魔力譲渡
「魔力譲渡をする」
「うん…!」
生まれたばかりの赤ん坊を挟み、2人の男が神妙な面持ちで話し合う。
背の高い方の男ガンガジアが、長い三つ編みをした男フレイの腕に抱かれた赤子へ手を伸ばし、その小さな口へ指を差し込む。
それを見たフレイはぎょっとして、慌ててガンガジアを引き留める。
「が、ガンガジアっ!そんな無理矢理っ…!」
「こいつが口を開かねば出来ん」
「そうだけど…!ちょっと待って…!」
男たちが揉めている間に、口へ突如異物を捻じ込まれそうになった赤ん坊は、その不快感に気分を害して泣き出した。
「ふぎゃああああああああ!!!!」
「あっ、ごめんね…!ごめっ 」
口を開けて泣き出した赤ん坊の顎をガンガジアの指が掴み、閉じないよう固定して大声を上げるその口へ自身の口を被せる。
「!!!!!!!」
男の口で塞がれた赤ん坊の泣き声はくぐもった音になるが、当然泣き止むことはない。
一瞬がくんっとガンガジアの肩が跳ね、そして赤子から口を離す。
そのまま天を仰いで息を吸い込み、嚥下して自身の中へと落とし込む。
「ぐっ! ごほっ!」
ガンガジアが眉を寄せ、片手で胸を握り締めて咳き込んだ。
「だ、大丈夫っ…?」
尚も泣き続ける赤子を腕の中であやしながら、フレイはガンガジアに寄り添う。
途端、フレイは赤子を抱いたまま膝からすとんと崩れ落ちた。
目が回る。天地が判らない。
気を抜けば腕の中の赤ん坊を落としそうで、それだけはすまいとぐわんぐわん大きく回る頭の中で考え、懸命に腕を動かさないよう固定する。
そんなフレイを足元に、ガンガジアは何度か咳いて、眉間に皺を寄せたまま大きく息を吐いた。
「赤子相手は難儀だ」
そしてフレイの側に跪き、頭の中が回ってふらふらするフレイの背へ腕を回し支える。
「ぁ……」
漸く目の焦点が合い、目眩が治ってきたフレイが呆然とガンガジアを見る。
今のは。
王の魔力に侵された。
魔力を持たないものが強い魔力に侵される感覚を初めて知った。
こうなるのだ。
多量の魔力を持つ自身でさえこの様。
ガンガジアがフレイを見たまま赤子に触れ、忠告する。
「お前も魔力で対抗しろ。剥ぎ取られはするが、無抵抗よりはいい」
怖いが、頷く。
しなくてはならないのだ。
「出すぞ」
ガンガジアがそう言うと、彼からどっ、と濃い魔力が大量に溢れ出した。
ガンガジアの魔力。
魔力はエネルギーだ。
それが大量に放出されれば風が巻き起こり、そして濃度に比例して空気が重たくなる。
その中に在って、フレイの腕の中の赤子は泣き疲れて眠ってしまった。この、強大な魔力が放出されている中にも関わらず。
魔力は全て等しく魔力だ。
これは誰の魔力、それは誰の魔力、と特徴的に判別出来るものではない。
ガンガジアの魔力とフレイの魔力には寸分の違いも無い。
これだけの強さ、大きさの魔力がどこどこにある、と感知するだけで、個々によって何かが違うということはなく、全ての魔力は全く同じものである。
ガンガジアやフレイが互いの魔力をそうだと認識出来るのは、それぞれの持つ魔力に相当する他の魔力が存在しない為だ。
互いに強い魔力を持っており、他の魔力はそれよりも小さいものばかりである為、2人は互いに互いの魔力を識別出来る。
だが、フレイには彼の魔力を”ガンガジアの魔力だ”と感じる。
熱くて気持ちの良い、彼の魔力。
王国最強騎士の膨大な魔力が放たれ続け、一帯に充満していく。
その範囲は人の国と同等の広域を飲み込まんとする勢いだが、この広い荒野では極一部だ。
じわりと彼の額に汗が滲む。
どんどんと彼の魔力が放出され続け、ある所でガンガジアが反応した。
「超えるぞ」
フレイが息を飲む。
大丈夫らしいと判っていても緊張する。
次の瞬間。
どんっ!!!
と、ガンガジアが放出する魔力が何倍にも膨れ上がり、その凄まじさにフレイがよろめく。
先程までは何とか自身の魔力で防げていたが、一瞬でそれを剥ぎ取られ、直に魔力を浴びせられる。
それは確かに、”ガンガジアの魔力”ではなかった。
彼は自分よりも強い魔力を持つ。それは判っている。
だが、それを遥かに超えた強大な魔力を放出する彼は別人に見える。
彼がより大きく見え、全く知らない誰かのようだ。
怖い。
ふ、と風が収まった。
否、ガンガジアが魔力の放出を止めたので風が止んだのだ。
彼の黒い髪がふわりと舞い、ぱさりと額に落ちる。
いつの間にかガンガジアに腰を抱き止められていることに気付いた。
彼が王の魔力を放出してフレイがよろめいたので支えてくれたのだろう。
また、目が回っている。
しかも今度は自身も魔力を大量に放出したので息が切れ、汗びっしょりだ。
本来なら倒れていてもおかしくないが、ガンガジアがその魔力で優しく支えてくれるおかげで倒れずにいられる。
腕の中の赤ん坊はあの凄まじい魔力の放出にも我関せず、小さく口を動かして眠っている。流石は元の持ち主といったところか。
「はあっ、はあっ、はぁっ…!」
ただ呆然と自身を支えるガンガジアを見上げ、肩で息をすることしか出来ない。
そんなフレイへ、ガンガジアは次を促す。
「次はお前だ。やれ。
あまり何度も浴びるものではない」
「はーっ…はーっ……、 ぅんっ…」
これを浴び続ければ死ぬ。
身を以て実感する。
だが、それも自分が魔力を持つ騎士であるから何度かは耐えられるのだ。
魔力を持たないものがこれを浴びれば、すぐにでも死んでしまうだろう。
騎士の魔力ですら浴びただけでは一般人でもすぐには死なない。
王の魔力の恐ろしさを感じる。
「ごめん、ガンガジア…、支えててくれる……?
今ので…殆ど、持っていかれた……」
「ああ」
ガンガジアがフレイの赤子を抱いている側に寄り、その体でフレイを支える。
彼に甘えてその体に凭れるつもりはないが、支えがあるというだけで安心する。
そこで、気付いた。
驚いて側の彼を見上げる。
「何だ」
フレイが目を見開いて見上げてきたのでガンガジアが何事か問う。
しかしフレイは何度か口をぱくぱくと開閉させ、言葉が出てこない様子だ。
「魔力が……、あれ…?」
事実、フレイはどう言えばいいのか判らない。
先程まで感じていたガンガジアの魔力を感じない。
否、魔力は感じる。感じるのだが、それは王たる赤子の魔力のような。
それが彼からも感じられるような。
魔力は誰のものであっても全て等しく同じ魔力というエネルギーではあるが、不思議なことに他者同士の魔力が交わることはない。
魔力の強さによる濃度が違うということはあるが、例え同程度の魔力同士が隣り合っていようと、それぞれ別の魔力として感知する。
だが、今彼の魔力が判らない。
「ガンガジア…本当に大丈夫なの…?
君…魔力、感じない……」
ガンガジアはフレイの疑問にすぐ答えることはなく、暫し黙ってフレイを見つめ、少しして静かに口を開く。
「お前のその感覚は判らんが、今し方王の魔力を譲渡した。
混じって境がなくなっているのやもしれん。
俺は前の王の時にそれを感じたことはない。一時的なものだろう」
「そう、なの……?」
魔力が消えるということは死んだということだ。
ぞっとするほど驚いたが、彼は目の前できちんと生きている。
『王の魔力が使えるようになる』。
彼の魔力と王たる赤子の魔力が混じっているのだろうか。
これが、魔力譲渡。
「さっさとやれ。お前の肉体に影響が出る」
「あ…うんっ…」
ガンガジアに急かされ、フレイは気を取り直す。
そうだ。自分もこの赤子の魔力をもらわねば死ぬ。
あの、泣いただけで襲い来る凄まじい魔力を何度も浴びるわけにはいかない。
腕の中の赤ん坊を、その弱い首を守りながら再度しっかりと抱き直し、眠るその小さな口に指でそっと触れる。
「ごめんね。ちょっとでいいからお口を開けて…?」
だが言葉の通じない、眠る赤ん坊の口は開かない。
正確にはほんの僅か開いているが、些か僅かすぎる。
「んん~……もうちょっと…、もうちょっと開けて…」
指で赤子の口をこちょこちょ弄っても、赤ん坊は触れる何かに反応して身動ぎするのみで口は開かない。
それどころか、むっと完全に閉じてしまった。
もたもたするフレイにガンガジアが叱責する。
「何をやっている。無理にでもこじ開けろ」
「そんな可哀想…」
「生死に関わることだぞ!」
そう言うが早いが、ガンガジアは先程と同じようにして赤ん坊の口に指を挿し込み、その小さな口を無理矢理押し開ける。
「むぐぅ、びゃああああああああああ!!!!!」
「やれ!!!」
乱暴に扱われ、無理矢理口をこじ開けられて、眠っていた赤ん坊が大泣きしだす。
それに怯んで赤子をあやしそうになる前にガンガジアに怒鳴られ、二の腕に乗せた赤子の顔に吸い付く。
「ごほっ!ごほごほっ!!」
濃度の濃いそれを吸い込もうとして飲み込めず、盛大に噎せる。
「吐き出すな!!飲み下せ!!!」
ガンガジアに怒鳴られるよりも、我が身に沁みて命の危機を感じる。
先程ガンガジアが王の魔力を放出した時、身を守る為に放った自身の魔力をごっそりと剥ぎ取られた。
殆ど残っていない状態で王の魔力を浴びて、死が見える。
噎せた所為と目の前の死と、生理的な涙を零しながら再度赤ん坊の口に吸い付き、声と共に吐き出される大量の魔力を口を通じて自身の体内に送り込む。
喉の奥を突かれるような感覚に背中から肩がびくんと跳ね上がる。
咳くよりも先に飲み込み、それから咳いた。
「ごほっ!ごほっ!!」
フレイの喉が嚥下する様が見えたのか、フレイが咳いてもガンガジアは怒鳴らなかった。
「自身の中に王の魔力があるのを感じるか」
「びゃああああああああ!!!びゃああああああああ!!!!」
小さく何度も咳きながら未だ泣き喚く赤子を腕の中に抱き直し、優しく撫で、小さく揺すってあやす。
「ごめんっ…ごめんね……」
「早くしろ。時間が経つとそれは消える」
再度ガンガジアに急かされてフレイは慌てる。
まだ譲渡は完了していない。
だが、怖い。
つい先程、自身の魔力を殆ど剥ぎ取られた。
今フレイに残っている魔力量は少ない。
自身の魔力量を超えた魔力を放出すると、死ぬ。
赤ん坊を腕の中にしっかりと抱き、殆ど無い魔力を放った。
つもりだった。
「!!!!」
本来所有する量を超えた大量の魔力が一気に溢れ出た。
驚いてすぐに放出を止め、側のガンガジアを見上げる。
彼は普段通りの様子でフレイを見下ろしていた。
「譲渡した。これで俺たちは王の魔力を好きに使える」
ガンガジアにそう言われ、フレイは心の底から安堵した。
赤ん坊を無理矢理泣かせるのは精神に来るし、あの恐ろしい魔力を浴びて死を覚悟する必要もなくなった。
そして、自身の上限値を超えた魔力を放出して、無事だった。
魔力は生まれた時に絶対値が決定している。
どんなに修行や苦行を積もうとも、様々な儀式を行おうとも、生まれ持った上限値を超えた魔力を手に入れることは出来ない。
努力でも技術でも信仰でも覆すことの出来ない、この世の絶対法則。
魔力の所有量は生涯変わらない。
だが、唯一上限を超えることがある。
それが自らの命と引き換えに絶対値以上の魔力を引き出す方法だ。
一見絶対法則を覆しているように見えるが、覆ってはいない。
命を懸けたとて限界を超えて引き出せる魔力量は元の絶対値に依存しており、その上限は元の値の倍であると言われている。
100の魔力を持っていれば通常は100しか使えないが、命を対価に200を出せる。
その200がその生物の最上限値であるということになる。
結果として、通常値の倍が最上限値であるというだけで、絶対値を通常値とするか最上限値とするかの違いしかない。
何をどうしようともこの値は変わらない。
この絶対値は個々の生物が持つ魔力に対する抵抗力に比例すると考えられており、通常値を超えて魔力を引き出すと死ぬのは肉体が魔力の放出に耐えられなくなる為だと考えられている。
その死に様は悲惨だ。
穴という穴から血が噴き出し、それでも魔力を無理矢理放出すると肉体が内側から破裂する。
腕が、足が、腹が破裂するのではない。
全身が一度に爆散する。
恐ろしい死に様だ。
現代に於いて、この最上限値まで魔力を使うことは殆どない。王を除いては。
王不在時の騎士が魔獣を討伐するために命を懸けることがないわけではないが、ほぼ常に騎士は複数人居るためそこまでの極限状態に陥ることは少ない。
フレイが怯えていたのはこの点だ。
自身の通常値、上限値を超えた魔力を放出すれば、肉体に影響が出るのではないのかと恐れていた。
ガンガジアに「過去、全ての騎士がそうしてきた。平気だ」と説得されて理解はしていたが、いざ死ぬかもしれないことをしろと言われれば怖気付いてしまう。
ガンガジアが先に魔力の譲渡を行ったのは、実際にやってフレイに「大丈夫だ」と見せる為だった。
おかげでフレイは一瞬躊躇はしたものの、無事魔力の譲渡を完了させた。
「ああ…、うぅ…」
漸く赤ん坊も泣き止んだ。
二度も泣かせて申し訳ない。
優しく揺すって安心させてやる。
だが、これも引いては赤ん坊自身の為。
世話する人間をその魔力で殺せば、赤ん坊を育てる者は居なくなる。
自身の魔力が覚醒した時以来の大仕事を終えて、フレイは人心地ついた。
騎士たちは己の魔力を常に自身の表面に覆い、身を守っている。
それは物理的な衝撃や加害的な魔力を緩和、無効化する。
そして、魔力を持たない生き物が騎士や魔獣の魔力を浴び続けると死ぬように、騎士もまた王の魔力に晒され続けると死ぬ。
多量の魔力を持つが故に魔力の毒性に対して抵抗力がある、という次元を超えて、王の桁外れの魔力は騎士たちをも殺す。
ただ垂れ流されるだけの魔力ならば騎士が普段から纏っている魔力の鎧で防げるが、感情が高ぶるなどして突発的に発せられると騎士でも危うい。
その最たる例が、まさに赤ん坊の大泣きだ。
大人が声も無くさめざめと泣く分には問題ないが、赤ん坊に限らず大声を上げて泣くと大量の魔力が放出される。
腹から遠くまで響く大声を出してもいくらか放出されるくらいだ。
赤ん坊は頻繁に泣く。
王の魔力を譲渡したガンガジアの魔力にフレイの魔力が剥ぎ取られたように、王たる赤ん坊自身からのそれも騎士とて防げない。
この『王』の突発的な破壊的魔力から身を守る為にも、『魔力譲渡』は騎士に必須の術だ。
赤ん坊が垂れ流す膨大で濃厚な魔力は自身の魔力で防げるが、何かしらの事柄を切っ掛けに暴発する魔力には打ち勝てない。
だが、『魔力譲渡』で王の魔力が使えるようになればそれに対処出来る。
暴力的な王の魔力を、同じ王の魔力で遮れる。
この『魔力譲渡』は人類の歴史の中で中期頃に発見されたが、発見されるまで『王』の育児は魔獣討伐よりも遥かに恐ろしい死と隣り合わせの仕事であった。
「何だか…本当に寿命が縮まった気がする……」
「確かに、生まれたばかりの王に魔力を譲渡させるのは危険な部類に入る」
何せ相手は何も判らない赤子だ。
魔力を調節するなどという考えも技術も無い。
ただ出鱈目に放出される魔力を、何とかして自身の中に取り込まなくてはならない。
ガンガジアが先の王から譲渡された時は楽だったと言っていたのでフレイは油断していた。否、赤子故に面倒そうだとも言われていたが。
何はともあれ、これで普通に王を育てられる。
これも来る日の為の重大な事柄だ。
ガンガジアがある事に気付く。
「成程。これか」
「え、何?」
彼が一人で何事かに納得し、フレイはぼんやりと彼を見る。
「お前の魔力を感じない」
「え」
ガンガジアが王の魔力を譲渡した時にフレイが言っていた。
「君の魔力を感じない」と。
ガンガジアも、今のフレイから彼の魔力を感じられない。
フレイの魔力を感じないので、すぐ側に居る王たる赤子の魔力しか感じない。
否、フレイからも王の魔力を感じるような。
ガンガジアは興味深げに2人を見つめる。
「お前の魔力が全て放出され、次いで王の魔力が出されたが故にお前の中に王の魔力が残っているのか…」
彼は生まれながらの騎士であるためか、殊に魔力に関して強い興味を示す。
フレイには到底思い付かないようなことを冷静に分析するガンガジアは、流石は国最強の騎士と言わざるを得ず、胸が高鳴るほど格好良い。
彼は元々フレイにとって『憧れの騎士様』であるが、ただ強いだけでなく、こういう審念熟慮な一面もあることが尚更憧憬の念を深くする。
「魔力が回復すれば元に戻るだろう」
しっかりと目を見つめ合わせてそう言われ、彼に惚れ惚れとしていたフレイは慌てて正気に戻り何度も頷く。
「う、うんっ」
やおら我に返ったようなフレイの反応に、ガンガジアは、初めての魔力譲渡であった上何の遠慮も無い赤子からの強烈な魔力を浴びて疲れたのかと訝しむ。
「大丈夫か?」
「え、うんっ!大丈夫!ちゃんと終わってほっとしてる!」
「そうだな。立てるか?」
ガンガジアがフレイの体を支えて立ち上がり、フレイもそれに続いて腰を上げる。
「うん。もう目眩とかもないし」
赤子を抱いてしっかり一人で立ち上がったフレイに、ガンガジアが様子を窺うようにして手の甲でその頬を撫ぜる。
彼らしい小さな気遣いに頬を緩め、大丈夫だとその手に自らも摺り寄る。
世界の命運を握る3人が立つ荒野に、王の誕生を祝福するように一陣の風が吹いた。




