第2話「大森林は惑いの森」
わたしの一生で、今が一番困惑してるかもしれない。
「この先が大森林かぁ。ノルさんには庭みたいなもんなんでしょ?」
ユキオさんが大森林ー別名『惑いの森』の入口を眺めて呑気にわたしに話しかける。
普通の人間にとっては、迷い込むと抜け出せない、とても危険な森なのだが、巨木を見上げる彼の顔に、不安の色は──全くと言っていいほど感じられない。
まぁ、この人……普通じゃなさそうだしなぁ……。
このあたりの人間には珍しい短めの黒髪、動きやすさ重視の格好に使い込まれた革のブーツ。荷物らしい荷物は持っていない。
空間収納魔法で、水も食料もそこにしまっているからだ。わたしも使えるが、彼のは容量が桁違いのようで、討伐の証拠に両断したドラゴンをギルドの解体場で事もなげに取り出した。
あの時のギルド職員の唖然とした顔。
戦いの後、わたしもあのくらいびっくりした顔をしてたんじゃないかと思う。
早まったかな、と少し後悔するわたしの気持ちには、全く気付いてないであろうユキオさんが軽い調子で続ける。
「よし、行こうか。エルフの案内が無いと迷って出られなくなるって聞いたことあるし、よろしく頼むよ」
「あっ、はい」
危ない森だって、知らないわけじゃなかったんだ。なのに、この落ち着きよう。
でも……、一人で大型のレッドドラゴンを圧倒したあの力があれば、大抵のことはなんとかなっちゃうのかも。
だけど、今も肩に担いでいるあの棒はなんなんだろう。あんなものでレッドドラゴンの首を落とすなんて、今だに信じられない。
信じられないと言えば、ギルドでの出来事だ。
あれだけの強さでありながら、冒険者を引退すると言う。ギルド長が慌てて飛び出してきて、引き留められ、押し問答の結果、ひとまずゴディを離れることだけは認めてもらっていた。
「こっちです」
先導して森に入る。
「はぐれないようにして下さいね。あなたも言われた通り、一度迷うとあらぬ方向に進んでしまう森ですから」
「了解。……出入りしづらい里……お客は少なくていいけど、あんまり閑散としてるのも寂しいかな……」
何か考えながらユキオさんは、ぶつぶつと独り言を言っている。
あの戦いを思い出す。
はっきりとは目で追えなかったが、ドラゴンの攻撃をかわし、一撃の元、首を斬り落とした。
まるで、吟遊詩人の歌う英雄譚のような戦い。違っていたのは、彼は戦いの後、勝利の雄叫びをあげるでもなく、激闘に膝をつくでもなく、淡々と解体をしていた。
そして、何故かエルフの里に興味を示し、あれこれと矢継ぎ早に質問すると、エルフの里に行くことを勝手に決めてしまった。
まぁ、あまりの勢いに、わたしもダメだとは言えなかったんだけど。
「この間も聞いたけど、エルフの里と言っても色んな種族がいるんだよね?」
不意に声をかけられ、現実に引き戻された。
「ええ、今……ちょっと……事情があって、里には色んな種族が住んでいます」
「皆エルフが連れてきてるの?」
「いえ、東側は惑いの森になってますが、里の西側は往来が可能なので、そちら側との交流は昔からあるんです」
「へえ。ずっとゴディを拠点にして仕事してたからそれは知らなかった」
「人間の国とは、積極的には関わりませんから……」
「そうなんだ。じゃあ俺みたいな人間が入ったら物珍しがられるかな?」
「ええ、きっと……。でも、大丈夫ですよ。今は色々とありますし……」
わたしの言葉が曖昧なのは、里が大きな問題に直面しているから。
「ま、それはさておき」
ユキオさんは、気にする風でもなく話題を変えた。
色々と話をして、話題がエルフの里の食文化に至ったところで、ユキオさんが言葉を止めた。
「……どうしました?」
──瞬間、「上!」と短く発する声。
飛び退りつつ剣の柄へ手をやる。
「何者か!」
短剣を地面に突き立てた黒い影は、返事の代わりに短い舌打ちをして、何かを足元へ投げつけた。
「ッ!」
──煙幕
剣を抜きつつ咄嗟に下がるが、白い煙が視界を完全に覆い尽くす。
身を低くして気配を殺す。
何秒経ったか、徐々に視界は晴れていくが、周囲に殺気はない。
警戒したまま視線を走らせる。
襲ってきた者の姿はない。そしてユキオさんの姿も……ない。
「……」
静寂の中、剣をしまうこともできずに数秒。
攫われた?そんな馬鹿な。狙われる理由もないし、あの強さで抵抗も出来ずに攫われるわけがない。
相手を追いかけた?だったらもっと馬鹿だ。惑いの森で人間が単独行動なんて、わざわざ迷子になりにいくようなものだ。
「どう……しよう」
葉の隙間から漏れる光の筋、地面には苔むした岩々。辺りは平穏な森の姿が広がっている。
「ユキオさ〜ん!」
呼びかけながら、周囲を探したが見当たらない。
まずは落ち着こう。
大きく息を吐いて、吸う。慣れた森の空気に心が静まる。
そのまま、森の気配に意識を向ける。枝葉を伝い感覚を広げる。どこかに普段と違うざわめきや気配は……感じられない。
何かおかしい。
そもそも、この森で、襲われるまでわたしが気配に気付かなかったことが、まずあり得ない。
ユキオさんのペースに巻き込まれて、感覚が鈍ってた? あり得ない。
──考えてもしょうがない。ひとまず、今晩キャンプする予定の場所に向かおう。
探すにしても拠点を構えないと。
無心で走っていると、ここ数日の出来事が思い出される。
──不思議な人だと思う。
砦で出会ったときも、特に気負う様子もなく、散歩にでも来たような雰囲気だった。
これまで関わった『人間』とは全然違う。勿論よくわからない強さもだけど、エルフとの接し方も違う。
大森林の向こうの人間はエルフに対してあまりよい感情を持ってない、と思う。
惑いの森からやってくる得体のしれない連中。そう言われてるのを聞いたこともある。
でも彼は初めて会った時から、そういう感じは全くなかった。
何というか、自然だった。
「変な人だなぁ……」
不意に声に出た。それがなんだかしっくり来る。そうだ、変な人なんだ。
きっと見つけられる。わたしはそう自分に言い聞かせて、森を駆けた。




