霧晴れぬまま
素振りをする。
鞘を鍔と柄にきつく縛って剣を振る。
頭の霧は晴れない。
ついさっきシャワーを浴びたばかりだと言うのに、僕はもう汗だくになっていた。
素振りは好きだ。
方舟に来る前、空いた時間があればいつもこうしていた。
こうすれば何も考えなくて済む。
「…………」
でも今は違っていた。
頭の中に幾つも映像がチラつく。
たとえばそれは、僕に話してくれるドクトルで。
例えばそれはミカエルの、あの必殺の一閃で。
例えばそれは、あの男の銀色の剣。
僕は弱い。
負けてばかりいる。
それが僕の中に沈み、鉛のように重かった。
生前では負け無しだった。それが僕の自信を助長して、知らぬ間に、井の中の蛙になっていた。
僕は強い。
それは人間相手の話だ。
魔力が無ければ勝てた、なんていうのは簡単だ。
それは言い訳に過ぎない。
実際、ミカエルと最初に戦った時は倒す直前まで攻め込めた。だが相手は僕の命を獲るつもりはなかったし、魔力も使っていなかったのだろう。
相手となった僕はただの人間で、魔力酔いもあった。
きっと油断があったのだろう。それにつけ込んでも意味は無い。
だから、僕は思うのだ。
弱いのは自分だと。
いい気になっていたのは自分だと。
たかが相手の手が見えるというだけのことで、勝てる程甘い世界ではない。
僕は悔しい。
驕っていた自分自身が。
今に満足していた自分が。
素振りをしてもそれは晴れない。
ミカエルは強い。
きっとあの男はそれ以上だ。
今のままでは勝てない。
でも、ドクトルは頼りたくない。
これ以上の貸しは作りたくなかった。
あいつはいいやつだ。僕を何度も助けてくれた。その目的がなんにせよ、命の恩は返さなくてはならない。
それがあまりに重いのだ。
僕にはあまりに重いのだ。
だから頼りたくない。
別に、全てを話してくれないことがいけ好かないとか――いうことは、ほんのちょっぴりあるのかも知れないが――いうことではない。
せめて強くなった姿を見せたい。
僕の力で強くなりたい。
だけど、強くなるためにはもっと……誰かの力がいるのだと。
僕は本当は分かっているのに。
いつの間にか手が止まる。
全く集中出来ていない。息が上がっているのがいい証拠だ。力だけに任せても意味は無い。
落ち着けたかどうかは分からない。だが、今何を悩んでいるのかは良くわかった。
……もう一度、ちゃんと話す必要がありそうだ。
ドクトルには謝らなければいけないな。
鞘紐を解いてベルトに固定し直す。
落ち着いたということにしよう。
ドアに向かって廊下を歩くと、誰かの背中が見えた。
あのしっかりとした立ち姿……。
「ユダ」
「おや。またシャワーですか」
「ああ……いや、戻るとこだ……です」
「ハハハ、敬語など要りませんよ。一応貴方は『先輩』にあたるのですから」
その鋭い目で気さくに笑えるのか。
胸ポケットを探ったかと思うと、銀色の細い淵をしたメガネを取り出した。
「彼はあまり、事情を説明しない方ですからね。貴方とは馬の合わないところがあるでしょう、スサノオ?」
「…………何も言ってない」
「顔を見ればわかりますとも」
あれだけ立派な体をしていて、顔は知的で、配慮もあるのか。
コイツはモテるだろうな。
掛けたメガネを指先で調節して、ユダは僕を見る。
「失礼。伺っておきたいことがあります」
一転。
その目が攻撃的なものに変わった。
「貴方はNSではない?」
「ああとも。俺は人間だ」
ほう……とこぼして、その視線が僕の体を這う。
「鍛えすぎでは。伸びませんよ身長」
「余計なお世話だ」
気にしていることを言うな。
確かに僕の背は低めだ。おかげで面を狙えないこともある。だからこそ、得意な技もあるのだが。
「それで……どうするのですか」
「ドクトルと、か?」
「はい」
さて、どうしようか。
本当にどうしようか、僕には何も考えがない。
「……ただ話してみるだけだよ。俺の思っていることを。ぶつかってみるだけだ」
「結構。ただ……」
「ただ?」
「それで切り抜けられないこともあります。覚えておいてください」
妙に納得のいく言葉だ。ドクトルは僕の話で決して折れたりしないだろう。
僕は頑固な奴だという自覚があるが、ドクトルもドクトルだ。軟派に見えて、僕より頑なかもしれない。
「……あいつは良い奴だよ。俺を助けた。それだけで充分だ」
ドアノブに手を掛ける。
「だが……うまく行かないこともある、その時は――」
「ええ、心得ています。私はドクトルの――我がマスターの味方ですがね」
それでいい。ここはドクトルの縄張りなのだから。
僕は力強くドアを開ける。
ドクトルが、機械の箱を撫でていた。
そういえば、あの箱はいったいなんなのだろうか。聞いても理解できないだろうが。
後から入ってきたユダが戸を閉める。その音でこちらに気付いたらしい。
「揃ったね」と、顔を上げずに言う。
「少し考えたんだ。今の状況をさ」
箱から手を離して。
「スサノオ。君にはまだ話せないことがたくさんある。たぶんいつになっても話せないことだろう。だから……」
「ああ、聞かない」
それは僕も決めたことだ。
話せないなら聞かない。自分で探す。
その過程で得たものは僕のものなのだから。
「オーライ。じゃあ、今の君にも話せることを言うとするよ」




