第9話「おっさん、牢から出る」
普段の静謐な雰囲気とは打って変わって、執務舎は緊迫した喧騒に包まれている。
『エルフ喰らい』『ガルフェルド』喧騒の中、耳に入る単語に、先ほどの話とアノンの「はじけそう」と言う言葉が頭に浮かぶ。
里長の執務室から出てくる兵士達とすれ違う。急行する彼らの表情には怯えが少し滲んで見えた。
「入ります!」
里長は虚空に浮かぶ結界の術式を指で操作しながら、こちらを横目で見る。
「ガルフェルドが現れました。今は里の結界で辛うじて留めていますが、時間の問題です。話は後で」
早口でそういいながら、術式の操作を続けている。
「その結界に関する緊急の報告です!」
わたしがそう言うと、里長はぴくりと反応した。
「現在の結界は、瘴気を過剰に抑圧しており、行場を失っている恐れがあります。それに伴い凝縮された瘴気の噴出孔、逃げ道がガルフェルドに内包している可能性が疑われます」
里長の手が止まる。
「……どういうことなのだ」
背後からエルド老の声がした。騒ぎを聞きつけ急いできたのだろう。息も絶え絶えだ。
「エルド、避難の状況はどうなってますか?」
里長は表情を変えずに問う。
「は……、ガルフェルドが出現した北側の住民の避難を進めておりますが、如何せん混乱しており……」
「民はひとまず東の集会所へ。衛兵の予備隊も動員、避難を優先させるように」
「わかりました。ですが、先ほどのノルの言は……」
「それは結界に関わること。私が対応します」
有無を言わせぬ言い方だ。
「結界が破られるのも時間の問題です。急ぎなさい」
短く返事をして、エルド老は執務室を後にした。
一瞬の間があって、里長がこちらを向いた。
「ノル。先ほどの話は捕らえた方々からもたらされたものですね」
「はい」
「私にも……違和感はありました……」
里長が言葉を続ける。
「それが、違和感の答えかもしれない……。腑に落ちるところがあります……」
正しいかはわからない、検証している暇もない。里長もそれがわかっているのだろう。
「悔やむのは後にしましょう。ガルフェルドは、以前と比にならないほどの力を秘めています。まずそれを何とかしなければ」
──あの人なら、何とかできるかもしれない。
「あの方を……ユキオさんを釈放し、討伐をお願いできないでしょうか」
「できるでしょうか……。貴女の言うことを疑うわけではありませんが、人間に太刀打ちできるとは思えません」
普通に考えればそうだろう。ただ……
「かのレッドドラゴンを倒した時ですら、まだ余力を残しているように見えました。今のガルフェルドでも……彼なら抑えられるのではないかと思います」
わたしの言葉に里長は瞑目して逡巡している。
「虫の良い話です……受けてくれるでしょうか」
「わかりません──ですが、里の危機を放置されるような方ではないと、わたしは思います」
「わかりました。彼の元へ行きましょう」
里長とわたしは牢へと向かった。
◆
「わかった」
牢に訪れた里長が用件を告げ終わるや、俺はそう返事をした。
「本当によいのですか?」
里長もすぐに了解してもらえると思ってなかったのか、少し困惑しているようだ。
「ここにいても、騒ぎがどんどん大きくなっているのがわかります。この状況で知らん顔できるほど薄情じゃないですよ。俺」
「それに、ノルさんが報告に行ってる間に考えてたこともあるし」
「考えていたこと?」
ノルさんが聞き返す。
「ああ。だけど悠長に説明してるヒマないから、とりあえず、シェルダも一緒に出してもらって、そっちに詳細は聞いて。シェルダ、頼めるよな」
「仕方ないだろう。今の状態を放置すれば自分の身も危ない」
「助かるよ」
牢の扉へ向かう。
「ええと、今鍵を……」
ノルが牢番の方を見る。
「急ぐからいいよ」
格子から手を出して、錠前をつかむ。
「緊急事態だから、後で請求とかしないでね」
一応確認してから、錠前に力を込める。べきっと乾いた音がした。
壊した錠前を格子戸から外して、扉を開けた。鍵を懐から取り出そうとした牢番がそのままの姿勢で固まっている。
「さ、とりあえず止めてくるわ」
バングルも外して、依然として固まっている牢番に手渡す。
「シェルダ、こっちのことは頼むな」
ため息をついて様子を見ているシェルダにそう言って、建物の出口に向かった。
喧騒の中、牢から出た俺を見咎める者はいない。
建物を出て、避難する人々の流れに逆らい、音のするほうへ進む。
獣人の子どもが親とはぐれたのか、泣きながらエルフの兵士に抱えられて人の波に消える。
若いエルフに背負われた老婆は時折振り返りながら祈るように手を合わせている。
人の波も途絶えて、かわりにエルフの兵達の姿が増える。一様に緊張した目をしている。
避難するよう、声をかけてくる者もいるが、気にせず進む。
(あっちか──)
衝撃音に合わせて、遠目に青白く浮かんでは消える紋様が見えた。
その奥には、建物程の大きさの赤黒い巨大な塊。熊に似た身体は毛皮に覆われ、口から漏れだす瘴気に、黄金に輝く2つの光が軌跡を描いている。
一際大きな衝撃音。
紋様が弾けるのが見えた。
その瞬間、兵達の声が響き一斉に矢が射掛けられる。
「片っ端から属性を試せ!間を空けるな!」
指揮官と思しきエルフが周囲を鼓舞している。
赤黒い塊となった身体が大きさに似合わぬスピードで建物へとその身をぶつけると、白壁がいとも簡単に崩れる。足元を失った弓兵が別の建物へと移るのが見えた。
歩兵が足元へ槍を突き立て、足元に注意が向いた瞬間を狙って魔法兵が後方から顔面に火球を浴びせる。
しかし、それらを意にも介せず、前へ進む。
前脚をふるう度に兵は盾ごと壁に飛ばされ、仲間に抱えられて路地へと退いた。
風を起こすかのような荒い鼻息。ごふゅっという咳にも似た息に混じってまき散らされた唾液からは、瘴気の煙が上がる。
「エルフ喰らい、ガルフェルド……とんでもない熊だな」
ちょうどいい棒を取り出して、進行方向に立つ。
エルフの隊列を散らしながら、悠々と進めてきた歩みが緩み、俺の前で距離をとって止まった。奴があと一歩を踏み出せば、前脚が俺に届くだろう。
「考えなしってわけでもないみたいだな」
こちらも、ただ討伐すればいいってわけじゃない。力押しで済ませるわけにもいかないのが辛いところだ。
棒を肩に担ぐように構える。
「こっちも縛りがあるんだ。せいぜい付き合ってもらうからな」
一瞬の静寂。
俺が前傾になったその瞬間、ガルフェルドの前脚が左上方から轟音を上げて振り下ろされた。




