第56話「青い鐘楼、青い瞳」
森を抜けると、木の柵と草葺きの屋根、その奥には幾筋かの炊煙が見える。
魔族領のミディガルとも、人間の街ゴディとも違う長閑な風景に、俺の心がふつふつと浮き立っていくのを感じる。
「ここがキトニアです」
ムギが先導して、集落の入口へと向かう。
「ラオ! タミ!」
入口近くで所在なく立っていた女性が、二人の姿を見つけるなり、駆け寄ってくる。
「お母さん!」
ラオとタミが母の腕の中へ飛び込む。
少し遅れて、父親とおぼしき男性が近づいてきて、三人を抱きしめた。
「無事でよかった……」
ラオたちと同じ赤茶色の髪、年は俺より少し上くらいかもしれないが、蓄えた髭のせいか俺よりよっぽどしっかりして見える。
「ムギ。子どもたちを見つけてくれてありがとう」
男性はムギの方へ向き直り礼を言う。
「レオニさん、私は何も……。デノビアの奴隷狩りに狙われたところを彼らに助けられたの」
「そうか」
レオニと呼ばれた男性は俺を見て、自分の胸に手を当てた。
「娘たちを助けてくれてありがとう。心から礼を言う」
「見過ごせなかっただけだよ」
──本心だ。
手に届く範囲だけでも助けたくて、柄にもなく自ら前に出た。ただ、それだけだ。
「是非何か礼をしたいのだが……」
「いや、ラオも怪我をしてるし、タミさんも疲れてるだろ? 今は家族でゆっくり過ごしてよ」
俺がそう言うと、レオニは俺の手をとって、噛み締めるように、恩に着る──と言った。
「私とシェルダ様は報告をしてから、族長の元へ参ります。ユキオさん達には宿を紹介しますので、そちらへどうぞ」
「ああ、ありがとう」
「レオニさんも、先ほどユキオさんが言われた通り、まずは子ども達をゆっくりさせてあげて下さい」
ムギがレオニにそう言うと、レオニは再度礼を述べて家族とともに集落の中へ戻っていった。
ラオが振り返りながら、大きく何度も手を振った。
「さぁ、行きましょう」
ムギの顔がほんの少し引き締まったように見えた。
……
土レンガ作りの壁に草葺きの屋根の家々が立ち並ぶ集落を、ムギの先導に従って歩く。
時折向けられる胡乱げな視線は、併合に反対する者たちのものか。
ムギはそれをはねつけるように、胸を張ってまっすぐ歩いている。
「あそこが宿です」
しばらく歩き、見えてきた看板を差してムギが言った。
「あそこがオススメの宿?」
ベルのついた扉、通りに大きく設けられた窓の奥に立ち働く人影が見える。
「食堂はいくつかありますが、宿を兼ねているのはこの集落ではあそこだけです。そう旅人も多くありませんから、二部屋くらいはきっと空きがあるでしょう」
立ち止まって、その建物を眺めながらムギは答える。
「食堂に併設なら、食事には期待できそうだ」
「期待するのはいいが、城の食堂の時みたいに、わがまま言うんじゃないぞ」
「わがままとはなんだよ。あれは、お互いの食文化の交流だよ」
シェルダの冗談混じりの嫌味に反論する。
「物は言いようだな」
「ホントですね」
呆れたように言うシェルダに、リンドがくすくすと笑いながら同意した。
「食事は生きる楽しみだぞ。こだわる余裕が大事なんだよ」
俺がそう言うと、二人が顔を見合わせて苦笑した。
「食事は期待を裏切らないと思いますよ。おじさんの──いえ、店主の腕は確かです」
ムギが看板を見ながら言った。
「よし、じゃあ俺たちは先に宿をとるけど、シェルダはどうするんだ?」
「シェルダ様には、こちらで逗留先をご用意してますので」
「だそうだ。明日にでも逗留先は知らせるから、何かあったら来たらいい」
リンドに向かってそう言うと、シェルダとムギは、通りを先へと進んでいった。
「じゃあ俺たちも行こう」
リンドを伴って、宿へと向かう。
「『青い鐘楼亭』……変わった名前ですね」
リンドが看板を見て言った。
「何か謂れがあるのかもな」
話しながら、扉を開く。涼やかな音のドアベルが鳴る。
「いらっしゃい!」
ベルの鳴り終わりを待たず、若々しい、溌剌とした声が俺達を出迎えた。
「お二人さまね? お泊りかな?」
獣人の少女。ムギと年は近いだろうか。
ショートカットのオレンジがかった茶色の髪は、軽いウェーブがかかっており、頭部の耳が興味深げに、こちらを向いている。
青みがかったつぶらな瞳は、その声と同じく溌剌とした光をたたえて、俺達を見ている。
自然な笑みを浮かべた表情は愛想以上の愛くるしさがある。
「ああ、しばらく逗留したいんだけど、部屋は空いてるかい?」
「もちろん! 一部屋? 二部屋?」
「二部屋で頼む」
少女は頷くと、カウンターへ向かい、鍵の束と帳面を出した。
「はい。この宿帳にそれぞれ名前をお願い。部屋は隣同士、二階の奥から二部屋ね」
手際よく、束から鍵を外してカウンターに置く。
「これでいいかな?」
リンドが書き終わったのを確認して、帳面を渡す。
「はい。えっと、ユキオにリンドね」
「ああ、よろしく頼むよ。えっと──」
どう呼んだものか一瞬考える。
「ごめんなさい。自己紹介もしてなかったね。シャオよ」
自分を指差してにっこりと笑う。口元からチラリと覗く犬歯が笑顔に可愛げを足している。
思わず、リンドと二人微笑み返した。
……
その日の夕食。
「はい! おまちどうさま!」
騒がしい店内の音に負けない、よく通る声とともにシャオが俺達の前に皿を並べていく。
野菜と干し魚で出汁をとったスープ。日本人の俺には馴染み深い香りだ。
厚めに切られた黒パン。
そして、中央に置かれたのが、これまた厚めにカットされたステーキ。肉の上には香草が添えられている。
「うちの自慢のホーンボアのステーキよ」
ステーキにかけられたソースは、肉汁とワインビネガーがベースのようだ。
野趣溢れる香りが湯気とともに立ちのぼる。
「それと、これ」
テーブルの中央に小さな容器を置く。
蓋を開けると、緑色のペーストが入っている。小さじに乗せて顔に寄せると鮮烈で爽やかな香りがつん、と鼻に抜ける。
──これは!
「なぁ、これって……」
「びっくりした? キトニアの特産品、ウトレネよ。鼻にくるから気をつけて」
「俺の故郷によく似たのがあったよ。わさび──って呼んでた。こっちで味わえるとは思わなかったよ」
懐かしい感覚。鼻を抜けた香りが郷愁を運んできた。
「そうなの? 綺麗な水の所にしか生えないから、このへんでしか採れないと思ってた」
リンドも試しに嗅いで、あわてて鼻を抑えている。
「つけるとつけないじゃ全然違うから、やってみてね。リンドちゃんは、ほんの少しね」
そう言い残して、シャオは軽やかにキッチンへと戻っていく。
「じゃあ、いただこうか」
「はい!」
カットされた厚いホーンボアの肉の上に、ウトレネのペーストを少し乗せて口に運ぶと、ビネガーと肉汁の香りが鼻腔をくすぐった。
ともすればしつこくなりがちな、ボアの脂をビネガーの酸味とスパイスが整え、わずかに振られた塩がその複雑な味を引き立てる。
そして、ウトレネの鼻に抜ける香りと辛みが口内を洗い流し、満足感と味の余韻が静かに残る。
──美味い。
リンドを見ると、口を動かしながら目を見開いている。
二人で目を合わせて微笑み合う。
無心で肉を頬張り、合間にスープに浸して優しい風味を存分に含ませた黒パンで舌を休ませる。
最後に残しておいたスープをすすってほっと息をつくと、腹に満ちた充足感に思わず笑みが溢れた。
「ごちそうさまでした」
思わず手を合わせる俺をリンドが不思議そうに見ていた。
「ああ、これは俺の故郷の、食後の──感謝の祈りみたいなものだな」
「感謝……」
「ああ、食材や、作ってくれた人に対する感謝」
それを聞いたリンドが俺と同じように手を合わせた。
「ごちそうさまでした」
そう言うと、リンドは俺を見て笑った。
水を飲んで人心地ついている俺達を見ながら、シャオと男性が何やら話している。
気にはなるが、ひとまず部屋へと戻る。
部屋の前で、リンドの荷物を収納空間から取り出した。
「おやすみ」
荷物を渡しながら俺がそう言うと──おやすみなさいと、リンドはにこやかに返した。
自分の部屋に戻ろうとしたところで、後ろからシャオに声をかけられた。
「ねぇ、ちょっといい?」
シャオが手招きする。
ついて行くと、シャオは階段の手すりに寄りかかって、小さく息をついた。
「あなたたち、魔族の連れなんだって?」
先ほどまでの快活な様子は鳴りを潜め、真剣な表情をしている。
「ああ、ミディガルからの道連れだな」
「そう……」
シャオは何事かを考えた後、決意したように口を開く。
「聞かせて。──あなた達は、キトニアを支配しにきたの?」
青い瞳が挑みかかるように、こちらをじっと見つめていた。




