ザ・マッチョマン
ネタじゃねぇんだ、このタイトル。
『何か』が始まったのを感じた。
ニヤニヤとこちらを見てきたあの女がいないのだ。ボクはなんとなく、彼女がどこかに行ってしまったのだなと結論付けた。
偶然今日は来ていないだけだとか、どうせあと数分もすれば顔を出すだろうと考えてから、おそらく数時間は経った。
この部屋には時計も水道もコンロもなく、当然ながら人が生活出来るような部屋じゃない。
そういうわけで、ほんの少しどころでなく喉が乾いたし、トイレにも行きたい。お腹が空いた。その影響なのかは分からないが、時間の感覚がかなり曖昧だ。
今は昼なのか夜なのか、朝なのか。はたまた夕方だったりしてな。
寝ぼけた頭を必死に回しながら、そんな下らないことを考えた。
拘束は解かれていたし、動けはする。でも扉は開かない。外から鍵をかけられているのか、うんともすんとも言わない。
離れ離れになった藤高が心配だった。
スサノオは彼のことを「ゴミ」と呼んだから、きっとまともな扱いは受けていない。スサノオの持つ亡霊のような瞳を思い出して、何度目か背筋が寒くなった。
藤高は無事だろうか。ボクのたった一人の親友。唯一の理解者。もし脱出の目処が立ったとしても、彼を置いていくことはできない。
せめて生きていてくれと願った。
弱気になっている。乾きと飢えのせいだろう。そういうことにしておく。
なにか変化がないと気が狂いそうだ。なんせ外の音がしない。窓もなく、空気の流れもない。
異常な淀み――そのただ中にあって、本当の意味でなんの変わりもない時間を全て記憶してしまう、自分の頭を恨んだ。
自分が足を踏んでいないところは既にない。時間の感覚がないから何分頃というのはまるで分からないけれど。
助けを求めるのは悪手も悪手だ。誰がいるかも分からない。分からないことだらけだが、してはいけないことだけは分かっていた。
ミカエルと呼ばれていたあの女、彼女とは関わらない方がいい。
妙な目をしていた。歳はそう変わらないはずなのに、まるで老婆のような目。その癖してボクのことを興味深く見て、全てを見抜いてくる。できることなら、次入ってくるのはスサノオの方がいい。その方がはるかにマシだ。
「…………」
なんていう下らないことを考えながら、それでも一言も発さずにいると、ついにドアノブが動く。
目の錯覚だ、早くも幻覚まで――そう言い聞かせようとして、すぐさま否定する。
音を立てて、扉が開いた。
上枠に頭をぶつけないように屈む姿は、あの女では到底叶わない。圧倒的に高い身長。細い見た目に良く似合う、高そうなスーツ。電灯の明かりを反射したメガネを正し、その分厚い手の甲を見せた。
その男を知っている。
落ち着いた空気を纏う、それでいてどこかおどけた雰囲気の男。
ボクがここへ来るきっかけを作った張本人だから。
「ユダ……?」
「お久しぶり、というほどでもありませんか。お世話になっておりますどうも」
その男は、確かに答えた。
「熱いラブコールをありがとうございます。確かに受け取りました、このユダが」
ラブコールなんぞした覚えはない。
ともあれ、部屋に入ってきた以上は何かしらの用があるはずだ。ボクが聞くより早く、ユダは持ってきていた鞄から服を取り出す。
「着替えてください」
「ここで!?」
「ええ。時間がありませんから」
意図が読めない。扉は開いたままだ、逃げようと思えば今からでも――
「逃走のために必要な準備です。一人でなんとかしようと思わないこと」
ふざけているとしか思えないが、しかし……このままユダから逃げ切れるとは思えない。
体格が違いすぎる。運動をしていない、細い体のボクとは違う。
無駄のない肉体なのだろう。見た目だけでそう判断できる。
従うことにしよう。着替えを見られるのは恥ずかしいが。
「なんだこれ、軍服?」
渡された服を広げてみると、どうやら随分としっかりした……どこからどう見ても、軍人用の装束だ。
「ええ。木を隠すなら森の中と言いますからね」
「いや無理だろ、どう見たって軍人なんて顔してないぞ」
「大丈夫ですよ。着替えて着いてくれば分かります」
「信じるけど、いい?」
「ええもちろん」
強気な奴だな。
「じゃあ着替える」今のところこれしか解決策がないしな。「藤高の――もう一人捕まってるやつのこと、頼める?」
「最初から助けるつもりです。マスターの命令ですから」
「ふーん……?」
マスターか。
マスター……長。船長。主人。雇い主。何かを熟達したり、使いこなすこと……この場合は「主人」が当てはまるだろうな、
船長って線はないだろう。スサノオはこの部屋を方舟とか言っていたが、船長自ら捕虜を放すのでは意味が通らない。
ユダの主人か。悪趣味なやつなんだろうな。
背を向けて着替え始めると、再び扉の閉まる音。おそらく藤高のところに行ったのだろう。
頼んでおいた手前、彼に任せて良かったのだろうかと考えた。余りにも胡散臭い。本当に助けてくれるとは思えない。
藤高のことを考えると、早く服を替えて自分で探した方がいいだろう。
……その前にトイレ。
◆ ◆ ◆ ◆
「似合ってますよ高田くん」
「なんだお前、ひょっとしてバカにしてる?」
「滅相もない」
馴染まない軍服を着て藤高を探す、と言っても残すところ一部屋だ。鍵を掛けられていたからまず探すべきは――
「おい」
「はい?」
「いや、はい? はこっちのセリフだって、何してる?」
「扉を開けようかと」
「鍵もないのに?」
待て待て待て、とりあえず構えを解け。扉に殺意を向けるな。何をする気か知らないが、さすがに扉を体一つで破れないだろ。
「ご安心を、私の筋肉は万能キーなので」
「は?」
「フ――……」
ユダが深く息を吸ったかと思うと――
「んッ!!」
服が弾け飛んで――
「貫通爆弾筋肉ッ!!」
まるで、軽いプラスチックケースを外すかのようにユダが壊れた扉を脇においた。……ひしゃげた扉板を片手で持っている。それほど薄くない。
勝手な行動をしなくて良かったと心から思った。
「なんで脱いだ?」
「力むとこうなるんですよ」
「なんでポージング?」
「モストマスキュラーです。いかがです? 冷蔵庫一台増量キャンペーンです」
頭が痛くなってきた。




