前へ
止められない。
ルシフェルは止まらない。
もし今、この攻めを凌いだとしても次がある。更に防いだとして、その次は? その次の次は?
意味の無い思考がぐるぐる回り――魔力 が電光のように走る。
受け止めた刃は頭上で止まり、それでもなお強く、重りは僕の体を沈ませていく。
動けない。
余りある枷。その瞬間に縫い付けられたかのように、僕はそこから動けずにいる。気を抜けば全てを二つに裂かれ、二度と元には戻れない。
在るのはただ、明確な死。
諦めれば、僕は死ぬ。
死ぬんだ。
いつもこうだと、思わず笑みを零す。吊り上がった口角はすぐさま引き締めて、俯かされた面を上げて睨みつける。
前を見ろ。
今ここではなく、次の瞬間を。
次を。その次を。更にまた次を。諦めるな。勝利の先まで。辿り着くまで歩みを止めるな。
目の前の瞳に、はっきりと、 不退転の意を叩き付け。
思いに呼応し、魔力が炎のように刀身から昇る。
スパーク。明滅。走馬灯。あの日。あの時。いつかの瞬間。めぐるましく。
暗く。眩く。
だけれど、確かに、誰よりも熱く。
「知っているはずだ」
ここまで歩んできた。
ここまで辿り着くために。
やっとその背中に届く。
離れない。もう二度と!
「諦める気は無いと」
何も手に出来ない人生だった。
友はなく、敵はなく、愛を知ろうとせず、だから葛藤も、思慮も、理想も、達成感も後悔も。
夢でさえ。
僕にとって空虚なものだった。
空っぽのまま生き、空っぽに死ぬのだと思った。何も知らないまま。何も思わず。
きっと、ルシフェルが来なければ、僕は願わずとも、図らずとも、そうなっていただろう。
でも方舟で、僕は知った。
自らの命を。
夢の形を。
欲しかったものを。
ルシフェル、お前は僕をどう見ている。お前にとって、僕はまだあの時の――ただお前に殺されるだけだったあの時の――臆病で、虚な子供のままか。
こうして、まさしく今のごとく、ずっと進まないままか。
だけどお前は知っているだろう。ずっと見てきたのだから。父より、母より、妹よりもずっと、もっと誰よりも近くで、僕を見てきたお前ならば。
ルシフェル。
「立ち止まるのはもうやめにしよう」
僕は進む。
例え何を置き去りにしても、前へ進む。
だって、僕はもう知っているから。
死の淵で面を上げた人間にだけ、未来と言う向こう岸が見えるということを。
死の淵で諦めなかった人間だけが、向こう岸へ跳べるということを。
だからルシフェル、お前はそこで待っていろ。僕が死の淵を超えるその時まで。お前はそこで待っていて、ただ僕が落ちることを思うだけでいい。
どれだけ無様と笑われてもいい。
気にも留めない。
僕はついに手にしたのだから。
「今度こそ……お前に追いつく!」
叶えたい夢を――歩み続ける覚悟を――誰よりも熱く、何よりも深く、どんな刃よりも、鋭く。
どんな砂漠を往くよりも、遥かに過酷な渇望を。
僕は遂に、手に入れたのだから!
「おおおおおッ」
意思が体を突き動かす。誰の声でもなく、僕自身の心が、勝つのは今だと叫んでいる。
今こそ、死の淵を超える時。
迸る魔力が全身を軋ませながら、錆び付いたような関節にまで巡る。
押し返していく。
今までは、決して返せなかったルシフェルの力を、徐々に押し返していく。
早鐘のような心音が心地よく、乱れた呼吸に快感を覚える。
戦えている。
あのルシフェルを相手に。
如何にハンデがあるとは言えども、紛れもない事実だ。
無理矢理息を整えて、未だ伸し掛る重圧をいなす。
未来を予知。攻撃はやはり止まらない。ならば、すべきは一つだけ。
血の形状を再び一本の刀へ。空いた手に握られた刃はまっすぐに僕の首を狙う。
その角度、衝撃、速さ。全て予見通り。
合わせる。
前へ踏み出す。
攻撃のタイミングに合わせ、速度に乗る前に叩き落とし更に前へ。
繰り出される挟撃よりも早く前へ。
敵が下がるより早く。
その拳を突き出すより早く。
早く。
早く、一歩でなくとも、半歩でもいい。とにかく前へ。躱しながら防ぎながら流しながら、ひたすらに距離を詰めていく。下がる相手から離れず、自分の間合いへと引きずり込む。
「この……っ魔力も無しに……!」
見えた。
下がる足に僕のつま先を差し出す。不意の足払いに思わずルシフェルの動きが鈍る。
ここだ。
決める。
ありったけの魔力で肉体と刃を強化する。
防御を欠かさず。かと言って攻撃も疎かにせず。
イメージしろ。振るうは大剣。なれど刃は大業物。それを振るう自分自身を。
鋼鉄のような筋肉を――叩き上げられた心で。
イメージしろ。すべてを斬り裂く鮮やかな剣戟を。
風など吹かずとも。
光速に迫らずとも。
僕の考えうる中で、最も美しい一撃を。
無駄な力を削ぎ落とし、必要な部分だけを強く意識。筋肉の一つ、血管の一本その全てまで。
極限の集中で、敵を下せ。
「シィィィイイ――!!」
強く。
呼気を短く――叩き込め!
滑らかな光が、方舟の空を掛けて行く。
振るったはずの僕自身、それをどこか遠い目で見つめていた。
一秒先に勝ちを見た。
刃の到達を。
鮮やかな軌跡が、方舟の空を斬り裂いていく。
空気がヒュウと鳴る。
風の音。
それを僕は、どこか遠い目で見た。
柔い感触――返り血を浴びて――硬い――骨まで到達した刃は臓物を斬る。
剣の勢いは死に、無くなったような、通り過ぎたような手応えと、鈍色の輝きが。
確かに、ルシフェルに届いたことを告げた。
「……か……は……あ……」
しばらく、固まって、互いに荒く息を交わした。




