オリジン
世界の速度が元に戻る。
礫が音を立てて落ちた。
動けない。
一歩足りとも動けない。
まだ僅かばかりの魔力はあるが、この程度では回復にも攻撃にも頼りない。
隙だらけだ。
霞む視界で前を見る。
「ハッ……」どうやら。
僕の敗けか。
「驚かされてばかりだ。初めて会った時からずっと」
流れ出る血が、地面に薄く膜を張る。
今の一撃で獲れなかったなら、僕にはもう、勝機はない。
億に一つも。
「やはり、お前は」未来が視える。「あの時殺しておくべきだった」
サトリの中で、僕は首のない自分の体を見つめていた。
死か。
ここで終わりか。
なんて甲斐のない。
どんなに足掻いても届かない――どんなに足掻いたって。
僕の足掻きは全て無駄なのか?
そんなことは無いはずだ。
今さっきだって届いたのだから。
ずっと足掻き続けて、僕は強くなったのだから。
そうだ。
あの日を思い出せ。苦い思い出を。その中にあった、確かな歓喜を。
僕は強者にこそ戦いを挑んできたはずだ。
最後まで諦めなかった。最後の一秒、その瞬間までも。
まだ出来ることがあるはずだ。
まだ何か。
まだ……!
ルシフェルの魔力が躍動し、血液に触れ。
それらが不気味に浮き上がり、ルシフェルが持つ刀へと集まっていく。
まとわりついた血液が薄く、薄く延ばされ象ったのは――大きな、大きな剣の姿。
「お別れだ。俺の……たった一人の弟よ」
死が迫ってくる。
紛れようもなく、それは目前に迫っている。
まだ……何か……出来ることが……。
「死にたくない」
振りかぶられた大剣を前に。
「まだ」僕は。「まだ死にたくない……!」突き動かされるまま叫んだ。
その声に、ルシフェルが一瞬躊躇する。
地面を転がって、這いずる。
まだ死にたくない。
まだ終わりたくない!
こんな、こんなところで、誰にも知られず何にも成れず、何も成せず、一人冷たく果てるなんて……!
そんなのは嫌だ。
まだ誰にも知らしめていない。まだ誰にも報いていない。まだ。誰にも。誰にも打ち勝っていない、僕は永遠に敗北したままだ!
ルシフェルの強さに、ユダの優しさに、ミカエルの力に、ドクトルの知恵に。
そして、何よりも。
僕の強さを世界の陰へ追いやろうとした人間達に、僕は敗北したままだ。
決めたんだ。方舟で目を覚ましたあの時。
僕は全てに復讐を果たすと。それまでは、それまでは、それまでは!
例え泥を啜って霞を食らってでも、生き残ってやる!
迸る感情の赴くまま。
振り翳される剣に、刃を重ねる。もうほとんど残っていない力で鍔迫り合う。
剣が徐々に食い込んでくる。
起き上がれない。踏ん張れない。これでは力を練ることも出来ない。
呼吸が見る間に乱れていく。諦めたくない。ただそれだけで腕に力を込めて押し返そうとする。
「無様だな。あまりにも無様だ。殺してみろと息巻いておいて! 挙句最後にはそれか!!」
うるさい、黙れ、今僕には言い返す力も残っていない。
「大人しく……くたばれ……! もうこれ以上抵抗するなよ……!」
だから、死んでたまるか。
体が、熱い。
力が――一段と――ここ。
膂力を振り絞って剣をいなす。そのまま転がって――強く。
強く念じる。
ミカエルに会いたい。
その思いが距離を――
吐きそうだ。
この感覚はひどい。
頬に冷たい地面を擦り付けて。
持っていた刀を杖がわりに、立とうとする。
腹から何かが込み上げ――「うぶっ」――赤い。
血を吐いた。
咳き込む。その度口に鉄の味が広がる。
倒れ込んで動けない。あと一歩。あと一歩あればいいのに。それで辿り着けるのに。
なぜミカエルなのかは自分でも分からない。でも会える気がした。アイツならきっと僕を、見つけてくれると確信していた。
このままでは死ぬ。誰かの助けが必要だ。ドクトルはもう頼れない。ユダだってそうだ。魔力が戻るまではなんとか。
なんとか。
少ない魔力を循環させる。
ほんの少しでいい……たとえ牛歩の歩みでも。
ここで意識を失うわけにはいかない。
仰向けに転がる。
空には色彩が戻りつつあった。
ここで魔力酔いか。尽きかけているなら当然なのか。
嗚呼せめて。
せめて最期に、彼女のことが一目見たい。
瞼が重い。
目を閉じた。
記憶が脳裏を掠めていく。
父さんの――母さんの――妹の――
――――クシナ。
名前を呼んだ。
それは知らぬ間に零れ落ちた言葉だった。
唯一僕のことを愛してくれた家族の名前。
妹の名前。
クシナ。
武神 櫛名。
もうこの手からすり抜けてしまった命の名を。
僕は思わず口ずさんだ。
――にぃに、好きだよ。
ありがとな。そう言ってくれるのはお前だけだ
――どういたしまして。
こんな僕のどこが好きなんだ?
――それは――
記憶が脳裏を掠めていく。
整わない息をして、僕は虚ろげに眺める。
――剣を振ってるにぃにが好きなの。
ハハハ……父さんとは真逆だな
――うーん……お父さんの言葉はよく分かんない
最近よく叱られるんだ。それだけじゃダメって
――嫉妬してるんだよ。にぃにはカッコいいからさ。それに、ものすっごく強いから
クシナ……
――なぁに?
僕は強いのかな。
――強いよ。
本当に?
――うん。にぃには強いよ。心がさ。誰より強いって思う。
そうかな……
――だって、にぃにが諦めるとこなんて見たことないもん。なんだかあの……あの人を見てるみたい……
あの人……?
――あの人……あの……お父さんが良く話してる……
……ああ。
――建速須佐之男命って人を見てるみたい。
スサノオか。悪くないな
――スサノオ……スサノオだよ。にぃにはスサノオなんだ。
僕が……俺が。
俺はスサノオか。
それを眺めていた。
ただ眺めていた。
何故かは分からない。目を離すことが出来なかった。
今、負けて、逃げ出したはずなのに。
――にぃに。諦めちゃダメだよ。生きていて欲しい。生きていればきっと……
きっと……?
――きっと、いつか勝てる日が来るから。
諦めない。
そうだ。
僕は諦めない。
命がたとえ尽きようと。僕は決して諦めない。
それが、僕が俺でいられる理由だから。
ただただそれを眺めながら。
知らずの内に、強く。
ひたすら強く、拳を作った。




