狂気へ/ゴーイン・ゴーイング・マッド
電車を降りて学校へ走った。
駅のトイレでなんとか着替えは済ませて、軍服は証拠として拝借しておいた。
体力のないボクはすぐに息が切れたけど、呼吸が鉄臭くなっても走り続けた。
ボクは直感というものをあまり信じていない。
だけどこの時ばかりは、なんだかとても嫌な予感がした。
「高田、大丈夫か?」
「きに、すんな……は、やく……」
藤高の後を必死に着いていく。藤高は普段から鍛えているだけあって、余裕すら感じた。
大丈夫だ。ボクの役目は暴れることじゃない。そういう手荒なことは、藤高に任せよう。
今すべきことは、酸素の足りない頭でスサノオの逃走ルートを絞ることだ。学校なのだから出入口こそ多くないが、今のあいつならある程度の高さは超えてしまうだろう。
加えて、協力者の数。
学校へ近付くにつれて徐々にパトカーの数が増え、サイレンの音が響いてくる。これだけの大事だ、スサノオ一人でやったとは考えにくい。少なくともあと二人は居るはず。
犯行現場の想像なんてしたくもないけれど、常に最悪のパターンを脳みそに刻んでおくべきだろう。
「まずは正門の様子を見る。パッと見でいなければ抜け道から中に入るしかないな」
警察がどこまで包囲を広げているか分からないが、ここまでNSの手が回るのは時間の問題だろう。何せ数がいた。スサノオがあちら側だということを考えると、援軍を頼む可能性は高い。
「すげぇ数だ、門が見えねぇ。以上だ」
「随分と物々しいな……」
進入禁止のテープと、その前方に武装した警官の塊。正門に向けて盾を構えてバリケードにし、誰かに対して投降を呼びかけている。
その先に、誰かいるのか。
その先に、アイツがいるのか。
その先に、答えがあるのか。
「肩貸して」
「え?」
「いいから!」
藤高をかがませ、肩の上に乗る。頭を叩いてそのまま立ち上がるよう指示した。
門の向こう、昇降口を見る。離れていてよく分からないが、二人――
「いた!」
「なんだって!」
「ミカエルと一緒、二人だけだ! まだチャンスはある!」
ヘルメットをしている上、近付かないと正確なことは言えない。だがあの姿、身長、立ち振る舞い。それに、あの刀――血塗れの刀。
考えた中で最悪のパターンだ、二人はこれから突入するのではなく、脱出しようとしている。なんとかして今ここで捕えないといけない。頭をフル回転させて、すぐ出来ることを整理して。
とにかく行動しなければ。藤高に下ろすよう言って、再び人だかりに視界が閉ざされる直前。
「あのバカ! 正面から!」
スサノオが、歩き出すのが見えた。
撃たれたらどうするつもりだ。猟銃の時とは訳が違うんだぞ。もし装填されているのが殺傷力の高いホローポイント弾だったら誤魔化しきれるダメージじゃすまない。
「止めないと!」
「ああクソ、結局こうなんのか!」
撃たせてはいけない。当ててしまっては正に手負いの獣だ、何をしでかすか想像できない。
この包囲を向けられるとは到底思えないが、無事で済むことは絶対に無いだろう。どんな力を持っていたとしても、スサノオは僕よりも年下で、まだ学生だ。訓練された大人にはとても、敵うはずもない。
人だかりを掻き分けながら、前に進む。
あと一歩、もう少しで警官の背に手が届く――
一発、銃声が鳴り響いた。
◆ ◆ ◆ ◆
「…………くだらん」
こんなものか。
魔力の循環を早め、内側から治癒していく。
傷が塞がる頃には、銃弾が体内から排出されていた。
なるほど特殊な弾らしい。先端が爆ぜたように広がっている。
痛みも残らなかったが、こんなものを向けてきたんだな。
悲しくはなかった。
むしろ望むところだ。
このまま前線を突破すれば、めでたく世界の敵だ。
復讐してやるぞ。
この腐った世界を壊してやる。
もう一度やり直すんだ、新しくなった世界で。
家族も友もいないけど、そこでならもう一度、全てをやり直せる気がするから。
「止めてみろ! そのチンケな鉛玉で!」
両手を広げ、ゆっくりと歩く。盾を構えるミカエルとは対照的に、堂々と迫っていく。
恐怖は無かった。
むしろ快楽に近い。
誰にも止められないという快楽。誰も止めはしないという快楽。戦いの中、確かに立っていられる快楽。
こうして皆が敵意を向けて、僕を討ち取ろうと憎悪を向ける。
どこを向いても敵しかいない。
味方などミカエル一人で充分だ。
なんという充実感。
これが、僕が世界に求めたもの。
◆ ◆ ◆ ◆
「嘘だろ……」
スサノオはゆったりと歩いてくる。
幾度撃たれても、全く歩調を緩めない。
銃撃も、刺すような視線も、向けられる敵意も殺意も全部受け止めて、当たり前のように歩いてくる。
ヘルメットに隠されて表情は見えないけれど、なぜだか笑っているような気がした。
辛く苦しいはずなのに。
痛くてたまらないはずなのに。
そこには、溢れんばかりの悦びが、確かにあった。
怖い。
はっきりとそう感じた。
スサノオを止めようとした。それは事実だ。けど、甘くも見ていた。
返り血を浴びた服のまま、血に塗れた鞘を提げてゆっくりと、悠然と歩いてくる。
そんな……そんなバケモノを、僕はどうやって止めるつもりだったんだろう?
あの満足げな表情。堂々とした立ち振る舞い。その中に眠る、確かな狂気。
ボクは初めて理解した。
スサノオはもう、連れ戻せないほど遠くに行ってしまったのだと。
気付いた途端、恐怖とは違った感情が胸の内に湧いてくる。
油のように粘っこく、泥の匂いよりも苦い、そんな感情。
その感情を知っていた。
これは悔しいという感情だ。
止められなかったこと。むざむざ捕虜になったこと。ユダを頼らねばならなかったこと。それは最早どうでもいい。
ボクには手駒があったんだ。藤高が近くにいて、部屋の主であるミカエルとも面識があったし、何度も話しかけられた。
下らないプライドで当たり障りのない話をして、脱出のために動かなかった。
もっと出来ることがあったはずだ。死力を尽くすことは出来たはずだ。そうすれば、今スサノオが対峙しているのは警官ではなく――
「なんでボクじゃなかったんだ」
――ボクたち二人だったはず。
今あの場所にいるのが自分ではないこと。
それが悔しかった。
当事者ですらない。
それが悔しかった。
今のままでは届かない。もっと力が必要だ。人を集め、情報を集め、入念な計画を立て。
その上でやっと「阻止」が成り立つことを、初めて思い知らされた。
スサノオはゆっくりと歩いてくる。
気圧されたように道が開いた。
マステマが声を上げた時のように、いや、あの時よりももっとはっきり、強い強い意思を感じた。
同時に、決して小さくない落胆も。
ヘルメットがボクを見る。
歩調が早まることは無い。
スサノオはゆっくりと歩いてくる。
「随分と遅いご到着ですね」
くぐもった声で、スサノオは言った。
「もう終わりました。アンタの取り分はないよ」
剣よりも鋭い言葉を投げつけて、それきり。
スサノオはまた、ゆっくりと歩いていった。
それが全て。
これが全てだ。
ボクは何も出来ず、指を咥えて見ていることさえ許されなかった。
終わったんだ。
止められたはずの事件を、ボクは止められないまま、全ては過ぎていってしまった。
斯くして歯車は回っていく。
止まることなく。
だってそうだろう?
これはアフターファンタジー。
終わった後の物語だから。




