第53話「同じ道を行く」
魔王ユルディマの執務室。
お茶の香りが漂う室内は外からの穏やかな風のせいもあって、まったりとした雰囲気に包まれている。
ユルディマからの『緊急招集』に呼ばれたシェルダ、デニス、リンド、そして俺の四人は、魔王手ずから淹れたお茶をいただきながら、午後のティータイムと洒落込んでいる。
「緊急ねぇ?」
ユルディマに向けて苦笑を向ける。
「緊急よ? 国のトップの慰労なんだから」
すまし顔で答えるユルディマに対して、まだ片付けないとならない問題もあるのに──とシェルダはぶつぶつ言っている。
ユルディマが話題を変えた。
「ユキオはこれからどうするか決めたの?」
「ああ──」
ティーカップを皿に戻す。
「また、旅に出るよ」
「そう」
ユルディマは最初からわかっていたかのように、頷いた。
「それで──リンドはどうするの?」
リンドは両手で包んだティーカップを下げる。
俺の方をチラリと見るリンドへ頷いて見せた。
「わたし──」
◆
茶会に呼ばれる数日前。
城の一室、並んで座る俺とリンドの前には、書類が広げられ、対面には壮年の人間の男が座っている。
几帳面に撫でつけられた白髪交じりの髪、片眼鏡がキラリと光っている。背広のような意匠の服をカッチリと着込んだ紳士は、姿勢良く座って俺達に必要な手続きの説明を済ませた。
「──では、こちらにお二人の署名を。上段がユキオ様、下段がリンド様です」
二人で順に署名を済ます。
「次に指で割印を」
指先にインクをつけて、ぴったり並べた書面にまたがるように指紋を付ける。指の小さいリンドは少し苦労しながら押印した。
「結構です」
男性は余分なインクをそっと布で抑えた後、一呼吸置いて口を開く。
「──これで、この物件はお二人の物です」
男性はそう言った。
「こう言ってはなんだけど、しっかりしてるんですね」
先ほどの説明では、この署名と割印をした文書の一部を王宮の記録庫に保管し、その他を関係者が持つらしい。
「ある意味、短命種の保険のような物なのですよ」
「保険?」
「魔族は長命ですからね。かつては、それぞれの口約束や記憶頼りで所有が認められていました」
ああ、それでは──
「ええ、短命種には先祖から伝え聞いた話であっても、魔族にとっては本人の記憶ですからね。審議官に委ねれば大抵は魔族の記憶が優先されます」
なるほど、本人の記憶に又聞きでは敵わないだろう。
「魔族も善人ばかりではありません。それに対抗するために、書面で正確に残すことを短命種が中心となって、進めてきたわけです」
なるほど。どこの世界でも、書面を残すことは大事だということか。
「公証人の立場としては、王都以外にもこの制度が広がってもらいたいものです」
几帳面に書類を片付けながら、男性は誰にともなく言う。
「王都以外ではやらないんですか?」
リンドが問う。
「そうですね。王都以外では、郵送や公証人の派遣などに手間がかかるせいで、口約束で十分だと考える者が多いのです。まぁ、人間の国でも不十分な制度ですから、無理もないのですがね」
そういえば、俺が住まいを借りた時も返す時も口約束だけだったのを思い出す。
──俺はこの世界のことを知らない。
いつか感じた思いを新たにする。
横に座るリンドを見ると、興味深げに目を輝かせている。
「お時間が許せば、ですが、俺やこの子の後学の為に王都でのそういった慣習や決まりをお聞かせ願えませんか?」
俺の言葉に、公証人の男性は表情をほんの少し緩ませ、構いませんよ──と言った。
……
公証人の男性は帰っていき、部屋にはリンドと二人。
契約書を収納空間にしまう。
「ごめんな。つい、話が長くなって」
公証人の男性は、俺の興味に付き合い、色々な事を教えてくれた。
「いえ。わたしも楽しかったです。お話ではそういうお仕事があるって知ってましたけど、直に聞くとすごく勉強になりました」
聞いて勉強になると思えるだけで、リンドの頭の良さが伺える。
「アノン」
呼びかけに応えて、机の上にアノンが現れる。
「おまえも興味深かったろ?」
「きょうみぶかい。つたえ、のこすやり方、いろいろだな」
アノンはリンドの契約書をまじまじと見つめている。
「それでさ──、リンド。」
「はい」
「最近、アノンとよく相談してたろ。どうするか──決まったか?」
宿舎などで、リンドがアノンを手に乗せて話し合っているのを何度か目にした。
アノンに問えば、相談に乗ってる、という。
これからどうするのか、現実的な問いに、あまりに非現実的な存在のアノンがどう答えるのか、興味はあったが詳しくは聞いていない。
リンドはアノンの方をちらりと見てから、俺の方を向いて、にっこりと笑った。
その瞳は、初めて会った時とも、レヴォルフとの戦いの後の高揚した様子とも違う、しっかりとした光を持っていた。
「はい。決めました。わたしもまだまだ知らない世界が沢山あります──だから」
◆
「わたしも、旅に同行します」
お茶の香りが漂う室内にリンドのはっきりとした声が響いた。
ユルディマ達がその言葉を受けとめるように、頷く。
「それじゃあ、今度はどこに行く予定なのかな?」
デニスが俺に向かって尋ねる。
「バズロアってとこに行ってみようかなって思ってる」
俺がそう言うと、デニスが、バズロア!──と街の名前を繰り返した。
「賢者の書庫バズロア図書館! 世界各地の本が集まる本の聖地! ああ、いつか僕も行ってみたいと常々……」
「シェル。しっかり監視しとかないと、デニスがついて行っちゃうかもよ」
ユルディマが早口で語り始めたデニスを指さした。
「まったく……」
シェルダが呆れ顔でため息をついた。
「そういえば、シェル……」
ユルディマが言いかけて止めて、にやりとした。
何かまた悪巧みだろうか。魔王さまの笑みに少し不穏な気配を感じつつ、温くなったお茶を飲み干した。
……
お茶会がお開きになった後、デニスはやることができたと慌てて帰っていったため、シェルダとリンドの三人で廊下を歩く。
「バズロア行きは、リンドの希望か?」
シェルダが尋ねる。
「ええと、半々ですかね」
「半々?」
リンドの答えにシェルダが不思議そうな顔をする。
「はい。ユキオさんがこの世界のこと、もっと知るにはどうしたら良いかって聞かれたので……」
「それで、バズロア図書館というわけか」
「はい! わたしも、本で読んだことがあったので、一度は行ってみたくて」
リンドがシェルダを見上げる。
「バズロア図書館には、司書兵団という組織がいて、図書館の自治の要となっているらしいな。魔術に長け、組織的な防衛戦術は都市国家の中でも有数だと聞いたことがある」
「へえ」
流石にシェルダは、そういった方面には詳しいらしい。
「はい。わたしも聞いたことがあります。なんでも司書長は、知識と武力の両輪を備えた者でないとなれないとか」
「一度はお目にかかってみたいものだ」
シェルダはうんうんと頷いている。
「文武両道というと、宰相みたいな人かな? 少なくともバルマの大将では務まらなそうだな」
俺のその言葉にシェルダは少し吹き出してから、失礼だぞ──と言った。
宰相の部屋に向かったシェルダの背を目で追うと、宰相の部屋の前に、人影が見えた。
──獣人かな?
シェルダの背中に隠れてよく見えないが、黒い猫のような耳がちらりと見えた。
冒険者にも何人かいたが深く関わったことはない。
──いつかモフることはできないだろうか。
リンドが横目で俺を冷たく見た気がするのは気の所為だろうか。
気を取り直して、宿舎へ向かう。
出発の準備を進めよう。
残り僅かとなったミディガルの暮らしと、新たな旅立ちに思いを乗せつつ、石畳の床をリンドと二人歩いた。




