第20話「龍と少女」
エメラルドグリーンの龍の瞳がまっすぐに俺の瞳を見つめている。
「わかりました」
こんな真剣な目をした依頼を無下にできるような薄情さは、俺にはない。
「ただ──。俺にできることは少ないと思います」
正直な気持ちだ。
「その子がどう生きるのか。それを決められるの は、俺じゃない。決めるのはあなたがしっかりとここまで育てきた──あなたの娘だ」
リンドを見遣る。
「多分、俺がいなくても、あなたの教えのもと立派にやっていくんじゃないかと思います。ただ、困った時や悩んだ時に、話したり、頼ったりする相手は必要です」
「友人だったり、親兄弟だったり、仕事仲間だったり──。俺はそれぐらいの役割しかできないと思います。気軽に背負えるほど、人の一生っていうのは軽くない」
静かな空気が広場を満たしている。
「ですが、あなたに頼まれた以上、相談相手の一人として、彼女の知りたいことは教えるし、俺ができることはする。それぐらいしかできないけど──それで、いいですか?」
俺の話にじっと耳を傾けていた龍が、ふっと息を吐いた。
「ああ、構わない。よろしく頼む」
そして、リンドを見た。
「リンド。私が最後に何をしてやれるのか……考えていたが、どうやらお前が頼れる相手を見つけてあげられたようだ」
リンドは龍を見あげて唇を噛み締めている。目から涙を零すまいと堪えているのが見てとれる。
「少し早まったが、巣立ちだ」
龍は娘を落ち着かせるように語りかける。
……
「それなんですが……」
俺は小さく手を上げて、割り込んだ。
「出立は明朝にさせてもらえませんか?その子の荷造りもあるし、こちらも準備がありますんで……」
龍の目はほんの少し見開いた後、すぐに笑みを含んだものに変わった。
「……ああ、それでいい」
「俺たちは、広場の外でテントで過ごすので、どうかお構いなく。リンドは本や必要な荷物を明るいうちにまとめてくれ。ノルとシェルダもそれを手伝ってくれ。俺は自分達のテントを準備してくる」
事務的に作業を指示する。
「随分急ぎますね」
ノルが作業に向かう俺の横に来て言った。
「やるべきことは、早めに終わらせないとさ」
「夜はゆっくりさせたいんだろ?」
シェルダもいつの間にか隣に来ている。
「いや、俺がゆっくりしたいんだよ」
◆
「シェルダさん、ノルさん、手伝っていただいてすみません」
リンドが本をまとめながら、頭を下げる。
「いいんですよ。人手があったほうが早く片付きますから」
ノルが返事をする。
「本当に全部持っていっていいんですか?」
リンドは申し訳なさそうな顔をするが気にすることはない。
「大丈夫だ。ユキオの収納空間魔法には際限がないらしい」
そう言ってやったが、確かにかなりの量で心配になるのも無理はない。
「このへんは棚ごといいんじゃないか?」
本棚には、魔導書や歴史書が詰まっている。見慣れぬ文字もあるが、全部読んでいるのだろうか?
「リンド、これは全部あなたが?」
ノルも気になっているのだろう。分厚い本を持ちながらリンドに聞く。
「あ、はい。母様が退屈しないようにと買ってくれてたら、私も好きになってどんどん増えちゃって……」
「しかし、見慣れぬ言語もあるな」
手にとった本の表紙には、およそこの地方で使われていると思えない文字が並んでいる。
「母様と色んな土地に行きましたから、そこで買った本が沢山あるんです。文字は母様が教えてくれました。
「素敵ですね」
ノルはリンドに微笑みかける。
「エルフは文字に残してないから、これだけの本があるというのが、不思議なんじゃないか?」
以前里長が言っていたことを思い出し、ノルに水を向ける。
「エルフ族としては、そういう問題もありますけど、わたし個人としては、本は好きですよ?」
「ほう、何を読むんだ?」
「えぇと、『ガルテンの花』とか……」
「王国騎士と異国の姫の物語ですね。国家と姫への恋慕の板挟みになる騎士の心情が描かれてましたね。吟遊詩人レモナの恋愛譚が元になってるとか」
リンドが淀みなく解説を入れる。ノルは少し驚いた顔をしている。
「なかなか乙女趣味じゃないか」
からかうと、ノルは照れたように話題を変えた。
「それはともかく、リンドは読んだ本を全部覚えてるんですか?」
「つい、読み耽ってしまうので、頭に残っちゃうみたいです」
謙遜しているが、大したものだと思う。
……
しばらく話しながら片付けを続け、荷造りも終わりが見えた。
「少しいいか」
手を止めて、リンドに向き直る。
「これは老婆心だが。私からの助言だ」
リンドは、手を止めてあどけなさの残るその顔をこちらへ向けた。
「今晩は、我々のことは気にせず、ゆっくりと龍と──母君と話をするといい」
「……お気遣いありがとうございます。……でも、母様から巣立ちのことは聞かされてきましたし、もう……自立しないと──」
「それでもだ」
静かにリンドの反論を制する。柄でもない──自分でもそう思うが、言わずにはおれない。
別れと言うのはいつも唐突で、その時にどれだけ納得した気になっていても、時が過ぎれば悔いだけが浮き彫りのように残り続けるから。
「……魔族は瘴気の多い土地に住んでいてな、領内にモンスターも多い。普通に過ごした次の日に友がいなくなるなんてこともある」
神妙な空気が流れる。
「……後悔だらけさ。だからこそ、その時その時、機会を大切にしなければと思う」
「母君からお前を託されたのはユキオだ。だが、その場に居合わせた私も無関係だとは思っていない。──私もできる限りの相談には乗りたい。だから、これは同じ定命の者の、お前より長く生きている者の経験から来る助言だ。残った時を悔いなく使ってくれ」
ノルが本を手に取り、リンドに手渡した。
「この本と同じですね。先達の経験と思いを……形は違えど伝えたいのです。本は手に取る後世の読み手に、シェルダは今その機会を迎える貴女に」
リンドは手渡された本をじっと見つめながら考えこんでいるようだった。
◆
少し考えさせたいと思い、ノルと二人小屋を出る。
ユキオは龍と話していたようで、話し終えて広場から出ていった。ユキオが何か考えているような表情をしていたのが気になる。
「何か粗相をしてないといいんですけど……」
ノルが不穏な事を言う。……だが確かに少し心配になる。
龍に近づき、頭を下げた。
「ユキオに何か失礼はなかったですか?」
龍は少し目を細めた。
「いや、問題ない。少し懸念があったので、伝えておいただけだ」
「それならよいのですが」
ノルと二人、内心胸をなで下ろす。
「……お二人にも伝えておこう」
何事だろう。空気が少し引き締まる。
「先の話のとおり、私は蜥蜴どもからひどく憎まれている」
どれ程の確執なのか、我々には及びもつかない。
「私が死に近づき、力が衰えるのを奴らは見逃さない。仮初の死に至るのみ。そう知りながらも、ご丁寧にこれまでの復讐をしようとやってくるのだ」
この輪廻を何度繰り返してきたのだろう。龍の言葉には怒りも悲しみも感じられない。
「……まぁ、死にかけの私でも、蜥蜴程度はあしらえるため、そなたらの身に危険はないが──ここに留まる以上、注意はしておいてもらいたい」
龍はおだやかにそう言った。
「わかりました。ご助言ありがたく頂戴いたします」
龍に頭を下げて、広場から出る。
広場へ至る洞窟から振り返ると、龍の元へ歩み寄るリンドの姿が見えた。
◆
その夜。広場の手前に野営地を構え、食事を済ませて、早々に寝床に潜り込む。
焚き火は既に消え、ランプの明かりがテントの幕越しに仄かに光っている。
洞窟の中は風もなく、静寂があたりを支配している。
微睡みの中、人の動く気配で意識を取り戻す。
おそらく……。
静かにテントの入口を開けると、ランプの火を移しているユキオと目があった。
「どうした?」
ユキオは少し狼狽えるような目をしている。
「ちょっと夜風に当たってくる」
「そうか。足元に気をつけろよ」
「ああ」
短いやりとりをして、ユキオが洞窟の入口に向けて歩いて行ったのを確認して、手早く身支度を整えた。
テントを出ると、同じく簡単に身支度を済ませたノルと出くわした。
目を合わせて無言で首を振る。
あいつが何も言わない以上、そっとしておくのが筋だろう。
何か予感があるのか、洞窟を出て崖に立つユキオを遠目からノルと二人見ていると、風に乗って不穏な気配が近付いてくるのが感じられた。
腰の剣にそっと手を添える。万が一ということもある──。
雲が切れて、月が顔をのぞかせる。漆黒のヴェールが月明かりによって剥がされ、闇に溶けていた、その輪郭をあらわにした。
真っ黒なドラゴンが、そこにはいた。
羽ばたきながら静止し、棒を持って立つユキオを見ている。
ユキオが棒を構える。遠目に見ていても感じられるほどの圧倒的な魔力が棒に込められる。
なるほど、あれでは並の武器では耐えられないだろう。
その威圧に触発されたように、黒いドラゴンはその翼を大きく広げるや否や、ユキオのいる崖に向かって突っ込んでくる。
その身には黒い炎が纏わりつき、巨大な火矢のようだ。
ドラゴンは目に追えないほどの速さでユキオの体を貫いた──はずだった。
ユキオは衝突の刹那、その身を翻し、棒からあふれる魔力を身の丈以上の大剣と化し、刃でドラゴンの突進の勢いを受ける。
自身の速さとユキオの膂力の双方を身に受けたドラゴンはその速度を落としながら、黒い炎を撒き散らして地面に激突──しなかった。
ユキオは、斬りつけたドラゴンが着地する先に収納空間魔法の入口を設定しており、ドラゴンの身体はそのまま闇に沈むように収納空間へと消えた。
随分と気を遣ったものだ。
周囲を探るが、他に気配は感じられない。ノルと目があった。お互いに苦笑をかわし、テントの方へ向かった。
──
翌朝。
ユキオが遅れてテントから出てくる。
ノルと顔を見合わせる。
「昨夜は風が強かったみたいじゃないか」
木製のカップに水を注ぎ、ユキオに渡しながら言う。
「まぁね。でも大した風じゃなかった。静かなもんさ」
「ええ、とっても静かな夜でした」
ノルが、黒パンを手元で切りながら、同意した。
ユキオは水を一口飲んで呟いた。
「……母娘の大事な別れの日だからな。落ち着いてないと、さ」
「そうだな」
私は一組の母娘の語らいが無事に、穏やかに行われたことを祈りながら頷いた。
──
龍の前に旅支度を整えたリンドが立っている。リンドの目のまわりは少し赤い。
「じゃあ、行こうか」
ユキオがリンドに向かって言い、リンドは龍を見上げた。
「母様……いってまいります!」
まっすぐに、力のこもった声が広場に響く。
「息災でな」
龍の目が優しくリンドに向けられた。
リンドが龍の元へ駆け寄りその口元に顔を埋める。
「母様……」
龍はその温もりを慈しむように目を閉じた。
別れを惜しむように、母娘はしばらくそうした後、ゆっくりと離れ、視線を交わした。
娘の門出を祝うように、燐光が広場から洞窟を照らして、道を作る。
「さぁ、いっておいで」
「はい」
燐光の先をまっすぐに見つめて、リンドが歩き出す。
私達は龍に目礼した後、その後ろを追って歩きだした。




