第54話「見たことのない道を」
穏やかな日差しが道脇の草原に降り注いでいるのに、二頭立ての豪華な馬車の中は緊張感が満ち満ちている。
黒塗りの屋根付きの馬車。ミディガルでの生活を終えた、ユキオさんとわたしは、北に向かう道を豪華な馬車で進んでいる。
クッションのついた長椅子、豪華な雰囲気にも少し緊張する。
隣に座るユキオさんは、車内の意匠を見るのにも飽きて、窓の外を眺めている。
正面には、シェルダさんとユキオさんを胡乱げな目で見る獣人の女の人。
出発直前に紹介された、ティグ族のムギさんは、猫型の獣人で黒い髪を肩で切りそろえ、銀縁の眼鏡をかけている。
頭部には猫のような耳が髪をかき分けて覗いており、物音に合わせて小さく動く。
芯の強そうな、理知的な金色の瞳が眼鏡の奥できらりと光っている。
そのムギさんが、眼鏡に指を添えながら、シェルダさんをチラリと見た。
「確認させていただいてよろしいでしょうか?」
正装の詰襟が窮屈そうなシェルダさんが、ええ──と、答える。
「今回の併合協議について、私ども推進派としてはミディガルの有力者をお呼びすることで、集落内の意見を一気にまとめる機会となると考えています」
ムギさんの言葉にシェルダさんが答える前に、気の抜けたユキオさんの感想が挟まる。
「ああ──魔族が周辺の種族の併合を進めてたってアレかぁ」
シェルダさんがユキオさんの方を向いて少し顔を顰める。気持ちはわかる。
「その重要な機会に……大事な客人とは言え、使者の馬車にこの方々を同乗させる、というのは、何か他意がおありなのでしょうか?」
シェルダさんが、小さく咳払いをして答える。
「いや、先の説明の通り、他意はない。恩ある客人に少しでも報いるために、同じ方角へ向かう我々との乗り合わせを提案させてもらっただけだ」
──無論、この協議を軽んじているわけではない。とシェルダさんは付け足した。
わたしには、魔王さまの思いつきにしか見えなかったのだけど。
「そうですか──。しかし、私どもにすれば、悲願の達成に資する重要な道程です。このような乗合馬車のような使われ方はいささか心外です」
「ううむ」
シェルダさんが返答に困って曖昧な返事をする。
「えーと、ムギさんって言ったかな? 申し訳ないね」
少し張り詰めてきた空気を壊すように、ユキオさんが、ムギさんに話しかける。
「そんな重要な会議に向かうって知ってたら、遠慮しても良かったんだけど、まぁせっかくのご好意だったし──正直、こういう馬車にも乗ってみたくてね」
もう。ユキオさんったら──緊張感のない一言に吹き出しそうになるのをわたしはこらえた。
「客人の立場では、提案を断りづらい面があることは私も理解します。私が問いたいのは、魔族領首脳部の今回の使者派遣、引いては私達の集落──キトニアの併合に対する姿勢です」
「そこなんだよね」
ユキオさんが、視線をムギさんに向ける。
「俺はそこの情勢に詳しくないから、聞かせてほしいんだけど、そのキトニアとの併合ってどういう状況なの?」
シェルダさんが、慌てて釘を刺す。
「お前に詳しく話すことでもないだろう」
「まぁ、そう言うなよ。含むところはあっても、乗り合わせることになったんだ。むっつり黙って座ってるより話をしてた方が道行きも早く感じるって」
ムギさんは、小さくため息をついた。
「シェルダさまにも、今一度キトニアの状況をご理解いただくために、お話しましょう」
「ありがとう」
ユキオさんは、にっこりと笑った。
「まったく……厚かましいというか……」
シェルダさんが小さな声で言い、それを聞いたわたしはまた笑いを噛み殺した。
「一昨年、魔族領ミディガルから併合に関する打診があって以降、キトニアでは併合に対して、推進派と、反対派に別れてその是非について議論が行われています」
「ムギさんは、推進派なんだよね?」
ユキオさんが口を挟む。
「併合に関しては、される側にも利点があります。ミディガルが誇る魔法技術の習得や生活基盤の整備の支援。集落の暮らしは確実に良くなります。何よりキトニアがミディガル領となれば──」
「なれば?」
「いえ、なんでもありません」
ムギさんは眼鏡を上げる。
「反対派は、ミディガル領となることで、現在の生活様式の維持に支障が生じること、そして、新たに生じることになる税の負担に懸念を示しています」
「なるほど。ちなみに、その最終決定はどうやってやるの?」
ユキオさんが頬杖をつきながら問いかける。
「集落の代表者会議が行われ、最終的には集落の長が決定を下します」
「2年経ってもまとまらないってのは、大分難航してるんだね」
「おい」
少しムッとしたムギさんを見て、シェルダさんがユキオさんに注意する。
「いえ。確かに協議は難航しています。大多数の中立派は未だ態度を決めかねている状況です。集落の未来に関わることです。おいそれとは決められません」
──ですから、この協議は重要なのです。とムギさんは静かに言った。
……
いくつかの街で宿を取りながら、馬車による旅路は続いた。
ムギさんは、終始テキパキと隙のない様子で見ていて感心してしまうほどだったけど、一度遠雷が鳴った時に、尻尾や耳の毛を逆立てて固まっていたのがなんだか可愛かった。
道程は続き、魔族領の境を示す川の手前で、馬車は止まった。
「この先は徒歩になります」
ムギさんが川の向こう、山間を見ながら言った。
「なるほど」
「キトニアの手前からバズロアへの道になる。お前達とはそこでお別れだな」
シェルダさんがわたし達を見て言う。
「私が乗ってきた船がありますので、取ってきます」
ムギさんが上流に向かって歩いていった。
その背を見送りながら、ユキオさんがシェルダさんに小声で話しかける。
「それでどう立ち回るんだ? 魔族側は併合に後ろ向きなんだろ?」
わたしが驚いてシェルダさんを見ると、シェルダさんは、目を瞑って苦い顔をした。
「なんでそう思う?」
「そりゃ、そうだろう。併合したがってたのは、封印の掌握のためだろ? それが成された以上、方針は変わるんじゃないの?」
「はぁ……変なことばかりよく気がつく」
シェルダさんは首を振りながらため息をついた。
「併合する意味がなくなった、ってことなんですか?」
気になって聞いてみた。
「いや、一概にそうとも言えない。ミディガルとしては、高い身体能力を誇るティグ族を領民として迎えることに利はある。だが、領地を広げればその分税収以上に負担も増える」
「その費用対効果があるかどうかを見極めないといけないわけか」
「費用、対、効果か、聞き慣れない言葉だがなかなか便利な言葉だな」
ユキオさんの言葉にシェルダさんが苦笑しながら答える。
「難しい立ち回りになりそうじゃないか」
「まぁな。そのために、これを持たされてる」
シェルダさんは、通信用の小箱を取り出して見せた。
「おお、通信用の魔法箱か」
「ああ、ドルティ宰相と、魔王さまの髪も預かってる」
シェルダさんは、胸元のポケットを軽く叩いた。
「慣れない文官の仕事を、かなり気遣われてるみたいだな」
「うるさい」
こういう二人のやりとりももうすぐ見られなくなると思うと少し寂しい。
その後、ムギさんの用意した船で河を渡った後、山の方へと向かう。
徐々に森は深まり姿を変える。
ムギさんの話だと、ここから順調に行けば夕方には着くらしい。
不意にユキオさんが立ち止まり、木々に遮られた森の奥を睨む。
「この先、何かが起こってる」
少し身体が強張る。
ムギさんが何かに気付いた様子で歯噛みして、駆け出した。
「俺も行く」
続いて駆け出したユキオさんに、わたし達も少し遅れてついて行く。
森の道から外れ、根をかわしながら走る。
しばらく走ったところにその光景はあった。
木を背にして、震えながら牙を見せるわたしくらいの年の獣人の子ども。
少し大きめの粗末な服は土と葉にまみれ、頭部の耳はせわしなく動いている。腕からは血が滴り落ち、草を濡らしている。
それを取り囲む男たちは、手に武器や縄を持ち距離を保っている。
「その子から離れなさい!」
ムギさんが激昂して叫ぶ。
集団の中から、一人の男が剣を引きずりながら、歩み出る。
「そう言われても、こっちも仕事でね」
無精ひげをはやした細面の男が蛇のような目でわたし達を舐めるように見る。
「……奴隷狩りってやつか」
ユキオさんが言う。
──ぞっとした。
その言葉の意味ではなく、ユキオさんの声に。
初めて聞いた感情のこもらない声。
「物知りじゃないか」
男の言葉に周囲の仲間達から笑いが漏れる。
「わかってるなら、話は早い。『仕入れ』作業の真っ最中だ。回れ右して帰りな」
血のついた剣をユキオさんの方に向ける。
「ふむ──そっちの牝も譲ってくれるって話なら、分け前は弾んでやってもいいがね。クニじゃ牝の方が高く売れるし──俺たちも愉しい」
男たちの下卑た笑いの中、ユキオさんの静かな声が響いた。
「ムギさん──あの子のこと頼んでいいか?」
ユキオさんの顔は見えない。
ただ、きっと──すごく、怒ってる。




