第60話「曇天の街で」
「お頭ぁ。この書類の箱は、どうするんで?」
「ああ、それは廃棄だ。後で裏庭で燃やしとけ」
デノビア国、国境の街ジェノン。
大した特産もない、埃っぽいしけた街だが、奴隷商である俺達にとっては都合の良い根城──だった。
「……うっ!」
木箱を持ち上げようと屈んだ瞬間、腹部に痛みが走る。続けてあの日の恐怖が甦り、背筋を冷たい汗が落ちる。
「おい、ボルズ。まだ痛むのか?」
副長のカイルが赤ら顔を向ける。
「いや。どってこたぁねぇ」
「あれだけの怪我だ。あのヤブ魔法医の治療じゃあ、まだ無理もできねぇだろ」
「のんびりしてる暇はねぇんだよ」
木箱を持ち上げる。
あの日の『仕入れ』。上物を一匹捕まえて、更に一匹。仕事はすこぶる順調のはずだった。
突然現れたバケモノみたいな野郎に、俺たちはあっという間に壊滅させられた。
『治療費』として渡されたワイバーンの素材を売って金にしたが、部下と自分の治療費と、辞めていく腰抜けどもへの餞別で、すっからかんだ。
残った部下は、あの日留守番していたカイルと間抜けのデルプの二人だけ。何とか立て直そうと知恵を絞っていた矢先の顧客からの便りに、俺は鞍替えを決めた。
「お頭ぁ、本当にこの稼業辞めちまうんで?」
書類の箱を抱えたデルプが間抜けな顔をぶら下げて言う。
「何回説明させりゃ、気が済むんだ。キトニアの獣共が魔族と組んで、奴隷どもの解放を求めてきやがったんだよ!」
「そりゃ、魔族は怖ぇですけど……、あんな割のいい仕事はそうそうねぇです」
デカい図体のデルプがしょぼくれた顔で呟いた。
「客からの情報も教えてやっただろうが。国はその求めに応じるつもりだってよ。そうすりゃ、獣人狙いの俺らの仕事は終いだ。面倒に巻き込まれる前にケツまくるんだよ」
「でも……」
「ごちゃごちゃ言ってねぇで、手を動かせ!」
まだ納得してない様子のデルプを叱りつけたところで、扉を叩く音が響き渡った。
カイルとデルプに目配せをして、木箱を降ろした。カイルが腰の剣に手をかけて扉の陰に位置を取る。
──用心に越したことはねぇ。
顎でデルプに出るように促す。
デルプは真剣な顔をしながら小首を傾げた。
──くそっ! 間抜けが。
仕方なく、自ら扉へと向かい、ゆっくりと扉を開ける。
「やぁ、探したよ。その節はどうも──」
そこにいたのは、あの男だった。
全身の毛穴が開き、冷汗が噴き出す。鎧越しに腹に受けた衝撃が再び体を巡ったかのように四肢が強張った。
短髪の黒髪、薄笑いを浮かべたその顔は忘れようもない。
固まる俺にそいつは馴れ馴れしく肩を組み、まるで何事もなかったかのように屋内に入り込みながら言う。
「自己紹介もしてなかったな。俺はユキオ。よろしくな」
舐められたら終わり。身に沁みついているはずの虚勢すら出てこない。
「いやぁ、居てくれてよかった──ちょっと頼みがあってきたんだよ」
肩に乗せられた腕が俺を捕らえる鋼鉄の首輪のように思われた。
◆
ここに来るまでに見た、ジェノンの街はどこか暗い雰囲気に満ちていた。
初老の男性は身を屈め、地面を見つめながらとぼとぼと歩き、対照的に金持ちそうな恰幅の良い男は無表情に付き従う供を連れて周りを見下すように見回しながら歩いていた。
奴隷商ボルズ。こいつはおそらく後者だろう。
俺は扉を開けて出てきたボルズの肩に手を回して、名を名乗り『挨拶』をしたが返事はなかった。
「おいおい、どうした? なんとか言ってくれよ。ボルズさん」
「なんで……俺の名前を……」
ボルズがようやく震える声で返事をする。
「簡単なことじゃないか。冒険者ギルドに行って、ワイバーンを大量に持ち込んできた奴を確認しただけさ」
あれだけのワイバーンを腐る前に処理して金にするには、冒険者ギルドに持ち込むしかない。
「こういうのがあると、色々便宜を図ってもらえるんだよ」
顔の前で冒険者証を収納空間から取り出し、ボルズに見せてやる。
「黒い……冒険者証」
ボルズが目を見開く。
「そういうことだ。話を聞いてもらえるかい?」
ボルズが小さく頷くのを確認して、肩に回した手を離す。
「頭ぁ、お知り合いですかい?」
太っちょの間抜けな顔をした男が顔以上に間抜けな口調で問う。
「デルプ。ちょっと黙ってろ……。カイル。お前も立ち会え」
ボルズはそういうと、部屋の中央に椅子を出して座った。
「悪いが、まだ本調子じゃなくてな」
「まぁ、そうだろうな」
俺も椅子を借りて座る。カイルと呼ばれた男が俺の後方に移動する。
「それで、用件は何だ」
部下の手前、まだ張れる虚勢が残っているらしい。
「具合もよくなさそうだしな。単刀直入に言わせてもらう」
ボルズが軽く身構える。
「顧客のリストをくれ。お前らが仕入れた獣人全員のだ。送り先も含めてな」
俺の言葉にボルズが眉間に皺を寄せる。
「……悪いな。見ての通り店じまいの最中でな。顧客リストは燃やしちまったよ」
ボルズが首を振りながら言う。
一瞬の間があって、デルプが素っ頓狂な声を上げた。
「いやいや、お頭ぁ! さっきの箱に入ってたじゃねぇですか! おれぁまだ燃やしてませんよ!」
ボルズが唖然とした顔をした。
「いい部下を雇ってるな……」
俺が思わず苦笑すると、デルプが「へへっ」と照れ笑いをした。
次の瞬間、後方から殺気を感じ、首を傾ける。
ガンという、鈍い音とともに、俺の肩に打ち込まれた剣が体を覆う魔力に弾かれ、跳ね返った。
「ホント、いい部下雇ってるよ……」
振り返って、驚きの表情で固まったカイルの顔を見る。
「悪いが肩は凝ってないんだよ。ボスの腹でも撫でてやってくれ」
俺がそう言ってから、向き直ると、ボルズは脂汗を垂らして、腹に手を当てていた。
──何か嫌なことを思い出させたらしい。
「……デルプ。さっきの書類の入った箱を、お見せしろ」
指示を受けたデルプが木箱を俺の前に置く。中には、獣人の名前と値段、そして顧客の情報が書かれた冊子が入っていた。
「それで──まだ、ミディガルの指定した回答期限じゃないだろ? 国のお達しもないのに、早じまいしてた理由は何だ?」
ボルズがカイルに目配せをする。
「これだ」
カイルが持ってきた文書を見る。
「──なるほど」
国は早々に獣人の解放を認めることを内々に決定したらしい。回収に先立ち、リストから自分の名前を消す、若しくはリストごと焼き払うよう指示が書いてある。
「獣人の奴隷を求める客は、豪商か貴族と相場が決まってる。稀少価値ってやつだ。国が返せと言っても奥に隠して白を切るつもりなんだろうさ」
「この情報は他の奴隷商も仕入れてるのか?」
「いや、その情報を寄越した客は国の重鎮だ。まだ掴んでるやつは少ないだろうな」
ボルズが吐き捨てるように言った。
「最初にあんたのところに来て正解だったよ」
顧客のリストを収納空間にしまい、ついでに他の『同業者』のアジトの場所を仕入れてから、ボルズのアジトを後にした。
「なぁ、アノン」
呼ばれたアノンが肩の上にちょこんと現れる。
「あいつら嘘ついたりしてなかったか?」
「ああ。おびえてたけど、うそ、ついてない」
アノンは頭部の葉を揺らしながら断言した。
「すごくこわがってたな。なんでだ?」
「前に痛い目見てるからな。それと、たとえ法で許されてても、自分達が悪いことをしてることが、わかってるのさ。だからまた痛い目に遭わされるかもしれない、罰を受けるかもしれないって、怖がってたのさ」
アノンは考えるように首を二、三度傾げた。
「わるいこと、しなきゃいいのにな」
俺はそれを聞いて笑ってしまう。
「本当にそうだよな」
ボルズは、国の重鎮の指示を守れず、顧客の情報を俺に漏らした。
信用をなくせば、貴族や豪商相手の商売はもうできないだろう。
これから奴がどうするのか、俺の知ったことではないが……また痛めつける羽目にならないことを祈った。
「これから、またあいつらみたいな連中のところをまわるぞ」
「そうか」
デノビアの発表前に顧客のリストからティグ族の居場所を突き止め、発表後に即座に回収に移る。
アノンと会話しながら歩く、煤けた雰囲気のジェノンの街。
──急がないとな。
俺の呟きが曇天の空に静かに溶けていった。




