩を手を添えるのを、俺は黙って見ていた。
◆
それからは、早かった。
ミディガルが流布した情報は尾鰭を増しながら、各街の有力者や貴族の元へと至り、俺が屋敷に着く前にティグ族はほとんど解放された後だった。
屋敷から放り出されるように解放されたティグ族を、アノンの導きに従い、探す。
ある者は路地裏に潜み、ある者は街を出て当て所なく歩いていた。
大枚をはたいて手に入れた奴隷であっても、保身のためなら迷わず切り離す。ある意味徹底した彼らの姿勢には、乾いた笑いしか出ない。
解放も半ば進んだ時、ある街でアノンは一軒の粗末な民家を指した。
「あそこだ」
良くない想像が働く。豪商が我が身可愛さに放り出したティグ族。輩が『再利用』しようとしてもおかしくはない。
保護の対象が子どもということもあり、直前に保護したティグ族の女性にもついてきてもらっている。
気を引き締めて、扉をノックする。
扉の向こうで、パタパタと音がして顔をのぞかせたのは白髪交じりの活発そうなおかみさんだった。
「えーと、どちらさまだい?」
予想外の状況に戸惑う。
「あの、解放されたティグ族の保護を請け負ってまして……」
依頼文書を見せる。
「本物だろうね?」
こちらを探るように見る。
俺は後ろに控えていたフードをかぶった女性が見えるように、身を引いた。
軽くフードを上げて、ティグ族の女性が頭部の耳をおばさんに見せた。
念のために来てもらっていて正解だった。
「ああ、お仲間さんかい!」
合点がいったように、おかみさんは奥へと声をかけた。
「出てきて大丈夫だよ! お仲間さんが迎えにきたってさ」
奥から物音がして、六、七歳のティグ族の少年が、家の亭主と思しき男性に連れられて、恐る恐るこちらへ向かってきた。
ティグ族の女性の顔を見て、ほっとした顔をする。
「あの、業突く商人が、着の身着のまま放り出したろ? 街の連中は関わり合いになりたくないのか、見て見ぬふりさ」
おかみさんは腰に手を当てて、ふん、と鼻を鳴らした。
「それで、預かってくれたんですか?」
「そりゃ、うちだって旦那と二人でカツカツだけどねぇ。こんな小さい子ほっとけやしないよ」
困ったような笑みを浮かべるおばさんを、少年が見上げる。
「おばさん……この服……」
見れば少年は、手縫いと思われる落ち着いたベージュ色のシャツを着ている。
「返さなくていいよ。売るも捨てるもできなかったアタシら夫婦の未練の品だ。あんたに着てもらえるならそれが一番さ」
少し寂しさを滲ませるおかみさんの言葉に、人の良さそうな亭主も、目を細めながら無言で頷いた。
「何か礼を……」
俺がそう言うと、おかみさんは大仰に手を振った。
「いらない、いらない」
「けど……」
「──じゃあ、その子が追い出されてた時に着せられてた服をこっちで貰うよ。ありゃ良い生地だったからね。売って、生活の足しにさせてもらうよ」
これ以上は、言っても無駄のようだ。
俺が引き下がったのを確認して、おかみさんはしゃがんで少年に目線を合わせて、肩に手を置いた。
「よかったねあんた。帰ったら父ちゃんと母ちゃんにしっかりと顔を見せてやるんだよ」
「はい」
「……元気でな。それと──病気には気をつけて」
亭主もおかみさんの後ろから、控えめに声をかける。
「ありがとうございました」
俺が礼を言うのにあわせて、少年も頭を下げる。
少年の手を引いて街の外へ向かう俺たちを、夫婦はしばらくの間、かみしめるように見送っていた。
「ぼく……おじさんとおばさんに、いつかちゃんとしたお礼がしたい……」
時折振り返っていた少年が、誰に言うでもなく呟いた。
「なら、しっかり大きくなって、一人で顔を見せに行けるくらい、強くならないとな」
いつか少年が自分で仕留めたホーンボアを抱えてあの家の扉を叩く──そんな風景を、俺は想像していた。




