第55話「奴隷狩り狩り」
静かな、冷たい声。
それを耳にしたリンドが、微かに震える手で私の服を握った。
「シェルダさん……」
ユキオを見るエメラルドグリーンの瞳はわずかに潤んでいる。
賊共から隠すようにリンドの前に立つ。私は出る気はない。
これはユキオの怒りだ。
ユキオはムギの返事を待たなかった。
私を含め、その場にいた誰一人ユキオの動きを捉えることはできなかった。
まず一人、もっとも少年の近くにいた、太った男が鈍い衝突音とともに吹っ飛んだ。
「なんだぁ!?」
リーダー格の男が叫ぶ。
その問いの答えは、木の幹に激突した本人すら、持ち合わせないだろう。
賊共が武器を構えるより早く、一人また一人と、ある者は足の骨を砕かれ、ある者は激しく木に受け止められた。
ムギは耳でユキオの動きを察知し、少年の元へ駆け寄る。
それに気付き、振りかぶってムギに迫る男の腕は、一瞬であらぬ方向に曲がり、蹲って苦悶の声を上げた。
ふと気付く。
──あれだけ怒ってもなお、か。
どいつも息がある。
「くそがぁっ!」
リーダー格の男が仲間を巻き込みながら、自身の周りに炎を巡らせる。
下手な魔法、そして愚かな策だ。
慌てて火を逃れようとした手下は、剣を振ることすらできず、ユキオの拳の餌食になり、地面に伏した。
そして──
十五、六人いた賊は、リーダー格の男一人だけになっていた。
足元に広がる炎を一瞥もせず、ユキオはゆっくりとリーダー格の男に迫る。
自らの放った炎に阻まれ、男の後退は終わった。
「うぉわぁぁああ!」
悲鳴ともかけ声ともつかない叫びを上げながら剣を振りおろす。
ユキオがそれを無造作に拳で払うと、乾いた金属音とともに折れた刃が宙を舞った。
なおも迫るユキオに威圧され、リーダー格の男は尻餅をつき、短くなった剣をめちゃくちゃに振りながら後ずさる。
後頭部を炎に炙られ、男は短い悲鳴を繰り返しながら恐怖に駆られた目で炎に赤く照らされたユキオを仰ぎ見る。
それを無表情で見下ろすユキオが細く、長く息を吐いた。
──難儀なことだな。
怒りと自制の狭間。ユキオは口を引き絞った。
そして、一瞬の間の後、蹴り飛ばされた男は炎を突っ切り、木へと激突して崩れ落ちた。
「ふぅ……火を消そう」
そう言って、振り返った時には、いつもの、気の抜けたゆるい顔があった。
リンドが燐光を放ち、光が炎を遮る。
空気を遮断された炎は、細い煙を残して静かに消えた。
「……リンド、ありがとな」
困ったような顔をしたユキオが燐光の光に照らされながら礼を言う。
次の瞬間。駆け出していたリンドが、ユキオの胸に抱きついていた。
「……心配かけて、ごめんな」
ユキオがリンドの頭に手を置くと、リンドはユキオのシャツに顔を埋めたまま、ふるふると頭を振った。
……
「それで、こいつらどうする?」
全員をロープで縛りあげたユキオが問う。
相手はムギだ。
意識のあるものもいるが、ユキオの「黙ってろ」の一言で石像のように固まっている。
ムギは賊を睨みつけ、細かく震えた後、振り絞るように言った。
「……どうも……できません」
「は?!」
ユキオが声をあげた。
ムギが俯いたまま話を続ける。
「こいつらは……集落の西に隣接したデノビアの民です。デノビアの法では、ティグ族をはじめとした獣人を奴隷にするために狩る行為が認められています」
「……」
ユキオの目に驚きと怒りの色がこもる。
「集落の法や決まりで裁くことはできないんですか?」
リンドがたまらず声を上げた。
「集落の掟に照らせば、彼らは裁けるでしょう……ですが──」
「デノビアがキトニアに攻め込む大義名分になる」
言葉を失ったムギに代わって、私がそう補足すると、ユキオがしゃがみこんで俯いた。
「──異世界ってのは……」
微かな音で発されたユキオの呟きは風の音にかき消され私の耳にははっきりとは届かなかった。
自らの腕を握りしめて悔しさをにじませていたムギが息をついて、少年に向き直った。
「あなた、レオニさんのところの子でしょ? ……何で集落の外に出たの?」
少年がムギにすがりつく。
「姉ちゃんがさらわれたかもしれないんだ! 朝、集落の外に木の実を取りに行くって言って……。僕は危ないって言ったのに、すぐそこだからって一人で出て行っちゃって……」
「それで、こいつらに見つかったんだな?」
ユキオが顔を上げずに言った。
「……お願いします! タミ姉ちゃんをみつけてください」
ムギと、ユキオを見ながら少年は懇願する。
「わかった」
逡巡するムギを尻目にユキオが即答する。
「ですが、問題を大きくすれば──!」
「それはなんとかできるよ」
ユキオが立ち上がった。
「少年、名前は?」
「ラオ……です」
「ラオ、俺はユキオだ、よろしくな。──それで、姉さんがいなくなってから時間は経ってないな。そして、姉さんがいなくなったあたりで、ラオも捕まりそうになった。そうだな?」
ラオが頷く。
「よし」
ユキオがリーダー格の男に近づき、頬をはたく。
「おい、起きろ」
二度目にはたいたところで、男はビクリと反応して、目を覚ました。
すぐに周囲を見回して置かれた状況を知る。
「お、お前ら! こんなことを……ぐむっ」
言葉の途中でユキオが男の口を鷲掴みにして黙らせた。
「おい。ちょっと黙ってくれ。今からお前がやらかしたことをゆっくり説明してやるから」
ユキオの落ち着いた声が逆に男の気勢を削ぐ。
「お前はな。魔族領ミディガルの近衛師団長様を、あろうことか奴隷として売るために誘拐しようとしたんだぞ」
ユキオは、私を親指で指し示しながらそう言った。
少し驚いたが、平静を装う。
──そういうことか。
口を塞がれた男が慌てて首を振る。
「何が違う? お前は言ったぞ。──そっちの『女』も譲ってくれ、分け前は弾むってな。これが誘拐の示唆でなきゃ何だ?」
違う違うとでも言うように、男は頭を振るがユキオの握力で軋むほどに顎が抑えられ、吐き出す息は言葉にならない。
その時の言葉はムギに向けたものだったのだろうが、言い訳をさせるつもりもないらしい。
「なぁ、シェルダ師団長。お前を見て言ったよな?」
「ああ。確かにこの私、魔王直轄第一近衛師団長、シェルダ・イングウェルに向かって言ったな。証人は他にもいる」
私はムギとリンドを見た。
「なんとも豪気なことだ。お前の国は──よほどミディガルと戦争がしたいらしい」
もう少しユキオに協力してやろう。男に近づきながら手に炎を宿す。
「喜べ。お前は、栄えある一人目の戦死者になれる」
笑みを浮かべてそう言うと、男は涙を目に浮かべて、許しを乞うように震えながら私達を見た。
それをみとめて、ユキオが手を離す。
「とはいえ、俺達も大事な仕事の途中だ。あまり大事にはしたくない。手近な賠償で許してやるよ」
男は放心状態でユキオを見ている。
「お前らのキャンプ地に案内しろ。そこで、お前らの資産から賠償させる」
リーダー格の男を残して、賊の全員をユキオの収納空間に放り込み、案内させる。
「よく我慢できたな」
歩きながら、小声でユキオに語りかける。
「必死だったよ」
「私だったら、今ごろ全員土の中だ」
「こわいよ」
ユキオが苦笑した。
──
しばらく歩いた開けた所に大きい檻の乗った馬車と、見張りの男数名がいた。
檻の中には、獣人の娘がいた。
ラオと同じ赤茶色の髪を後ろに束ねている。怯えと諦めに支配された目は暗く床の一点を見つめている。
ところどころ土汚れのついた衣服と、噛まされた猿ぐつわが痛々しい。
──虫唾が走る。
見張りの男が、連れてこられたリーダー格の男を見て、剣を抜く。
「止めさせろ。あの馬車に死体を積んで、国に帰すことになるぞ」
ユキオが低い声で男に言った。
「や、やめろ! 武器を捨てろ! 抵抗はするな!」
男が慌てて見張りの男達に叫ぶと、見張りは困惑しながら、手に持った武器を放り投げた。
「よし、賠償はこれだ」
ユキオが馬車に近付いた。
檻の枷を手で引きちぎり、無造作に放り捨てる。
「姉ちゃん!」
ユキオが檻を開けるとラオが檻へと飛び込み、噛まされた猿ぐつわと手首の縄を解いた。
「よかった……姉ちゃん……」
「ラオ、ラオ……」
ユキオは、抱き合って無事を確かめ合う姉弟を見つめている。
姉も大事ないようで、少しほっとする。
様子を見ていたムギとリンドも同じ思いのようだ。
ユキオが姉弟に外に出るよう促した。
「じゃあ、この賠償で一旦お前らのミディガルに対する宣戦布告は棚上げだ」
そう言いながら、ユキオは捕まえていた賊達を適当に外に出す。突然変わった景色に男達が困惑の声を上げている。
「それと──」
思い出したように、ユキオが続ける。
「お前らの怪我の賠償だ。国に帰って売って治療費に充ててくれ」
ユキオは檻の中に、以前倒したワイバーンの群れの死体を残らず出した。
確かに素材として売れば治療費以上にはなるだろうが……ついでの厄介払いに苦笑する。
ユキオはリーダー格の男の方へと歩み寄りながら、話しかける。
「──これで話は終わりだ。あと俺はしばらくこのへんでウロウロしてるから、『同業者』にはよく話しといてくれ」
男の肩をユキオが掴む。
「モンスターと間違えて殴りかかってくるかもしれないから、注意しとけってな」
「ひぃッ」
ユキオが手を離すと、男はへなへなと、膝から崩れ落ちた。
「じゃあ行こうか」
ユキオがムギを促して、姉弟を連れていく。
しばらく進んで、森の道へと至る。
先を行くムギが言う。
「……ありがとうございました。──ただ綱渡りもいいところです」
──確かにそうだろう。
「まぁ、いざとなれば、俺の単独犯行だな」
笑いながら答えるユキオの言葉に気が抜けた。
「ところで、どこまで一緒に行く気だ? バズロアに行くには、そろそろ分かれ道だぞ」
私がそう言うと「意地悪言うなよ」と、ユキオは困ったような顔をした
会話を聞いていたリンドが、ユキオを見あげて言う。
「わたしは、大丈夫ですよ? バズロアの前に、キトニアも見てみたいです」
「そうだろ?」
ユキオの顔が少し明るくなる。
「よくできた道連れだな」
私の言葉に、──全くだ、と答え、ユキオは前を見た。
間もなくキトニア。
──私の仕事はこれからだ。




