第32話「王の責務」
魔王と夜中の謁見を済ませた翌朝。
窓から射し込む朝日で目を覚ます。
簡素だが清潔なシーツにもう一度顔を当てて大きく息をしてから、体を起こす。
少し離れたベッドでは、リンドがまだ穏やかな寝息を立てている。昨晩も遅かった。できるなら、もう少し眠らせてやりたい。
ノルもその隣のベッドでまだ休んでいるようだ。
起こさないように、ゆっくりと移動すると、中央の机にシェルダが突っ伏して眠っていた。
近くにあった椅子に腰掛け、収納空間から水の入った革袋を取りだす。
転移してすぐは、この革袋から水を飲むのに慣れなかったが、今は気にならない。
3年の月日で、かなり異世界に慣れてきたのだと水を飲みながら思う。
「ん……う……」
こちらの気配に気付いたシェルダが目を覚まし、机から体を起こして、首を回す。
俺は無言で寝ているリンド達を指差す。
シェルダは音を立てないように立ちあがると、別室の扉を顎でしめした。
側用人用の台所のようだ。小さめの竈に蓋のついた水甕。小窓からは僅かに朝日が入らず、部屋の隅にまだ夜の名残を残している。
「侍従長を叩き起こしてお前たちのことを説明しておいた。二人が起きたら、城の客間に移動だ」
そこまで話して、シェルダが大きく欠伸をした。
「叩き起こされた方はたまったもんじゃないな」
状況的にさぞ混乱したことだろう。
「ああ、たっぷり説教された」
城に帰ってきて気安くなっているのだろう。普段よりも表情が柔らかい。
「午後にはデニスが来るから、それから状況の整理だ」
「えーと、ドルティって言ったっけ?宰相様は大丈夫なのか?」
俺がそう尋ねると、シェルダはほんの少し眉間に皺を寄せた。
「宰相閣下にも同席していただけると良かったのだが、外に出ているそうだ」
「そうか」
「まぁ、方針を決めてから説得するさ」
そう言うと、シェルダは言葉を切った。
狭い室内に沈黙が流れる。
「……先にお前に伝えておきたいことがある」
「なんだ?」
「この、ミディガルの、魔王の責務についてだ」
深刻そうな表情に、俺にも少し緊張が走る。
「魔族でも上層部しか知らないことだ。口を滑らせることがないように……頼む」
「俺はいいけど、ノルやリンドには?」
「……午後の会議で、二人にも伝える事にはなるだろうが、まずお前に話しておきたい」
「わかった」
「……この城の地下には天然の空洞があり、そこにはあるものが封印されている」
シェルダは腕を組み、言葉を選ぶように話しを続ける。
「封印されているもの……それは『門』と呼ばれている」
「門……」
「その門がどこに続いているのか、詳しいことはわかっていない。ただ、その封印を歴代の魔王が守り続けてきた。門が開けばこの世に破滅がおとずれるという伝承とともにな」
「なんとも物騒な話だな」
「ああ……だが私が始めてその門のある封印の間に足を踏み入れた時……伝承は真実だと……確信した。封印越しに感じたあの禍々しい瘴気……とてもこの世の物とは思えなかった」
シェルダの伏せた目は、少し泳いでいるようにも見える。
「そして……10年前のことだ。当時の魔導技術院の主任研究員の一人が、その門の中の瘴気に目をつけた。その研究員は非常に優秀で……瘴気の転用の研究を行なっていた」
「転用?」
「瘴気に悩まされる魔族にとっては夢のような話だ。その研究員は瘴気を魔力に変換する機構を開発し……小規模な実験に成功した」
「まさか……」
「ああ、門の中に渦巻く莫大な瘴気。彼にしてみれば、宝の山に見えただろう。彼は第二王子を説得し、先代魔王の静止を無視して、封印の一部解除を試みた」
これまで、魔族を苦しめてきた瘴気が魔力に変換され、領民を豊かにする。
その未来に賭けたい為政者と技術者の思いは否定できない──と思う。
「魔王の血脈により、封印は緩められた。しかし、彼らの目論見は崩れた」
黙ってシェルダの次の言葉を待つ。
「緩んだ封印から、やつが現れたからだ」
「やつ?」
「破滅の獣、今はそう言われている。封印の緩んだ瞬間、門から現れたと思われるそいつは、第二王子と、研究員達を即座に喰い殺し、封印の間を占拠した。このままでは、封印が完全に解除されることが予想された──」
シェルダが言葉を切る。
「──そして、先王と第一王子の二人が、封印解除の一時停止を成し遂げた。命と引換えにな」
封印を解いた第二王子、封印解除を停止した先王と第一王子……もしかしなくても、今の魔王、ユルディマの父と兄達だろう。
「その──破滅の獣は?」
「封印の間にいる。多重の結界を張り、外に出さないようにしているんだが……まぁ、やつは封印の間から離れようとはしないがな」
シェルダは言葉を続ける。
「それから、魔族領では、瘴気溜まりが以前に増して発生するようになった。この間デニスが言っていたスタンピードも何年かおきに発生している」
「封印の解除が原因なのか?」
「おそらくな。そのため現魔王は封印のかけ直しを模索しているが、破滅の獣が居座るせいで、封印に近づけずにいる。……兵もこれ以上死なせられない」
シェルダの苦悩が表情に出ている。
「宰相閣下は、現在の瘴気溜まり、スタンピードへの対処、破滅の獣への対応の現実策として、周辺種族の併合による戦力の増強を進めている」
エルフの里でも言われていたことだ。
「だが、魔王様と私を含めた一部の者は、根本的解決を図るべきだと考えている」
おそらく、破滅の獣を止められない以上、現実的ではないとされているのだろう。宰相の覚えが良くないと自嘲していたのを思い出す。
「……本題だ」
シェルダが改まってこちらを向き直った。
「破滅の獣……その対応を依頼したい。倒せとは言わない……。魔王様が結界をかけ直すまで、なんとか抑えてもらいたい」
シェルダが俺の目をじっと見ている。
「できる限りのことはする。頼む」
これまで以上に真剣な眼差しに、つい視線を外す。
……ただ、ことの成り行きはどうあれ、エルフの里で伝えた気持ちに変わりはない。
「乗りかかった船だ。まぁやってみるよ」
シェルダは息を吐くように、ふっと笑った。
「こっちは、かなり腹を決めて頼んでるんだがな」
僅かにシェルダの肩が揺れる。
「まぁ、気負ってもしょうがないしな。やれることをやるだけさ」
俺がそう言うと、シェルダは苦笑まじりの笑みを浮かべる。
「お前がそう言うと、大したことに思えなくなるから不思議だよ。せいぜい、頼りにさせてもらう」
そう言うと、シェルダは扉へ向かった。
「さ、そろそろ客室へ案内してやろう。王宮の朝食が気になるだろ?」
「ああ、それは気になる。シェルダはちゃんと教えてくれなかったしな」
軽口を叩きながら、俺達はノルとリンドを起こしに向かう。
朝日が小窓からも射しこみ、部屋を明るく照らし始めていた。




