第59話「青き鐘楼の音」
土レンガの壁、窓から日が差し込む。
ムギが用意してくれたキトニア滞在用の居室にも大分慣れた。
世話係の老婆の淹れてくれた少し渋みのある茶を一口飲んでから、小箱の装置を弄る。
「魔王様。聞こえますか?」
『ええ、聞こえるわよ。シェル』
周りに人はいないのか、普段の話し方だ。
「魔王様。状況の報告をいたします。お時間よろしいでしょうか?」
『シェル。今は執務室で一人だから、普通にして。──仕事だから、とかの言い訳も無しよ』
魔王様──ユルの言葉にため息をつく。
「はぁ──わかった」
『よろしい』
ユルが満足げに頷く顔が脳裏に浮かぶ。
『それで、今どんな感じ?』
「キトニアのミディガル帰属に係る文書については、草案はできた。ドルティ宰相の認可待ちで、後は細部の詰めだ」
『調印後の調整を可能にする文言は入れてるんでしょ?』
「ああ、帰属に関する細かい規定については、キトニア民会の裁定をもってミディガル中央と協議の上で合意文書を都度交わすことにしてある」
外から聞こえた子どもらの声に誘われるように、窓に目を向ける。
あの民会の後、協議は急激に加速した。
ミディガルを利用するための交渉。
どこまでを許し、どこまでを守るのか。希望と打算、種族の誇りが交錯した協議が行われた。
結果、二十年の期限付きで自治を認めた上で、キトニアをミディガル属領とし、ミディガルがキトニアに軍の駐屯地を設けるという、大筋が決定された。
『わかった。調印式の直後の動きが重要ね。あたしの出発の調整と編成は進んでるから、遅れのないようにしてね』
「ああ。寄越してくれた官吏たちが優秀だからな、大丈夫だ。任せ切りで申し訳ないくらいだな」
今も別所で、官吏達が細かい詰めの協議を行なってくれている。
『よしよし、それで──』
ユルが話題を変える。
『ユキオはどうしてるの?』
「あいつなら、暇だからって言って、キトニアの周りを巡回したり、ホーンボア狩りを手伝ったりしてるな」
暇だから──といいながらも、巡回をかかさない。一、二度奴隷狩りを見つけて叩き返したようで、我々の到着以降、新たな不明者は出ていない。
「そろそろ、定時の連絡をしてくる頃だな」
そんな話をしていると、──シェルダ。つなぐぞ、とアノンの声が響く。
『シェルダ。美味そうな茸見つけたんだけど、いるか?』
はぁ──。
『相変わらずね。ユキオ』
ユルがけらけらと笑いながら言う。
『おお、ユルディマ──じゃなかった。魔王様もご機嫌麗しく──だっけ?』
『ふふ。デニスみたいなこと言わないでよ』
ユルが楽しげに相手をする。放っておくと無駄話に大輪の花が咲くだろう。
「いい加減にしてくれ──それで、変わったことは?」
『いや、特にないな』
「ならいい。キトニアの帰属文書への調印が済んだら、デノビアへの宣告を即時行うからな。こちらの動きを探られたくない」
デノビアが詳細を掴むために、間者を飛ばしてくることは充分考えられる。
『まぁ、キトニアと魔族の間で何か動きがある、ってくらいは掴んでるんじゃないか?』
「まぁ、そうだろうな」
ユキオの言葉に同意すると、ユルがカサカサと書類を探す音をさせた。
『えーと、諜報からの報告によれば、デノビア国内の様子は今のところ変わりないみたいよ』
『へぇ。そんなこともやってるんだ?』
『まぁね。うちの宰相はすごく優秀だから』
ユルが通信の向こうで胸を張っているのがわかる。
『ところで、リンドはどうしてるの?』
『ああ、リンドなら、ラオとよく遊びに行ってるよ』
『ラオって、例の奴隷狩りから助けた子?』
『ああ。一緒によく図書館に行ってる。司書の人が喜んでたよ』
リンドが本を抱えてラオと歩いているのを見かけたことがある。種族の違いなど感じられない二人の様子が心に残っている。
「とは言え、ほったらかしにはするんじゃないぞ。一応お前が保護者なんだからな」
私が釘を刺すと、アノンも『だからな』と真似をする。
ユキオは憮然として「わかってるよ」と答えた。
ユルの笑い声が小さく響く中、扉を叩く音がした。
「失礼します」
ムギが書類を持って部屋に入ってくる。
「お話し中でしたか?」
「いや、かまわない。どうした?」
ムギの手にある書類に目を遣る。
「これを──」
差し出された書類を見る。
表に人名と年齢、性別が書かれている。
「まとまったのか?」
「はい」
ムギはいつもよりも真剣な顔をしている。
「ユキオ。後ほど写しをお前に渡す。お前の仕事に役立ててもらうぞ」
『ああ。わかった』
いつになく真面目な返事に、ムギと顔を見合わせて頷いた。
◆
キトニアの集落の入口。
俺はリンドと一緒にユルディマが乗っているであろう黒塗りの馬車を眺めていた。
川を馬車ごと渡したのだろう。馬車の側面にはミディガルの紋章が大きく金の意匠でしつらえられている。
周りに居並ぶ兵達の中に、一際大きな体のバルマの姿も見える。
侍従の手により、馬車の扉が開き、中から黒い正装に身を包んだユルディマが、魔王然としてゆっくりと地面に降り立った。
見物に来ていたキトニアの民がその威容に静かに感嘆の声を漏らす。
その声に背を押されるように、小柄な族長が、杖をつきながら近づいていく。
ユルディマはさりげなく身をかがめて、族長と握手をし、言葉をかわした。
そして、再び体を起こし、集まった住民に顔を向けた。
「私が魔族領ミディガルの王。ユルディマ・ノクティスである。初めて踏み入れたキトニアの地、雄大かつ趣き深いこの地をゆっくり見るのは後にしよう! 歴史に残る調印式を急ぎ行うゆえ、証人である皆も立ち会ってくれるな!」
ユルディマの雄弁な言葉に住民達は声を上げた。
数人の護衛を連れて、ユルディマは悠然と調印式が行われる集会場へと向かう。
時折かけられる声に薄く笑みを浮かべて視線で答える様は為政者としての風格を感じさせる。
集会所の入口でシェルダが頭を垂れてユルディマを迎え入れる。
民衆も集会場に集まり、厳粛な雰囲気で調印式が始まった。
長老とユルディマがそれぞれ文書にサインし、それを交換する。
両者のサインが書き込まれた文書をそれぞれ控えていた者が皆に掲げて見せる。
文書をそれぞれ金属製の箱にしまい鍵をかけると、長老が前に歩み出て、咳払いを一つ行った。
「今回のミディガルへの帰属。歓迎するもの、納得の行かぬものそれぞれいるかと思う。しかし、この帰属を実りあるものとするか、子孫に恥じるものとするかはこれからの我々次第になろう。老い先短い身ではあるが、この調印を行った責任者として皆の選択が誤りでなかったと思えるよう努めたいと思う」
長老が静かに語るのを群衆が静かに聞いている。
「そも、このキトニアは北の霊山キノールからの清らかな水を恵みとし、吹き下ろす春の風は西の谷を抜け鐘のごとき音を響かせる。雪融けで空の青を取り込む春のキノール山を『青き鐘楼』と呼ぶ由縁じゃ。願わくば、この調印が春の訪れを告げる青き鐘楼の音として、キトニアに喜びを運んでくれるよう皆の知恵と爪を借りたい──」
長老の話が終わり、さざなみのように拍手が起こる。
続けて、ユルディマが前に進み出る。
「今ここに調印が成り、諸君らは我ら魔族領ミディガルの臣民となった。勇猛果敢にして気高い諸君らをミディガルに迎え入れることに、大きな喜びと期待を持っている。我らミディガルは魔族の国であり、人間からは悪鬼の巣窟の如く語られることも少なくない──だが、魔族とは何か。彼らはその問いに答えを持たない。そもそも魔族とは古くからミディア高原に住まい、魔力を繰る術を磨いてきた一種族だ。そしてミディガルはその魔族のみが暮らす国でもない。魔族、人間、ドワーフ、コボルト……今や多種族が共存し、法と仕組みの元に暮らしており、等しく我が臣民である」
ユルディマはそこで一つ息をついた。
「今まさにミディガルの一員となったティグ族もまた同様である。──しかして、私は魔族領の王、ユルディマ・ノクティスの名においてここに、キトニアに関する宣告を発布する」
集会場全体が息を飲む。
「隣国デノビアに対し、我が臣民の誘拐について非を認め、即時解放を求める宣告を行う! 回答の期限は一週間とし、解放完了期限を二ヶ月とする!」
ユルディマの言葉に集会場が拍手と歓声に包まれる。泣き崩れる女性の背を支えながら、その夫と思しき男性が涙も拭かずにユルディマを見上げている。
鳴り止まない歓声にこれまでの苦悩とこれからの希望が交錯していた。
壇上の端に控えるムギを見ると、まっすぐに正面を見つめ、口を真一文字に結んでいる。
先日話に聞いたリストには、ムギの姉の名前もあるという。
体の前で固く握りしめた手が細かく震えているように見えた。
◆
熱気の冷めやらぬ集会場を、帰途に着く人々の流れに従い後にする。
その最中、シェルダから呼び止められた。隣にはムギも控えている。
「ユキオ。リンドも」
「おう。歴史的瞬間だったな」
「ああ。属領となったからには、もうデノビアの好きにはさせられない」
シェルダは腕組みをして、デノビアの方角を睨んだ。
「デノビアへの伝達はどうしてるんだ」
「事前に手配済みだ。時を合わせて、親書をデノビアの王家に届けることになっているからな」
「なるほど」
俺も西の山を見る。山を抜けて尾根を下ればデノビアとの国境に至るという。
「期限を敢えて短く設定した。明日にもバルマ大将の師団が国境へと向かう予定だ」
「バルマのおっさんが玄関先で睨みを効かせるわけか。それは気が気じゃないな」
「ああ。一気に解放まで持ち込む」
シェルダの目に力が籠り、横に控えるムギが唇を噛んだ。
「──それで」
シェルダの合図で、ムギが紙を二枚、俺に差し出した。
「どうぞ」
一枚は、冒険者ギルドの依頼文書。箔の縁取りのされた『特級』と言われる特殊な依頼文書だ。
もう一枚は、人名などが書かれた例のリスト。
「魔族領ミディガルから、冒険者ギルドへの正式依頼、受注先指定の案件だ」
──なるほど。
「お前に頼みたい。内容は──」
「任せとけ」
言葉を遮って了承した俺を見ながらシェルダが溜息をつき。ムギは少し驚いたように眼鏡を指で直す。
「人の話は最後まで──まぁいい。よろしく頼む」
俺達のやり取りを聞いていたリンドが依頼文書を覗き込む。
「デノビアに誘拐されたミディガル領民の調査及び保護、奪還……」
リンドの呟きにシェルダが頷く。
「国境からは、ミディガル軍が護衛する。デノビア内での方法は任せる。デノビアの回答の内容に関わらず、だ。場合によっては荒事にもなる。リンドはキトニアで待機していてくれ」
シェルダがそう言うと、リンドは頷いて俺を見た。
「わかりました。ユキオさん──よろしく、お願いします」
「ああ。ちょっと行ってくる」
真っすぐ、期待の籠もったリンドの目を見ながら俺は答える。
ムギが一歩前に出て俺を見あげた。
唇をまっすぐに結び、目には薄く涙が滲む。言葉にならない思いがその目にこめられているように見えた。
「お願い……します……」
「ああ。わかった」
ムギの目を見ながら、しっかりと頷いた。
次の行き先はデノビア。
さっさと終わらせてやろう──俺はそう思いながら調査の算段を頭の中で考え始めていた。




