信念を越えて
言葉に出来ない。
歓喜ではなく、悲哀ではなく。
ただただ真実だけが、胸を熱くする。
その熱量は呼吸では抜けず、頭の中で何度も何度も繰り返される言葉だ。
言葉にならない言葉だ。
残心のように、ゆったりと構えへ。
強く、剣を握りしめる。
勝負あったと、一人思う。
致命傷だと、一人舞い上がる。
これで終わったと――一人、安堵して。
「俺の――」
「これで条件は揃った」
そこがまだ、最終局面でないと思い知らされる。
まだ、なのか。
まだ先へ行こうと言うのか。
背中を掴まれてなお、僕を下そうと。
ルシフェルが不敵に、強気に笑う。
「条件その一。……相手が一人であること。これを満たすのが最優先にして最難関……戦場において、一対一の場面などまずないからな……」
血をしとどに流しながら。
「条件、その二。相手の体内に俺の魔力を流すこと……こちらはそれほど難しくはない。経験を積み、知識を蓄え……幾度かの攻撃を受ければそのうち完了することだ」
覚束無い足取りで、その傷を押さえ。
「条件、その三」
しかしその声は、確かな自信に満ちていた。
「俺が致命傷を負うこと」
待っていたというのか……否。違う。待ってはいない。ただこの状況で、どんなに追い詰められたとしても。
こいつにはあるのだ。そこからなんとか巻き返せる、とっておきというものが。
「見せてやる。俺の切り札を」
その言葉を引き金に、体の中で違和感が暴れる。
ルシフェルが、僕の血液から刃を精製したその瞬間――あの僅かな隙に、ルシフェルの魔力は流れ込み――未だ体内に留まり流れ――今まさに、飛び出さんと暴れ回っている。
思わず膝を着いたその時。
ルシフェルの魔力は僕の体を突き破り、この体に、ルシフェルと同じ傷を刻む。
「痛みの鎖」
痛みに叫ぶ。
治癒が遅い。
魔力の巡りが極端に遅くなっている。
二人して同じ傷を抱えながら、それでもなお前を向く。
傷を治せずにいるのはルシフェルもだ。
臓腑まで到る深い傷。命に届く重い傷。
二人でそれを共有して、僕らはそれでも折れない。
「簡単なこそさ。魔力の循環がどこで途切れているか……それを意識すれば、お前にも同じ『流れ』を作り出せる」
「だが代償は大きいようだな」
「無論。だからこそ切り札なのさ」
ゆっくりと。
ゆったりと、立ち上がる。
互いに構え。
「ここから先は一撃の下」
「ああ、ならばこそ」
互いに傷と、思いを共有し。
そして、言葉は重なる。
「「これが最後だ」」
一撃の下。
たったの一振りで。
致命傷の上、更に命へ踏み込む愚行。
まともな神経ならばここで引くだろう。
普通の人間ならとっくに逃げているだろう。
少し前の僕ならば、既に折れていただろう。
だが、もう違う。
心は刀。
幾重にも、折り重なって叩かれた鋼。
強かで靱やかな、一振の剣。
単純にして明確な、二人の信念を懸けた一撃。
求めるものは同じ。
極めたものは違い。
歩んだ道もまた遠く。
それでもやっと、交わった。
僕はルシフェルの隣に立ち。
ルシフェルは僕を見ている。
身体だけでなく、精神すらも。
正々堂々、一刀に全てを。
命運を分けるのは、ただひたすらに、剣を振るってきた場数だけ。
「……笑っているな」
「そうか?」
「ああ。……心底楽しそうだ。羨ましいよ」
「結局、俺はこういうのが好きなんだろうな」
「スサノオ。お前に一つ聞きたい」
「二つでも三つでも構わんぞ」
「………………後悔はないか?」
その言葉に、僕は高ぶる気持ちを抑えられない。
後悔か。
「微塵も」
それは、一瞬の交錯。
微笑みあったと見えた次の瞬間だ。
ルシフェルは一気に距離を詰める。
読んでいたその動きに合わせ、半歩引いて攻撃の後に刃を合わせようとし。
中段から、大きな動作で面を狙い、振り下ろされる刃。
躱した、と確信。
あとは、隙だらけのルシフェルに、刃の切っ先を置いていくだけで――
刹那。
何かおかしいと勘づく。
一秒。
降り切った剣が。
上がり。
振り上がり。
届かないはずの、刃が。
体を袈裟に切り裂いた。
見れば、そこには赤いオーラがある。
見れば、それは切っ先と同じ様を象り。
僅か、肉体に沈みこんだ刃が、致命傷の刻まれた我が満身創痍に、もう一つの致命傷を上塗りしていく。
「……これが、全ての決着だ」
確信したのはルシフェルの方だった。
足を引きずって、膝を着いた僕に背を向けて歩いていく。
その向かう先は、ミカエル。
その向かう様は、懺悔のよう。
銀色に佇む十字架へ、一歩ずつ踏みしめるように歩いていく。
「家族というものが……」ルシフェルは、喜びを滲ませ。「やっと手に入るんだ……!」狂気を浮かばせ。
僕はただ。
ただひたすらに。
「違う……!!」
その信念を否定する。
違う、それだけは違う。
お前の全てが正しいとしても、その信念だけは違う。
家族のためにここまで来たと言うならば、なぜ。
なぜ僕を、ちゃんと終わらせてくれない。
せめてもの手向けの華が欲しい。
せめてもの、ちゃんとした敗北が――死が欲しい。
ここで終われるかもしれない。ここで歩まなくて済むかもしれない。もう何も。
見えもしない幻想を追わなくても――
「お前は家族を……! 家族をなんだと――」
「決まっているだろ」
ルシフェルの背中には、数えきれないほどの過去があって。
その過去には、悲しみが、憎しみが、確かな歴史が刻まれていて。
「理想のように得難く。人生のように離し難く。――だからこそ、復讐のために立つに足る」
それが。それこそが、お前にとって。
「お前も、ゼウスも、ミカエルも。……確かに、俺にとっては家族なんだ」
僕にとって。
「さぁ……来い。一つになろう。永遠に……もう二度と離さない」
復讐のため、刃を振るうに足りるもの。
立てと足に命令する。
それでも体は動かない。
走れと意思が迸る。
それでも体は応えない。
少し遠くで、ミカエルの拘束が解かれていく。
その姿はぐったりとしていて、とても生気が感じられない。
命は僅か。残された時間は僅か。
そして、僕の命も、あと僅か。
終わるのか。ここで。ここまで来て。超えられないのか。ルシフェルという壁を。十五年という歳月を。ここまでして。ここまで来て。ここまで届いたのに。超えられないと。
お前はそう言うのか。
ルシフェル。
「お前には」
超えるべき壁。
追うべき背中。
僕の理想。
僕の在るべき姿が。
そんなものだと思いたくない。
情けない姿を見せてくれるな。
過去には何も無い。真実も嘘も。希望も絶望も。何も無い。何も無いんだ。
僕の兄だとお前は言った。僕を家族とお前は呼んだ。
今しかないんだ、僕達には、今しか。
今この時、たったの一瞬、それしかない! 僕達は、誰も歩んだことの無い、荒野に! 足跡を残し続けてきたのだから!
この方舟で!
誰よりも得難く! 何よりも離し難く! そして何よりも――どんなことをしても! お前を得たいと僕自身が望んだのだから!
「お前には負けられないんだ!!」
もう何も、残せるものはない。
少しでも遅れれば、ミカエルも僕も死んでしまう。
たったの一秒でいい……! 奴に肉薄し! 骨を裂き!
抱き締めるだけの力が欲しい!
「あああアアアアアアああああッ」
叫んだ。
力の限り叫んだ。
この瞬間に全てを投げ打つためだけに。
この瞬間に全ての決着を付けるため。
あらん限り。底無しに叫び。
ルシフェルが見えた。
目が合って。
ミカエルを横にして。
僕を振り返り。
何か――何かを言った、口ずさんだ、呟いた、僕はそれを。
静かに流れる、緩やかなスローモーションの中で聞いていた。
「……!!」
言葉を返す間が惜しい。
息を吐き出す時間が惜しい。
そんな余裕があるのなら、前へ。
一歩でも前へ、駆けろ。
転がるようにして前へ。倒れ込むようにして近付く。
全てがスローモーションに。
僕はその、緩慢に流れる時の流れに、しっかりと自意識を保ち。
叫ぶ代わり、ルシフェルの肩へ、刃を掛けて振り下ろす。
ゆっくりと、血飛沫が舞った。
それを浴びた途端、世界の速度が元に戻る。
止めていた息が押し出され、目を大きく見開いて。
崩れ落ちるルシフェルを前に。
僕は、拳を突き上げた。




