一人の道の歩き方
「へぇスサノオって言うんだ。知らなかった」
ドクトル、お前に言ったんじゃないぞ。
手を差し出された。慌てて握手を交わす。
「……ドクトル?」
「いいんだ彼は。僕が個人的に置いてるだけだから」
「あのえっとそのご趣味は」
「筋トレですかね。……ドクトルが個人的に……ですか、実に興味深い」
手が離れると、ユダが目を離して壁の方へ向かう。
背筋も綺麗だな。
そういえば、随分ものが増えたように感じる。
無機質な壁で覆われていた室内に物干し用の竿が設置されていた。そこに吊るされているのは高そうなスーツだ。
おそらくユダのものだろう。
真っ白いシャツ外されて、ユダが袖を通していく。
あの分厚い筋肉では入らないと思ったが、どうしたことか。引っかからことなくスルスルと着られていく。
不思議なものだ。萎んで細身になったようにさえ見えた。
振り返ってこちらを見たのは、仕事ができそうな面持ちのユダ。
「改めまして自己紹介を。私はユダ。ドクトルによって産み出されたNSです」
「完成には程遠いけどね」
ドクトルが鬱陶しそうに補足する。
「ユダ、そのスーツ破っちゃダメだよ。作るの結構面倒なんだから」
「スペアは?」
「何着おじゃんになったと思ってるんだ……それでラスト」
ため息をついて、ドクトルが椅子に腰掛ける。
座れるんだな。
「あー……二人、じゃんけんして」
「なぜ?」
「どっちが先にシャワー行くか。ただ決めるんじゃつまんないでしょ」
つまらなさそうな顔で言うんじゃない。
だが、いいだろう。僕も早くシャワーを浴びたい。何せ三日も寝ていたのだから。
「最初に言っておく」しかしまぁ、じゃんけんか。「じゃんけんで俺が負けると思うな」
「ハイハイ。じゃ行くよ。最初はぐー!」
「じゃん!」
「けん!」
僕は未来を予見して、相手に勝てる手を出した。
◆
「あれは卑怯だと思うんだよね」
「じゃんけんを選んだお前が悪い」
体にこびり付いた脂を流しきり、さっぱりとした気分で返す。
「サトリは抑えられないんだよ」
じゃんけんで損はしない。
毎度卑怯だなんだと言われるが、こればかりは仕方が無いのだ。サトリを開眼したその日から、抑えようにも相手の行動が見えてしまう。
むしろ、じゃんけんの時くらい、抑え方を知りたいくらいだ。
「そういえば」僕は机に手を置いて。「机。ありがとう」
「ああ……そろそろ要りようだと 思ったからね」
たまたまだよ、 とドクトルは付け加える。
相変わらず僕の分の椅子はない。
「コーヒー飲むかい」
「……いただこう」
いつの間にか、ドクトルの手元には器械が収まっていた。
「それで?」
僕の隣に来るや否や、落ち着いた手つきで豆を挽き始める。
部屋の中を珈琲の香りが漂った。
「どうだったの今回は。まぁ良いことが起こったのは見れば分かるんだけどさ」
ドクトルが聞きたいのは、きっと方舟でのことだろう。
ならば、僕も聞きたいことがある。
だからその前に、ちゃんと話さなければ。
「神官に会った」
「はぁ?」
何を馬鹿な、と言いたげな顔。またこれか。それほどおかしなことを言ったつもりはないのだが。
「ミカエルという女と、ゼウスと言う男だ」
「良く生きてたね……ゼウスなんて特に。アイツが標的を逃がすとこは見たことない――」
「知ってたんだな?」神官のことも。狙われていることも。「知っていたんだな?」
「…………もちろん」
食い気味に放った問いには、落ち着いた声が返ってきた。
眉間に寄った皺が深くなる。
「全部知ってたよ。神官が出てくるのはもう少ししてからだと踏んでたけどね」
「襲われることも?」
「そうとも。だから言ったんだよ使い方を学べって」
触れることが出来るなら、今ここで一発、思い切り殴っているところだ。
死ぬ思いをした。いや、実際死の淵を彷徨ったように思う。
今ここに生きているのは間違いなくドクトルのおかげだが、死にそうになったのもドクトルのせいだ。これも間違いない。
「君が手助けなんかいらないって言うから――」
「話が違うだろう」
睨みつけたのは無意識だった。
「確かに言ったとも。だが、そういうことじゃない。お前は何も説明しなかっただろうが」
そう、何も説明しなかった。ただ、出ていくことを引き止めもせず。
外に出る前に、助けてやろうと、わざとらしく手を差し伸べたくらい。
「それは、まだ時期尚早だと――」
「時期? 時期がなんだ?」大人はいつもそう言う。「あの時はまだ早かったのか? じゃあいつなら良かったんだ? 今? 全てを知ってから説明するのか?」
全てを知ってから。そうしてから、自分は最初から分かっていたと天狗になるのだ。
僕はそういう人間が嫌いだった。
「いいか。俺は歩みを止めたりしない。一歩たりとも! 歩調を緩めることも! 俺は進むと決めた。例えお前が、俺の前に立ち塞がってもだ」
だからとて。僕は決して進むことを諦めたりはしない。
否、出来ないのだ。諦めること、止まること、立ち止まること。
未来に一歩も踏み出さないこと。
そんなことをすれば、僕は俺でいられなくなる。
「この俺を『そんな程度のこと』で操れると思うんじゃあないぞ。お前がこの先の景色を教えないと言うのなら、俺は自分の足で歩いていくだけだ」
僕は。
僕はまだ進まねばならないんだ。
やっと追いかけたい誰かが出来たのだ。
「もう一度言ってやる。お前の手助けなど必要ない。今までもそうだ。これからもそうだ! お前が何にも答えないと言うのなら、俺は自分のやり方で進む!」
「散々だな…………助けてやったのに」
「頼んで無い」
「勝手なやつめ。その腹を治してやったのは僕なのに」
また論点をすり替える気か。
第一、傷は自力で塞げたはずだ。コイツの手などもう借りる必要は――
「君……自分の内臓がどう繋がってるのか理解ってるのかい」
――必要は。
「だいたい予想つくよ。元通りにって考えたんでしょ? 塞がることは塞がるよ、確かにね」
ドクトルの指摘が刺さる。
指さされたのは、僕の腹部についた新たな縫い跡だった。
「でも、ちゃんと繋がるのは表面だけさ。おかげで内臓はぐちゃぐちゃ。ここまで戻ってこれたのは単に――」
「ひとえに、なんだ」
「馬鹿げた体力と、大した悪運だ、としか言えない。ホントに大手術だったんだから……」
ドクトルが視線を外した。
「…………少し落ち着く時間が必要だね。適当に席を外してくれ」
廊下に立ってろ、と言いたいらしい。
「お前のことは信用してない」
「好きにしなよ」
刀を乱暴に掴んで立ち上がる。
頭の中に、濃い霧が立ち込めている気がした。
ドアノブに手を掛けて、僕は俯く。
「俺は…………」僕の、言いたかったことはなんだろうか。「……悔しいだけだ」
零れ落ちたその言葉は、僕自身も予期せぬものだった。




