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【完結】悠々異世界漫遊譚 〜引退してもいいですか? そうして始まった旅路は、世界の根幹に触れる〜  作者: かたか那由他
第5章

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第56話「青い鐘楼、青い瞳」

 森を抜けると、木の柵と草葺きの屋根、その奥には幾筋かの炊煙が見える。


 魔族領のミディガルとも、人間の街ゴディとも違う長閑な風景に、俺の心がふつふつと浮き立っていくのを感じる。


「ここがキトニアです」


 ムギが先導して、集落の入口へと向かう。


「ラオ! タミ!」


 入口近くで所在なく立っていた女性が、二人の姿を見つけるなり、駆け寄ってくる。


「お母さん!」


 ラオとタミが母の腕の中へ飛び込む。


 少し遅れて、父親とおぼしき男性が近づいてきて、三人を抱きしめた。


「無事でよかった……」


 ラオたちと同じ赤茶色の髪、年は俺より少し上くらいかもしれないが、蓄えた髭のせいか俺よりよっぽどしっかりして見える。


「ムギ。子どもたちを見つけてくれてありがとう」


 男性はムギの方へ向き直り礼を言う。


「レオニさん、私は何も……。デノビアの奴隷狩りに狙われたところを彼らに助けられたの」


「そうか」


 レオニと呼ばれた男性は俺を見て、自分の胸に手を当てた。


「娘たちを助けてくれてありがとう。心から礼を言う」


「見過ごせなかっただけだよ」


 ──本心だ。


 手に届く範囲だけでも助けたくて、柄にもなく自ら前に出た。ただ、それだけだ。


「是非何か礼をしたいのだが……」


「いや、ラオも怪我をしてるし、タミさんも疲れてるだろ? 今は家族でゆっくり過ごしてよ」


 俺がそう言うと、レオニは俺の手をとって、噛み締めるように、恩に着る──と言った。


「私とシェルダ様は報告をしてから、族長の元へ参ります。ユキオさん達には宿を紹介しますので、そちらへどうぞ」


「ああ、ありがとう」


「レオニさんも、先ほどユキオさんが言われた通り、まずは子ども達をゆっくりさせてあげて下さい」


 ムギがレオニにそう言うと、レオニは再度礼を述べて家族とともに集落の中へ戻っていった。


 ラオが振り返りながら、大きく何度も手を振った。


「さぁ、行きましょう」


 ムギの顔がほんの少し引き締まったように見えた。


 ……


 土レンガ作りの壁に草葺きの屋根の家々が立ち並ぶ集落を、ムギの先導に従って歩く。


 時折向けられる胡乱げな視線は、併合に反対する者たちのものか。


 ムギはそれをはねつけるように、胸を張ってまっすぐ歩いている。


「あそこが宿です」


 しばらく歩き、見えてきた看板を差してムギが言った。


「あそこがオススメの宿?」


 ベルのついた扉、通りに大きく設けられた窓の奥に立ち働く人影が見える。


「食堂はいくつかありますが、宿を兼ねているのはこの集落ではあそこだけです。そう旅人も多くありませんから、二部屋くらいはきっと空きがあるでしょう」


 立ち止まって、その建物を眺めながらムギは答える。


「食堂に併設なら、食事には期待できそうだ」


「期待するのはいいが、城の食堂の時みたいに、わがまま言うんじゃないぞ」


「わがままとはなんだよ。あれは、お互いの食文化の交流だよ」


 シェルダの冗談混じりの嫌味に反論する。


「物は言いようだな」


「ホントですね」


 呆れたように言うシェルダに、リンドがくすくすと笑いながら同意した。


「食事は生きる楽しみだぞ。こだわる余裕が大事なんだよ」


 俺がそう言うと、二人が顔を見合わせて苦笑した。


「食事は期待を裏切らないと思いますよ。おじさんの──いえ、店主の腕は確かです」


 ムギが看板を見ながら言った。


「よし、じゃあ俺たちは先に宿をとるけど、シェルダはどうするんだ?」


「シェルダ様には、こちらで逗留先をご用意してますので」


「だそうだ。明日にでも逗留先は知らせるから、何かあったら来たらいい」


 リンドに向かってそう言うと、シェルダとムギは、通りを先へと進んでいった。


「じゃあ俺たちも行こう」


 リンドを伴って、宿へと向かう。


「『青い鐘楼亭』……変わった名前ですね」


 リンドが看板を見て言った。


「何か謂れがあるのかもな」


 話しながら、扉を開く。涼やかな音のドアベルが鳴る。


「いらっしゃい!」


 ベルの鳴り終わりを待たず、若々しい、溌剌とした声が俺達を出迎えた。


「お二人さまね? お泊りかな?」


 獣人の少女。ムギと年は近いだろうか。


 ショートカットのオレンジがかった茶色の髪は、軽いウェーブがかかっており、頭部の耳が興味深げに、こちらを向いている。


 青みがかったつぶらな瞳は、その声と同じく溌剌とした光をたたえて、俺達を見ている。


 自然な笑みを浮かべた表情は愛想以上の愛くるしさがある。


「ああ、しばらく逗留したいんだけど、部屋は空いてるかい?」


「もちろん! 一部屋? 二部屋?」


「二部屋で頼む」


 少女は頷くと、カウンターへ向かい、鍵の束と帳面を出した。


「はい。この宿帳にそれぞれ名前をお願い。部屋は隣同士、二階の奥から二部屋ね」


 手際よく、束から鍵を外してカウンターに置く。


「これでいいかな?」


 リンドが書き終わったのを確認して、帳面を渡す。


「はい。えっと、ユキオにリンドね」


「ああ、よろしく頼むよ。えっと──」


 どう呼んだものか一瞬考える。


「ごめんなさい。自己紹介もしてなかったね。シャオよ」


 自分を指差してにっこりと笑う。口元からチラリと覗く犬歯が笑顔に可愛げを足している。


 思わず、リンドと二人微笑み返した。


 ……


 その日の夕食。


「はい! おまちどうさま!」


 騒がしい店内の音に負けない、よく通る声とともにシャオが俺達の前に皿を並べていく。


 野菜と干し魚で出汁をとったスープ。日本人の俺には馴染み深い香りだ。


 厚めに切られた黒パン。


 そして、中央に置かれたのが、これまた厚めにカットされたステーキ。肉の上には香草が添えられている。


「うちの自慢のホーンボアのステーキよ」


 ステーキにかけられたソースは、肉汁とワインビネガーがベースのようだ。


 野趣溢れる香りが湯気とともに立ちのぼる。


「それと、これ」


 テーブルの中央に小さな容器を置く。


 蓋を開けると、緑色のペーストが入っている。小さじに乗せて顔に寄せると鮮烈で爽やかな香りがつん、と鼻に抜ける。


 ──これは!


「なぁ、これって……」


「びっくりした? キトニアの特産品、ウトレネよ。鼻にくるから気をつけて」


「俺の故郷によく似たのがあったよ。わさび──って呼んでた。こっちで味わえるとは思わなかったよ」


 懐かしい感覚。鼻を抜けた香りが郷愁を運んできた。


「そうなの? 綺麗な水の所にしか生えないから、このへんでしか採れないと思ってた」


 リンドも試しに嗅いで、あわてて鼻を抑えている。


「つけるとつけないじゃ全然違うから、やってみてね。リンドちゃんは、ほんの少しね」


 そう言い残して、シャオは軽やかにキッチンへと戻っていく。


「じゃあ、いただこうか」


「はい!」


 カットされた厚いホーンボアの肉の上に、ウトレネのペーストを少し乗せて口に運ぶと、ビネガーと肉汁の香りが鼻腔をくすぐった。


 ともすればしつこくなりがちな、ボアの脂をビネガーの酸味とスパイスが整え、わずかに振られた塩がその複雑な味を引き立てる。


 そして、ウトレネの鼻に抜ける香りと辛みが口内を洗い流し、満足感と味の余韻が静かに残る。


 ──美味い。


 リンドを見ると、口を動かしながら目を見開いている。


 二人で目を合わせて微笑み合う。


 無心で肉を頬張り、合間にスープに浸して優しい風味を存分に含ませた黒パンで舌を休ませる。


 最後に残しておいたスープをすすってほっと息をつくと、腹に満ちた充足感に思わず笑みが溢れた。


「ごちそうさまでした」


 思わず手を合わせる俺をリンドが不思議そうに見ていた。


「ああ、これは俺の故郷の、食後の──感謝の祈りみたいなものだな」


「感謝……」


「ああ、食材や、作ってくれた人に対する感謝」


 それを聞いたリンドが俺と同じように手を合わせた。


「ごちそうさまでした」


 そう言うと、リンドは俺を見て笑った。


 水を飲んで人心地ついている俺達を見ながら、シャオと男性が何やら話している。


 気にはなるが、ひとまず部屋へと戻る。


 部屋の前で、リンドの荷物を収納空間から取り出した。


「おやすみ」


 荷物を渡しながら俺がそう言うと──おやすみなさいと、リンドはにこやかに返した。


 自分の部屋に戻ろうとしたところで、後ろからシャオに声をかけられた。


「ねぇ、ちょっといい?」


 シャオが手招きする。


 ついて行くと、シャオは階段の手すりに寄りかかって、小さく息をついた。


「あなたたち、魔族の連れなんだって?」


 先ほどまでの快活な様子は鳴りを潜め、真剣な表情をしている。


「ああ、ミディガルからの道連れだな」


「そう……」


 シャオは何事かを考えた後、決意したように口を開く。


「聞かせて。──あなた達は、キトニアを支配しにきたの?」


 青い瞳が挑みかかるように、こちらをじっと見つめていた。

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