アフター・ファンタジー
ドアをくぐる。
深層に出ると、少し先で、ゼウスが待っているのが見えた。
こんなところでもタバコか。不健康なことだ。
「いざと言う時は呼吸が生死を分けるんだぞ」
「テメェに説教されたかねェよ」
ポケットから携帯式の灰皿を取り出して。
「お別れは済んだか?」
「いいや。だが言いたいことは、お互いに言えたよ」
「良かったな。んじゃ、着いてこい」
あっさりと流して、ゼウスは歩き出す。
どこに向かうのだろう。
「今からカミサマに会わせてやるよ」
突然、なんの脈絡もなく、そんなことを言うものだから、僕はしばらく固まってしまう。
距離が開いたのを慌てて縮める。
「カ……神様? 神様だと?」
「オーそうだよ。俺らNSの生みの親だよ」
なぜ、突然そんなことに。
「驚くほどでもねェだろ。お前は良くやった。その褒美さ」
悠々と歩くゼウスは如何にも鬱陶しそうに言う。
「エラッソーで、いけ好かないヤローだよ。オレァ嫌いだァ」
「神を嫌うなよ。祟があるぞ?」
「なんでも来やがれってんだい」
ぐるりと、視界が軽く回る。
層が移り、景色が開ける。
「あるわけねェよ。ああ、あるわけない。そんなに肝の座った男じゃねェ」
ゼウスの歩調は変わらない。
「アイツは優しすぎるんだ」
神様と、ゼウス。そこに、ただならぬ何かを感じた。
「……ま、お話はこれくらいにしておくか。時間もそんなに無いんだからよ。ここまで来りゃ、あとは任せてもいいだろ」
言って、ゼウスは腕時計をチラと見る。
「会議の時間だ。玉座まで会いに来い」
僕の前を歩き出すと、その姿はぶれて行き――やがて、暗闇の中へと掻き消える。
ここはおそらく、中層、だろうか。
少しの間だが、考えることはできると、ゼウスは言った気がした。
何を、かは分からない。でも何かを考えるべきだとゼウスは言いたくて……でも、少なくとも僕にとって、それは些細なことだ。悩むまでもない。
玉座へ。
ゼウスに会いに行くんだ。
僕は大きく一歩踏み出す。
力強く。視界が回り。
はるか遠くに――今度は裏側ではなく――玉座を見た。
大きく、とても大きく、荘厳な造りの椅子。
それを前に、幾人もの……NS。NSだ。たむろするようにして談笑している。
誰か待っている。
その誰かは僕でないことは確かだ。
きっと歓迎されていないだろう。
僕は人間で、彼らはNS。何もかもが違うのだ。僕はそこに、踏み入れようとしている。
「……ハン。今更だろ」
他人と、何か、分かり合えたことがあったか?
僕にそんな経験はない。
分かってくれたことはあった。だが、相手を理解することは……ついに出来なかったのだから。
だから、胸を張っていこう。
歩いていく。ゼウスの元へ。
「約束を、果たしに来たぞ」
「オウ。ようやくだな坊主」
彼はそれを迎え入れ、周囲は俄にざわめいた。
たくさんの声が僕に向く。
たくさんの視線が刺さる。
居心地が悪い。
だが、ここで歩んでいくと決めた。
認めさせていくだけだ。
「俺は――」
「オーイオイ。まだ何も言うな。そろそろ……神様のご到着だ」
ゼウスに手招きされて、隣へと落ち着く。
再び時計をチラリと見ると、ゼウスの目付きがガラリと変わった。
「さて。お前ら、会議の時間だ」
ゼウスは玉座に最も近い。彼が一つ咳払いをすると、周囲の喧騒がシンと止む。
そして……
「道を開けよ」
声が響いた。
何も無い方舟に、声が響いた
それまでたむろしていたNS達が、玉座への道を開けて整列する。
僕は列から少し顔を出し。
驚愕に目を見開いて、その人がゆっくり、玉座へ登るのを見ていた。
僕はその人を知っている。
いつの日か会ったのを、鮮烈に覚えているから。
金色の目。
金色の髪。
ピシリと整った姿勢。
大空のような輝きと、海のような深さを併せ持つ瞳。
僕は、その人を知っていた。
方舟の果て、いつの日か会った。
夢の中だと思っていたのに。
「面を上げるが良い、我が子達」
その人は、静かに言った。
玉座の上から。
大きな大きな本を脇に置き。
落ち着いた、威厳ある声で、僕達に語りかける。
その声を知っている。
その姿を知っている。
その威厳を。
その重圧を。
僕は今一度、この魂に浴びた。
「さて……此度は何用かな、ゼウス。報告にしては、随分早いではないか」
その語りはゆったりとしていて、どこかに寛大な余裕と、甘く蕩けさせるような痺れを帯びている。
その声に聞き入ってしまう。
ゼウスは僕の前に、覆いかぶさるように立ち。
「書類は届いてるはずですよねェ?」
と、返した。
なんだか苛立った声だ。
「確かに見たとも。ああ。さしずめ――」
チラリ、と、その視線が背後の僕に向けられる。
「――人間を神官に推したいようだな?」
再び、皆が俄にザワつく。見渡してみるとその反応は多様で、怒りを顕にする者――困惑を浮かべるもの――ガッツポーズを取る――ミカエル、お前なんでそんなに後ろにいるんだ――
「前代未聞だ……そうとも……人間がここまで評価されたことは今までにない。何が貴殿をそこまでさせるのか……非常に、興味深い」
その人が、僕を手招いた。
直接僕に向けられたわけではない。
だが、確かにそう感じた。
一挙手一投足。全てに意志の力が宿っているかのように。
僕は引き寄せられるようにして、前に出た。
その人と目が合う。
はっきりと理解した。
そうか、この人が。
この人こそが、神だ。
「ほう……!」
驚愕と歓喜。
眸が物語る。
口角が上がるのを見た。
動けず、口も開けない僕の代わりに、ゼウスが話を続ける。
「皆様ご存知、侵入者のA君だ。コイツァ数週間前まで魔力も使えないクソガキだった。……にも関わらず……」
「ルシフェルを倒したんだよね!」
「そうだミカエル、ついでにお前の命も救ってみせた」
淡々と、ゼウスは事実を述べていく。
僕の起こした行動が、方舟に、どんな影響を及ぼしたのか。
「こいつは勝ったんだよ。ルシフェルにな……あのルシフェルにだ。オレの愛弟子にして、オレ様に次ぐ実力者、戦世の神官、帝国の武神、ルシフェルに勝った!」
胸を張れと言われたことを思い出し、僕はそれでも、ただ漠然として神様を見つめる。
「成程、ゼウス? 君は彼を――」
「ああ、そうとも」
ゼウスは屹然と、神を見て。
「オレはこの男を神官に推す」
その言葉に、肌が粟立つ。
思わず振り返ると、ゼウスが手で、前を向くように指示した。
「我が選んだ者以外を神官に、か……そのルールは貴様が作ったはずだな?」
「ああ。神官三名以上の推薦と、現状の神官に敵う実力を示すこと。それが条件だ」
「神官は皆、強い自我を持つ。そう簡単に推すとは思えんよ。それが例え、君の手のものだとしても」
ゼウスはその反論を鼻で笑う。
「ところがどっこい! もう集まっちまったんだなぁ、三名の推薦は! しかもこいつはルシフェルに敵う実力者!」
「倒されたものは推薦の権利を失う。ルシフェルの推薦があったならば、残念ながらそれは無効。そしてゼウス、大神官である貴殿にも、その権利はない。このルールも課したはずだ」
「分かってるよぉそんなことはなぁ。だから、それを除いた三名だ」
そう言って、彼は鍵を空中に突き刺して。
「戦世の神官ミカエル。宗世の神官エクスシア。そして――新たな神官、ユダの推薦を以て! 何度でも言う。オレはコイツを、神官に推す」
ユダ、ユダだと?
アイツも神官になったと言うのか。僕より早く。僕の前を進み。
彼が、僕の手を引いたと言うのか。
神はそれを聞いていた。
目を瞑り、何かを思案するように。
そして、深い熟慮のあと。
「少年」
「は――はい」
「近う寄れ」
僕を、再び手招いた。
「名乗りがまだであったな」
神は、玉座から立ち上がる。
「我が名はノア。この方舟の主にして――世界の神」
『ノアの』方舟。
そうだ、ずっとそう呼ばれていた。あれは神話をなぞったものとばかり思っていた。
だが、違う。
彼がノアであり、この地は彼の所有物。
世界を救った逸話を持つこの舟の主――だからこそ。
「ノアの、方舟……」
「そうとも。察しが良いのは嫌いではない」
ノアが僕を見た。僕の目を覗き込み。
そして。
「君は、選んだのだな」
あの日の言葉を、僕しか知らないあの日の言葉を、反芻させる。
「ここに立つのは、自らの意志か?」
「はい」
「よろしい……嗚呼……よろしい。素晴らしい……良き目を……良き瞳をしている」
差し伸べられた手を前に、僕は何故だか跪く。
そうせずにはいられない。その威光を前にして、僕はまともに、立つことすら叶わない。
「異議のあるものは?」
誰も、声を挙げない。
ノアが――ノア様が決めることを、全ての神官が待っている。
「良いだろう。ならば今ここに」
冷たい力を感じた。
洗礼を浴びるようだ。
僕はここで、生まれ変わったようにさえ思う。
「少年。君に神官としての地位と、そして――『スサノオ』という名を与えよう」
ずっと名乗り続けた渾名が、この時初めて意味を持った。
神官という意味を。
「胸を張るといい。我は君を認めよう。そして受け入れよう。政世の神官として!」
僕の物語はここから始まる。
長い序章は幕を閉じ、ようやく――第一章が始まるのだ。
それは復讐の物語。
この生涯を賭けた……復讐と、そして。
信念を越える、長いお話。
これはアフターファンタジー。
終わった後の物語だ。
くぅ〜疲れましたw
これにて序章完結です!




