第242話 氷壁の封印
「ジン、いくら貴方でも勝手に動かれては困りますっ」
振り返ると息を切らせたフルールの姿があった。隣にはリザの姿が。遅れてリディル、他の調査隊の姿もある。
「……もちろん、貴方の働きには感謝しておりますし、遺跡を自由に調査していいと許可を受けていることも知っています。ですが、今回の任務はあくまで、この私の護衛のはずです……遺跡調査の件は、後日でも良いではありませんか。それに、ここは海人族の巫女にとっても特別な場所なので……」
フルールの隣でリザが困った顔をしている。彼女を抑えられなくて申し訳ないと思っているのだろう。
「すみませんでした。この場所は他に類を見ない特殊な場所のようなので、好奇心に駆られてしまったようです」
俺は後ろの氷の門に視線を送って答えた。
どう見ても巫女が儀式を行うという泉より、こっちの方が特別な場所だという雰囲気がある。亡霊のことを説明できれば、話も早いのだけどみんなには見えないしな。今すぐ説明するのは難しいか。
ご立腹の巫女様をリザが抑えている隙に、リディルが俺の傍へと寄ってきた。
「……ジン、この門の先って」
リディルは門を見つめながら、怪訝な表情を浮かべた。
「思ってる通りだと思いますよ。この先には加護持ちじゃないと通れないそうですし」
歴代の巫女も加護持ちだったのだろう。巫女でなければ通れないというのは、そういう意味だったのかもしれない。
ちらりと賢者様を望むと、彼はフルールへと視線を移して頷いた。
『盟約の乙女ですか。さすれば道は開かれるでしょう』
彼は門へ向き直ると、聞いたことのない音を発した。
『भीतर ऊपर की ओर हवा』
彼ら特有の言語か? この世界に来てからというもの、種族が違えど言葉は通じて当然という状況だったから、未知の言語というのは初めての出会いかもしれない。
彼の言葉を合図とするかのように、氷の門はギシギシと軋む音を立てつつ緩やかに開かれた。
開かれると同時に、奥の空間から冷気が流れ込んくる。水晶の泉を覆っていた冷気よりも数段上の、骨にも染みる鋭い冷気だった。
「うおおおおッ、さ、寒いッ」
半裸のギランが体をぶるりと震わせる。寒さに強い海人族でも堪える冷気らしい。というか服を着ろ。
『大人しくして頂けるのなら、皆さんで来てもらって構いませんよ。僕たちの声が届く君が居れば、他は居ても居なくても関係ありませんから』
「門が開いた……え? どうして? まだ、海神祭まで時間があるはずなのに……」
困惑するフルールを余所に、俺は皆に呼びかけた。
「奥へと進む許可は得られたようです。せっかくですから、皆で一緒にお邪魔しましょうか」
「え、だ、だめですっ、ジン、止まってください! そこから先は海神祭の当日にしか開かれない特別な場所なのですっ」
『遺跡に起きている異変が心配だ。先を急ごう』
俺にしか見ることのできない賢者様は、そういって俺の追従を催促した。
「開かれないって、現に開かれているし。このタイミングで門が開くってことは何か意味があるんじゃないか? それを探る意味でも先へ進んで調べてみよう」
「う、うーん? そうでしょうか……でも、もし、海神祭の日程が早まったのだとしたら……いや、そんな話は今まで聞いたことはありませんが、もし、そうなのだとしたら、私は……」
フルールは青ざめた顔で肩を震わせていた。巫女の運命という奴が、心の準備も出来ぬ間に押し寄せてきたのか。
いや、そうじゃないか。心の準備はしてきたけど、いざ、その時が現実に近づいていると感じてしまったら、いくら決意したといっても心は揺らぐものだろう。
考えないようにしていた。ということだけかもしれない。まぁ、悪いけど彼女の心情を、今ゆっくりと聞いてやる時間は無い。それに俺もフルールを海神にやるつもりはないしな。
「俺も一緒に行く。大丈夫だ」
足を止めるフルールの手を握り引き寄せた。驚いた表情の後に、彼女は僅かに顔をほころばせる。
小さな声でレドが「俺たちもいるんだけど……」と呟いたのは無視しておこう。
門を抜けると下り坂だった。
洞窟だ。氷の洞窟。天井、壁、地面と目に映る全てが、無色透明に限りなく近い薄青の氷で作られている。洞窟は不思議な光で満たされ、十分に明るい。氷の奥に光源があるのか、それとも氷自体が光を放っているのか。
ブーツの感触を確かめる。恐ろしく滑りそうだが、何とかなるだろうか。気を付けないと一度転んだら、そのまま一番下まで止まれそうにないな。
緩やかな坂を下りきると、広い空間にでた。天井は先が見えぬほど高く、まるで太陽の光のように強い光が降り注ぎ、広い空間全体を明るく照らしている。
正面に見えるのは巨大な氷の壁。いや、これは氷瀑という奴か。巨大な滝が時が止まったかのように、この地の冷気で凍り付いたものだろう。迫りくるような氷の勢い。まるで芸術作品のようだな。
存在する全てが氷で作られた世界。まさに氷の世界だ。
「おお、すげぇな。俺の火魔術でも、まったく溶けないぞ」
レドが手から炎を噴出させ、氷の床を炙ってみるが、然したる変化は見られなかった。
素手で触れてみると氷は冷たく、手のひらが濡れる。体温で多少は溶けるようだが、それまでのようだ。氷ではあるが普通の氷ではない。何か特殊な魔術の保護が掛けられているのだろう。
地形探知で調べてみても、広大さが確認できただけで全容は見えなかった。ここが青の回廊の最下層なのだろうか。予想以上に、というか、こんなに広い空間があるとは思いもよらなかった。
これなら預かった魔導石も使えるか……どれほどの威力になるか不明だが、この広大な地下空間に氷を保護する魔術が効いているなら、爆発の威力も抑え込めるかもしれない。
まぁ、他に手がなかった場合の手段の一つということだ。事前の打ち合わせでは「できれば使わない方向で」というのが、調査隊とレイシとの同様の意見だった。
氷だけが存在する世界か。俺たち以外の何の音もしない、静寂に満ちた世界。海人族が聖域というのも頷ける神秘的な場所だ。
巨大な氷瀑のたもとに、賢者様の立ち尽くす姿を発見した。
傍へと寄ると、その先の地面がすり鉢のように抉れているのがわかった。
すり鉢の中心に見える巨大な物体。あれが海神か?
ダゴンよりも小さいが、それでも遠近感がおかしくなる巨大な物体。胴が長く、巨大なヒレと尾が見える。何かに例えるとするなら、クジラだろうか。地面に横たわる姿は、砂浜に打ち上げられたクジラのように見える。
クジラと竜を掛け合わせたような姿。観察してみても、一向に動く気配はない。
眠っている……というより、死んでいる? あれ、生きてるのか? 死んでいるというか、干からびてる気がする。干物のように体中の水分が失われて、体には柔軟性が感じられず、棒タラのようにピンと体を伸ばしたまま硬直している。
遅れてやってきたフルールが複雑な表情をして見つめている。
「……あれが、海神なのか?」
並び立つ彼女にそっと聞いてみたが、フルールは自信なさそうに小首を傾げた。
「えっと、私が話に聞いていた姿とは、だいぶ違うように思います……」
なんか魔導石とか使わなくても倒せそうな気がしてきた。普通に火球とか撃ち込んだら、燃やせるんじゃないのかな。
魔眼で調べるには、もう少し接近しないとだめか。
『よく来てくれました。人族の若者よ。私は貴方のような存在を長年待っていました。嬉しい誤算です。これは諦めずに待ったかいがあったというものですね』
突如、頭の中に直接響くような声。隣にいる賢者様は穏やかな表情を俺に向ける。彼の言葉ではない。
だが、調査隊の誰かというわけでもない。この場にいる誰でもない。
『さぁ、そんな所にいらっしゃらないで、どうぞこちらへ。勝手な話だとは理解していますが、これは貴方たち人族にも無関係な話ではありませんよ』
声の主は……あの干物か。
『私の魔力が潰えれば、氷壁の封印も解かれましょう。それは貴方たちにとっても、由々しき事態だとご理解いただけるはずです』
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