嵐
ここ一両日、雨が続いている。
昨日は柔らかい雨だったが、今朝になってから激しくなった。
例え雨が降ろうと嵐が来ようと魔獣は襲来する。
しかも、晴天の時よりも荒れ狂って。
雨はあらゆる生物にとって恵みの雨だが、同時に厄介な存在でもある。
それでなくとも、雨が続くと国を貫く川が氾濫することもある。
「スティクスはどうだ」
ガンガジアがフレイの部屋へ来た。
部屋の中では寝台の上でスティクスがシーツを被って縮こまっており、その傍らでフレイが小さなシーツ饅頭を撫で摩っている。
「うん。大丈夫」
ガンガジアは暫し戸口でスティクスを眺め、それから静かに室内へ入ってくる。
フレイに倣い寝台の上のスティクスの傍に腰掛け、反対側のフレイへ目を向ける。
「お前は」
ガンガジアの問いにフレイは笑った。
「大丈夫。もう9年だよ。
まぁ、ちょっと気持ち悪くなるけど、ちょっとだけ」
頭上で大人たちが話している。
少年は大雨が大嫌いだが、ちょっと嬉しくてちょっと楽しい。
「スティクス、お水飲む?何か食べる?
朝から食べてないし、心配だな…」
「この状態で食えば嘔吐するんじゃないのか」
「うん……」
2人がずっと自分の傍で優しくしてくれる。
普段は「情けない」と言うガンガジアですら、大雨の時はシーツに包まってフレイに優しく撫でられていても黙っている。
まして、こうして部屋に来て側に居てくれる。
以前は気持ちが悪くて吐き気がして最悪であったが、今は少し慣れて体を起こしていられるようになった。
だが気持ち悪さはあるし、突如訪れる予測不能な雷の出現はいつも怖い。
周囲でぶわぶわと激しく揺れ動く魔力が気持ち悪い。
シーツを被ったとてそれが和らぐことはないが、気持ちとしてその感覚から遠ざかれる気がする。
フレイがシーツごと抱き締めてくれたり、背を撫でてくれる手が気持ちいい。
自分の両側にフレイとガンガジアが居ると守ってもらえているようで気分が安らぐ。
少年は大雨が大嫌いだが、ちょっと嬉しくてちょっと楽しい。
2人が特別に優しくしてくれる。
「スティクス。寝るといいよ。
起きたら雨も止んでるかもね」
ざあざあと煩い雨の音に混じって優しい声が響く。
「背中なでてて…」
「勿論」
スティクスがシーツの中で蹲ったまま弱々しい声で言うと、フレイはその声に応えて小さな背中を撫でる。
幼い少年はもそもそと横になり、座るフレイの足に体をくっ付けて目を閉じた。
接触して感じるフレイの体温に落ち着く。
反対側にはガンガジアの魔力も感じる。
普段は何とも思わないのに、今は彼の魔力から熱を感じる気がする。
その熱のような魔力に安心する。少し温かい。
シーツを頭から被り直し、雨の音を遠ざける。
すると
目を閉じていても判るほど世界が光に包まれた。
スティクスの小さな体がびくりと震える。
あの音がくる。
背を撫でる手が離れ、少年の耳に当てられた。
僅か間を置いて。
ドドオオオオンン!!!!
建物ごと震えるほどの轟音が鳴り響いた。
大きな手で塞がれていても聞こえるそれに、スティクスは咄嗟にフレイの足に抱き付く。
外はゴロゴロゴロと鳴り続けている。
「大丈夫、大丈夫」
耳から離れた大きな手が再度小さな背中を撫ではじめる。
雷による突発的な魔力の発現はそれほど怖くはない。
何せ少年にしてみれば雷の発する魔力は大したことがないのだ。
フレイと同じくらいの魔力が突然少し離れたところにぽんっと現れるだけだ。しかもすぐ消える。
少年にとって雷は、何の前触れもなく突然現れる雨雲に覆われた暗い世界を一瞬で真っ白にするほどの強い光と、その後にやってくる恐ろしいまでの轟音が怖い。
その轟音は空気も建物もビリビリと震わせるのだ。
怖い。
フレイだけでは、足りない。
「ガアラ…!ガアラも…!!」
「ガンガジア?いるよ?」
「くっついて…!!くっついて…!!」
「ああ…」
少年の必死の懇願に、フレイはすぐ傍の男へ手を伸ばし彼の服を引く。
「ガンガジア。こっち寄って。
スティクスにくっ付いてあげて」
少しして尻の辺りに何かが当たり、温もりを感じた。
前にはフレイ。後ろにはガンガジア。
スティクスは漸く安心して体から力が抜ける。
背中を撫でる優しい手。
両側にある2人の体温と魔力。
固く閉じていた瞼から力抜くと、ゆるゆると睡魔が襲ってくる。
「あれ、大丈夫かな…」
「ああ、少し離れている。あれも驚いた類だろう」
「そっか…、俺まだこれは判断付かないよ…」
「悪天候はそう頻繁にあるわけでもないからな」
「うん…」
また頭上で大人たちが会話している。
優しい声と落ち着いた低い声。
荒げられることのないそれらの声は、この気持ちの悪い状況の中で唯一安らげる。
早く雨終わらないかなぁ、と思いながら、少年はゆっくりと眠りに落ちていった。
「お前もここに来たばかりの頃は怯えていたな」
「仕方ないよ。だって、今まで何も感じなかった雷から凄い魔力を感じたんだから。
あれは本当に驚いたよ。いきなり凄い魔獣が現れた!って。
まさか、ああいう大きな自然現象からも魔力を感じるなんて思わなかった」
「魔力で魔法を使える所以だな」
「不思議だねぇ」
自然現象も魔力を有する。
厳密には『発する』とした方が正解か。
陽の照り。静かな雨。そよぐ風。
日常の何と言うことはない現象は魔力を感じない。
実際には発しているのかもしれないが、どちらにせよ感じないほどに小さい。
だが、嵐、雷、地震など強烈な現象が発生すると、規模に応じた莫大な魔力を感じる。
魔力を変換した『魔法』が使える理由だ、と言われ納得した。
それらの自然現象もまた、生き物たちと同じように魔力を有している。
だから置換出来るのだ。
てっきり魔力は生物のみが有すると思っていたフレイはそれを知った時大層驚いたが、元々それら自然現象にも魔力が宿っているので自身の魔力を炎や雷に変換して魔法として使用出来るという理屈には納得がいく。
つくづく魔力とは不思議なエネルギーだ。
そんなことを知らなかった当初は、天候不良の日に突如として感じる突発的な魔力の発現に大層驚いたものだ。
雷は突然巨大な魔力が現れ、あの轟音と共にそれが薄くなっていく。
嵐は常に周囲に濃度の違う魔力が荒れ狂っている。
大雨は雨の一粒一粒に魔力が宿っているのか、滝のような雨によって常に魔力の波が周囲で揺れているような感覚に陥る。
雷はともかく、嵐のあの魔力が渦を巻くようにして入り乱れる感覚や、大雨の常に周囲で魔力が揺れているような何とも言えない感覚は未だに気持ちが悪い。
フレイも魔力が発現したばかりの頃は、まさに今のスティクスと同じように乗り物酔いしたかのような気持ち悪さに襲われ、よく伏せていた。
当時は平然としているガンガジアが信じられなかったが、今は慣れて、多少の気持ち悪さはあれど普段通り振る舞える。
遠くない未来、この少年も悪天候に眉を顰めつつ平然と邸内を歩き回るようになるだろう。
そして、天候が荒れると魔獣が暴れる理由がこれだ。
当然、魔獣にとって自然現象から発生する魔力は突如現れる原因不明の魔力であり、恐ろしく脅威に感じるので殺気立つ。
雷が連発でもすれば巨大な魔力も連発するので大混乱に陥る。
こうなれば魔獣の動きは予測不能になる。
基本的に騎士は国を襲う魔獣のみを倒す。
例え国の近くに居る魔獣でも、こちらに興味のない動きをしていればこちらも不干渉が基本だ。
だが天候が荒れて魔獣が混乱すると、その判断が難しくなる。
殆どの魔獣は動かなくなるが、一部の魔獣が混乱し魔力を放つ。
恐らくは、突如現れる巨大な魔力に警戒して威嚇しているのだと思われる。
それが国から離れていれば気にしないが、国に近いと悪天候に混乱しているのか国を襲っているのかの判別が付かない。
未だにフレイはその判断が出来ず、悪天候の時はガンガジアに伺う。
普段は何でもないことのように魔獣の監視をしているガンガジアも、天候が荒れると気を張る。
やおらガンガジアが立ち上がり、窓から外へと出て行った。
フレイは立ち上がってそれを見送り、彼が発つと窓を閉めて寝台へと戻り、眠るスティクスの背を撫で直す。
こういう天候の時は魔獣ならず騎士も体調が思わしくないので、適度に威嚇して撃退出来ればいいのだが。
ガンガジアが出て行った雨が打ち付ける窓を眺めながら、フレイはせめて雨が穏やかになるよう祈った。
「うぅ……まだ雨ふってるぅ…?」
「うん。でも小雨になったよ。どう?まだ気持ち悪い?」
「ううん…もう平気…」
「そう。良かった。ご飯食べる?」
「食べる!」
「あは!元気になった。じゃあズィールに作ってもらおうか」
「食べる!」
「何かすぐに食べられるものあるかなぁ」
「クッキー!!」
「それ、お菓子だよ~」
「クッキー!!」
「あったらね」
「やったー!」




