第58話「踏みだすとき」
キトニアの民会は、集落の中央に作られた集会場で行われる。
中央に座る族長は、小柄な老人で、喧騒の中、まるで眠っているかのごとく目を瞑っている。時折白髪から除く耳がピクピクと動いている所を見ると、あれで周囲の状況を探っているのかもしれない。
族長に向かって、左右、併合の是非に分かれて氏族の代表や論客などが席を連ねている。
多くの村民が協議の行方を見届けようと集まり、入りきれずに集会場の外まで人垣は続く。
集会場の中央部、族長の正面の席で俺は自分の置かれた状況が未だに把握できずにいた。
「おい。明日の民会。お前も来い」
シェルダからの有無を言わせぬ言葉があったのは昨夜、レオニさんから「是非とも礼を」と言われて招かれた夕食の後だ。
慣れない文官仕事をしているシェルダの勇姿を野次馬しに行くつもりだったので、何気なく頷いたのだが、当日になり、気付けばこの席に座らされている。
無論、拒否はした。
──したのだが、俺をこの場に引き出したシェルダは「ドルティ宰相からの指示だ」と言って、聞く耳を持たなかった。
切れ者の宰相の、不敵な笑みが頭をよぎる。
一体何を企んでいるのか。
俺を巻き込んだシェルダはと言えば、併合推進派の重鎮の横ですました顔で座っている。
俺の視線に気づいたシェルダはチラリとこちらを見て、表情を変えずに目を逸らした。
──あんにゃろう。
喧騒に満ちた集会場、人波をかき分けながら、何やら書類を抱えたムギと一緒にシャオが入ってきた。
二人は軽く目配せをしてから、ムギは推進派へ、シャオは反対派の方へと向かう。
目で追っているとムギが推進派の席でシェルダに何やら耳打ちして、小箱を手渡した。
頷きあった後、ムギは推進派の首魁と思しき壮年の男性の元へと向かう。
周囲の喧騒で何を話しているのかはわからないが、慌てる様子が見てとれる。
──何かやる気か?
そうしている間に、族長が机の上に置かれた木製の台座を木槌で鳴らした。
喧騒で満ちた集会場が徐々に静けさに包まれていく。狼狽していた推進派の面々も、焦った顔をしながら押し黙る。
「民会を開催する……」
長老の嗄れた声が集会場に木霊した。
「それで……今回はどういう話だったかな?」
長老が隣に座るお付きらしき男性の方を向いて言った。
「今回は、ミディガルから参考人を招致し併合に関する意見を聞くことになっています」
「ああ、そうそう。では早速──と言いたいところだが、モドよ。開始前に何やら慌てていたようだが……話してはくれんか?」
長老の視線がモドと呼ばれた、併合推進派の首魁へと向く。
「は、はい……ええと……」
普段は理知的であろうその男性は、何があったのか、話しあぐねている。
「私が代わろう」
シェルダがすっと手を挙げた。
「ふむ。お願いしよう」
族長がそれに答える。反対派の面々も何があっているのか、訝しんでいる。
「先に、我ら魔族領ミディガルの政策の転換について、ここでお詫び申しあげる」
シェルダの言葉に、ざわめきが起こる。
「静粛に」
族長が、コンコンと木槌を鳴らす。
「当方が二年前に行ったキトニア併合に関する申し入れについて、昨日行われた諸侯会議において方針の変更が決定した。詳細は現在早馬にて送られてきている正式な書面をご確認いただきたい」
「変更の内容を聞かせてもらえるかな?」
族長が静かに問い質す。
「当方、魔族領ミディガルはキトニアの併合について、これを積極的には行わないこととした」
シェルダの言葉に場内にどよめきが起こる。
人々から上がる困惑、そして不審の声を断ち切るように、反対派の一人、いやに体格の良い獅子髭の男が手を挙げた。
「ハグス」
族長が木槌を軽く鳴らして、名前を呼ぶ。
「一つ聞きたい。俺はミディガルがキトニアとの併合を打診してきたことは、ミディガルが資源、そして兵力を欲していると踏んでいた。違うか?」
「有り体に言えばそうだ」
シェルダが表情を変えずに答える。
「腹芸はできないようだな。では、もうその理由がなくなった、というわけか」
「積極的に求めなくとも良い状況となった、とだけ言っておこう」
二人の会話に、推進派の一人が割って入る。
「では、デノビアはどうなる。奴隷狩りを止めるにはミディガルの力添えが必要だ!」
シェルダに向かってそう言って机を叩き、周囲からも肯定の声が上がった。
話し合いの構図が乱れている。どう収拾をつける気なのか。
「俺はこれまで、散々言ってきたんだがな。奴隷狩りは俺達民兵で対応する。そのために必要なのは、民兵の数だ」
「それでは、根本的な解決に至らないとも、これまで話してきただろう!」
ハグスの言葉に推進派が反駁し、場内のざわめきが波立つように大きくなる。
場が荒れてくるのを見て、族長が無言で木槌を軽く叩く。
緩やかな木の音が数度響き渡り、皆が族長に注目する。
「ムギ。それと、青い鐘楼亭のシャオだったかな?」
気付けば、推進派の末席、そして反対派の後ろの席でムギとシャオが、それぞれ手をまっすぐに挙げていた。
「どちらから話を聞こうか」
族長が穏やかにそう言うと、ムギとシャオは目配せをしてから二人で中央に歩み出て、族長に向き直った。
「あたし達、二人で話し合ったことです──だから、二人の意見として聞いて下さい」
シャオが族長や周りを見ながらそう言うと、ムギが静かに息を吐いた──
◆
『もう一回、ちゃんと、話したくなった』
あの日の晩のシャオの言葉。
久しぶりに顔を突き合わせた親友の顔は、前に見た時より少し大人びて見えた。
その日二人で、最初はポツポツと、次第に昔のように、時に笑いあいながら、時に顔をしかめて、沢山の話をした。
──そして、一つの結論に至った。
集会場の熱気の中、隣に立つシャオが私を見て頷いた──うん。やろう。
私はお腹に力を込めた。
「このままではいけない──。これは、私達二人が共有した意見です」
私がそう言うと、集会場から、ため息とも苦笑ともとれない声が聞こえた。構わず続ける。
「では、その『このまま』とは、どの状態をさすのでしょう? 二人で考えました。女性や子ども達が拐われる忌まわしい現状のことなのか、長閑だけど進歩に乏しい今の暮らしのことなのか……」
そこまで言って息をついた。
「それらは、確かにそのままにしてはおけない、『このまま』です。──だけど、本当にそのままにしておいてはいけないのは、問題に対して手をこまねいて悩むだけの、日々なのではないかと考えます」
推進派の席から、モドさんが声を上げる。
「だから、こうして話し合って──!」
「そう。話し合ってるだけです」
「ぐっ──」
攻撃する気はない。まずは整理したいだけ。
「私達は、ミディガルという相手の大きさに萎縮して、取り込まれるか、それとも噛みつくのか──」
一瞬、言葉が詰まる。
横目でシャオを見ると、まっすぐに背筋を伸ばして前を向いている。
あの日シャオが鳴らしてくれたノックの音が、心のなかで響いた。
「その二択に──逃げてしまったのではないでしょうか?」
推進派、反対派の皆の顔が険しくなる。
シャオが周囲を見回して、口を開く。
「あたしは──母さんが好きだったこのキトニアとそこでの暮らしを守りたいって思ってます。そして、魔族は私達を支配して今の暮らしを壊してしまうに違いないって……思ってました」
シャオが自分のシャツの胸元を握りしめる。
「でも、あたしは何も知らなくて……知ろうともしてなかった。知らないと……何も決められないのに」
シャオの声は少し震えている。
「だから、ちゃんと知ってから、それからもう一回考えようって思って、ムギと魔族の人に会いに行きました。少し怖かったけど、色々と話を聞いて、それからまたムギと話して二人で思ったんです」
私はシャオの背中に手を添えて、皆に向けて言う。
「もう一度、考えられないでしょうか? 併合でも反発でもない、私達の問題を解決する方法を。魔族領の方を招いた今こそ、それを改めて考える機会にできないでしょうか?」
私とシャオの言葉に皆が顔を見合わせ、さざめきが広がるように静かなやり取りが始まる。
──併合でも反発でもないって……。
──中途半端な態度でミディガルから支援を受けられるのか?
──それを今なら直接やり取りできるってことだろ?
──デノビアも魔族が駐屯しているだけで奴隷狩りを控えるんじゃないか?
──その間に、民兵の募集と編成をすれば……。
ハグスさんは皆のやり取りを、腕を組んでじっと聞いている。
「シェルダ・イングウェル。貴殿に聞きたい」
ハグスさんの大きく、よく通る野太い声が集会場に響き、辺りが静まり返った。
「先ほど、ミディガルは併合を『積極的には』行わないと言ったな」
「ああ」
「それは、我々に『槍を預けた』と考えてよいのか?」
戦場での言い方で、権限や裁量を認めるといった意味だ。
「それについては──」
シェルダ様が小箱を机の上に置いた。
「直接、司令官に聞いてもらおうか」
そして、小箱を操作すると、小箱から威厳を伴った低い声が響いた。
『シェルダ。こちらの声は聞こえているか?』
「はい」
シェルダ様が答える。
『ふむ。事後になって申し訳ないが、今回の協議、最初から聞かせていただいていた』
「司令官……というと……」
シェルダ様の隣で、モドさんが額の汗を拭った。
『申し遅れた。魔族領ミディガル、宰相のドルティ・ウェグナである』
対面に座るハグスさんが、隠しきれないように笑みをこぼし、段々と肩を震わせて大笑した。
「なんと、かの『不動の氷壁』ドルティ閣下に切り込みをさせるとは! 豪気なことだ!」
ハグスさんの言葉にシェルダ様が笑みで答える。
『その声を聞くと、戦場が懐かしくなるな。ハグス殿。貴君のおられた傭兵団には散々手こずらされた』
「世辞は結構。結局抜けずじまいのうちに、雇い主の契約不履行で、泣く泣く帰る羽目になったのだからな」
『その折には、雇い主には感謝したものだ』
「何を。そう仕向けたのは閣下でしょうに」
『ふふ。力押しでは、少々分が悪かったのでな』
その言葉を聞いて、ハグスさんはまた笑った。
『族長殿。挨拶が遅れて申し訳ない。勝手ながら、話は聞かせていただいた』
族長が木槌から手を離して顎髭を擦る。
「これはこれは。宰相自らキトニアの事に耳を傾けてくださる。有難いことです」
『それで──先のハグス殿に対する答えだが』
少し緩んだ空気がぴん、と引き締まった。
『ミディガルにおいては、キトニアの地理的条件と精強な兵を今後の国家運営において重要なものと考えている。それは併合の打診の時より変わりない。ただし、先の会議において、その方針について一部変更があった』
「それは……どのような?」
モドさんがおずおずと問いかけた。
『併合という形にこだわらない、ということだ。先ごろ長年の懸案であった事態が好転した。これを受けて、ある種支配的とも言える併合に拘る必要がなくなった』
どういうことなのかは、王都でも、さっき打ち合わせた時にも詳細は語られなかった。
「随分勝手な言い草にも聞こえますな」
ハグスさんが歯に衣を着せずに言う。
『うむ。否定はせぬ。だからこそ──“槍を預ける”理由にもなる』
「なるほど──」
ハグスさんが、考え込むように腕組みをした。
「槍の向く先は我々次第──さて、どうしたものか……」
族長が誰にともなく問いを投げる。
すると、シェルダ様が狙いすましたように口を開いた。──打ち合わせの通りやるつもりだろうけど、本当に大丈夫なのだろうか?
「ユキオ。お前はどう思う?」
瞬間、会場の視線が族長の対面に座るユキオさんに向く。
「え? 俺?」
ユキオさんが、頬を叩かれたように驚いた顔をする。
「ああ」
シェルダ様が笑みを殺しながら頷く。ユキオさんが困惑しているのを愉しんでいるようにも見える。
ドルティ宰相が追撃のように付け加える。
『ユキオ殿は、世にも稀有な冒険者等級“黒”であり、我らミディガルの恩人。特別にその場に同席願った。利の外の者として忌憚ない意見を伺いたい』
私達の後ろでユキオさんがぶつぶつと恨み言を呟いている。
しばしの間があって、ユキオさんがため息をついた。
「えー……。僭越ながら……ほんっっ……とうに、僭越ながら意見を言わせてもらうと、この状況だったら──キトニアは、わがままを言っていいと思う」
思わず、振り返る。
「普通であれば、大きいものに、小さいものは吸収されるだけかもしれない。ただ、今はその大きい相手であるミディガルがどうするのかを、キトニアに預けてる」
ユキオさんは、そこで少しの間を置いた。
「意思を預けたんだ。大きい方が出された意見を聞いて調整する役目を担うはずだろ?」
「だが……」
モドさんが不安げにシェルダさんと、小箱の向こうのドルティ宰相を見やる。
「この数日、キトニアで過ごさせてもらっての感想だけどさ。この街の人達は、悲しい目にあってるのに、目が煤けてない。希望を見つけるために真剣に生きてる、そんな気がしたよ」
ユキオさんが言葉を続ける。
「小さくても存在感がある。そういう強さを持った街だと思う。──それこそ、ウトレネの根っこみたいに、少量でも鼻に抜ける刺激でデカい肉の味を引き立てるみたいにさ」
──つん、と刺激的で、でも爽やかな香りとともに、姉さんと囲んだ食卓が脳裏に蘇る。
デノビアに姉さんが拐われた後。取り返すためにどうしたらいいのか、怒りと苦悩に塗れた日々の中に湧いて出た併合の打診。私は飛びついた。
魔族領になれば──姉さんが救える。無力な私達にできることはそれしかないと思った。
でも、本当に私達にそういう力があるのなら、ウトレネのように小さくても、味わいを変えられるようなそんな力があるのなら──。
「だから、自信と誇りを持って、堂々と、そこのちょいと意地の悪い魔族達をしっかり利用してやればいいさ」
一瞬の静寂の後、ハグスさんの大笑と、シェルダさんの苦笑い、モドさんの唖然とした顔が交錯した。
薄く笑みを浮かべた族長が、静かに木槌を一度打ち鳴らし、静かに口を開く。
「さて、ではムギ。その併合でないやり方。何か腹案があるのではないかな?」
族長が私が握りしめた書類をチラリと見て言った。
私はシャオと顔を見合わせて頷きあった。
「はい──!」
集会場は静かな、でも前のめりの空気に包まれている。これからだ。
私の仕事はこれから。
シャオが私の手をそっと握る。
子どもの頃と変わらない温かな感触に、シャオと手を取り合って走り回った日々を思い出す。
雨が降ればぬかるむキトニアの道、それを気にも留めずに二人で踏み出した、懐かしい日々を思い出しながら──私は、熱気を含む集会場の空気を大きく吸った。




