第40話「湯に滲む決意」
ジェール村は街道の交わる宿場町で行き交う馬車や物資も多い。
必然宿も多く、私とユキオもドルティ宰相の部下がおさえた宿を使わせてもらった。
私は固辞しようとしたが、ユキオが私の言葉に先んじて
「お世話になります!」
と、言い放ったため、同宿することになった。
昨晩は遅れて到着した部下達に近隣に逃したモンスターがいないか確認させており、その部下達が夜間まで働き、野営する中、私だけが屋根の下とは何とも居心地が悪かった。
思いの外、早くに目が覚めて、2階の曇り硝子の窓を開けると、眼下には朝靄の残る街道を早出する荷馬車が見える。
窓から外を眺めていると村の外れから炊煙が幾筋が上がっているのが見えた。
しばらくそれを眺めていると、扉を叩く音がした。
「シェルダ。起きているか?」
ドルティ宰相の声だ。
「はい」
「早朝にすまんが、折角だ。年寄りに付き合え」
苦笑しながら、剣を佩いて扉を開けた。
昨日と変わらず一部の隙もない姿がそこにはあった。
「どちらへ?」
「朝の散歩がてら兵の様子を見に行く。負傷兵の様子も気になるからな」
連れ立って宿を出て、負傷兵を収容している宿へ向かう。
宰相は自身を年寄りと言ったが、先を行く、その歩みは足取りも確かで一部の隙もない。
宿で衛生兵から負傷兵の様子を聞き、移送用の馬車の手配の状況を確認して、野営地へ向かう。
「……それで、あの御仁は何者なのだ。ただの冒険者ではあるまい」
歩きながら問う。
「只人でないことは間違いありませんが、いかんせん自分の事を語りませんので詳細はわかりません。ただ……悪い人間ではないと、私は思います」
それを聞いて宰相は振り返って笑った。
「シェルダがそのように言うのは珍しい。よっぽどの人物らしいな」
からかいの混じる言葉に、思わず気恥ずかしさを覚える。──しまった。
「いえ、何を考えているのかわからないだけです。目的らしい目的と言えば、引退して暮らす移住先を探してるだけですし……」
「はっ、あの強さで引退とは。移住先が放ってはおかんだろう」
「当人がわかっているのか、いないのか……」
思わずため息が出る。
「お主を惑わすことができるのは、王ぐらいのものだと思っていたがな」
先を進む肩が小刻みに揺れている。
「いずれにせよ。王の責務の助けにはなります」
「そうむくれるな」
憮然とした私をなだめるように言う。
「兵の様子を見たら出立しよう。夕刻には王都に戻れるだろう」
朝日が足元の草を照らし、朝露がきらめく。
久しぶりの師との散歩になった。
◆
石造りの廊下を歩く。
王宮は街の声から遠く、静かな、少し冷たい空気に満ちている。
昨日、デニスさんから頼まれた魔導書の訳を羊皮紙に書き込んだ後、侍従長さんから渡してもらうよう、お願いした帰りだ。
正確に、ちゃんと訳そうと思っていたら、かなり時間がかかってしまった。
母様と字の練習をしていて、本当に良かったと思う。「字は文化の源泉だよ。思いを文字に乗せて時を超えることだって出来る。だから、よく学んでおきなさい。いつか、きっと役に立つ」
母様の言葉を思い出す。
迷いそうになりながら、なんとか部屋に着いた。ノルさんは、デニスさんから装置を借りて、フェニルドの里長さまとお話をしている。
邪魔してはいけないので、静かにベッドに腰掛けたところで、通話を終えたノルさんがこちらを向いた。
「おかえりなさい。お願いできましたか?」
「はい」
「あら……?」
ノルさんがわたしの顔を見た。
「インクが頬に付いてます」
ノルさんが懐からハンカチを取り出し、頬を拭ってくれた。恥ずかしさに頬が熱くなる。
「ありがとうございます」
返事の代わりに微笑むノルさんと、わたしの間に、光の球が現れて、形を作った。
「よう」
アノンさんが、頭の葉っぱを揺らしながら、姿を現した。
「アノンさん、どうしたんですか?」
ノルさんが驚いて尋ねる。
「ユキオとシェルダ、もどった」
静けさの奥に、少しざわついた雰囲気が混じる。
「多分魔王さまのところでしょう。いってみましょうか」
「はい」
執務室の前には、数人の兵士の人が立っていた。
中で何か離している声が聞こえる。
しばらく待っていると、大柄な白髪の魔族の男の人と一緒にシェルダさんと、ユキオさんが出てきた。待っていた兵士の人がその男の人に声をかけている。あの人が宰相さんだったようだ。
「よう」
さっきのアノンさんとまるで同じ挨拶で笑ってしまう。
「ご無事でしたか?」
「ああ、特に問題ないよ」
ユキオさんがそういうと、宰相さんが近づいてきた。
「あれが、問題にならないということが、我らにとっては大問題だ。そなたを敵に回すことがないよう国内に触れ書きを出さねばならんな」
冗談めかして、そう話す宰相さんにユキオさんが嫌そうな顔をする。
「やめて下さいよ。俺の人生設計が狂うから」
「魔族領に住むなら、いい場所を紹介してやろう」
宰相さんの言葉にユキオさんは、「検討させていただきます」とだけ返す。なんだか、かなり打ち解けてるみたいだ。
そこへ、侍従の人がきて、わたし達に声をかけた。シェルダさんも一緒だ。
「王がお呼びですので、ご同行いただけますか?」
何事だろう。ノルさんと、顔を見合わせる。
シェルダさんは、なんだか不服そうに頭を掻きながらため息をついた。
◆
タイル貼りの床と壁。
室内には湯気が立っていて、思わず声を上げたわたしの声が静かに反響する。
──なんて立派なお風呂。
「普段は使わないんだけど、シェルも戻ってくるし、お客様をもてなさないといけないから、準備させてもらったの。自慢の浴場よ」
わたしとノルさんの後ろから、大きい布を身体に巻いた魔王さまが胸を張って言った。
「まったく……なんで私まで……」
不服そうなシェルダさんの腕を魔王さまが抱えている。
「そんなこと言わないの。昔はよく一緒にお風呂入ってたじゃない」
「そんな前のことを……」
シェルダさんはぶつぶつと言っているけど、鎧も服も脱いでしまったせいか、魔王さまの勢いに負けてしまっている。普段のちゃんとした感じがちょっとなくなってるみたいだ。
「こんなに大きな湯船なんて、素敵ですね」
ノルさんも、浴槽に近づいて驚いている。
「エルフの里はお風呂どうしてるの?」
魔王さまは、体にお湯を流しながらノルさんに尋ねる。
「里でも浴場はありますが、もっと粗末なものですよ。お湯もぬるめで、体を洗って流す程度ですね」
この間、魔族領にきて泊まった宿でもそんな感じだったのを、思い出す。
旅の最中は、それだけでも充分さっぱりできて嬉しかった。
「汚れを落とすのは、浄化の魔法で充分じゃないか」
「それじゃ味気ないでしょ?ほら、シェル、髪洗ったげる」
「やめろ、子供じゃないんだ」
「照れなくていいのに」
なんだか、魔王さまは少しはしゃいでるように見える。
体を清めて、湯船に入った。洗い終えた髪をノルさんがまとめてくれた。
少し熱めのお湯が全身を包みこむ。思わず息が漏れた。
「温泉みたい……」
思わず出た言葉に魔王さまが、反応した。
「え、リンドは温泉行ったことあるの?」
「あ、はい。母様と旅してる時に、入ったことがあります。母様が好きで、山の中のお湯が湧いてる場所を知ってたので」
母様は温泉が好きで、人の姿で一緒に入っていた。場所まではよく覚えていないけど、幸せな時間だった。
しばらく皆言葉もなく、お湯に浸かる。
すると、シェルダさんが真剣な雰囲気でわたしの名前を呼んだ。
「──リンド。本当にいいのか?」
わたしが、シェルダさんの結界と封印を繋ぐために、封印の間に入ることを言っているのだと思う。
「……」
「これは魔族の問題だ……お前が命をかけるようなことがあってはならない……」
シェルダさんは、天井を眺めながら、自らにも言い聞かせているように言う。
「隠匿の魔法を訳してくれただけでも、充分助かってる。結界が使えなくても、なんとかしてみせる。だから……」
「──やりたいんです」
顔が火照る。お湯の熱さのせいだけではないと思う。
「母様のところを出て、これから先にどうしたらいいのか……考えてました。どこで、なにをするのか、なにができるのか……」
「……」
「今はまだどうしたら良いか、わかりません。先の事はあやふやで、まるで霧の先を見るみたいで……」
皆さんはわたしの言葉をじっと聞いてくれている。
「だから、ただ今は目の前のわたしのできること、やりたいことを精一杯やりたいんです。──後悔だけはしたくない」
ノルさんがわたしの肩にそっと手を置いた。温もった掌から熱が伝わる。
「ユキオさんは、きっと皆を守ってくれると思います。だけど、もしも、何かあって、魔王さまやシェルダさん、ノルさんに何かあったら……わたし、きっと後悔すると思います。……だから、わたしやりたいんです。足を引っ張らないように、精一杯やります……だから──」
言葉の途中で、魔王さまがわたしを抱きしめた。
「ありがとう。リンド──」
温かく柔らかい感触がわたしを包みこむ。
「大丈夫。絶対成功させるし、あなたのことは絶対守る」
「あ、あの……」
「だから……力を貸してちょうだい」
「……はい」
シェルダさんが立ち上がった。
「だからといって、無茶は許さないからな。危険とみれば無理やりでも逃がす」
「大丈夫。わたしもいます。それに──」
「あいつがいるからな」
シェルダさんが遠くを見ながら、言う。
「ええ」
ノルさんが深く頷いた。
そう、ユキオさんがいるから。母様が認めたあの人がいるから、自分も精一杯できることをしようと思える。
「ふう。のぼせそうだ。そろそろ上がろう」
シェルダさんがそう言うのにあわせて、皆湯船を上がる。
最後にもう一度、肩までゆっくりと湯船に浸かり、その温もりを体に刻みつけてから、わたしも湯船を出た。




