82 盃から唇までの距離は遠い
場が凍りついた。
普通なら即死ものだった。それくらいには胸に当てた。しかし、ブレて胴体に当たった。
ヴィスはちゃんと狙って急所に当てるつもりだった。それが当てられないのはーー
(こいつ、分かってたな)
どこで情報が漏れているのか分からなかった。頭が痛いがそんなことを気にしている余裕はない。
「この結婚、異議あり!」
ヴィス・コルボーは叫んだ。
衛兵がやってくるが、イディオファナの指示を待っている。数はアンソルスランの予想通りであった。彼女は裏切っていない。
変装を解く。
知っているのか、この場で変装を解くという意味が。たぶんこれは彼女を自由にするための罰であり、自分に対しての罰である。
生まれてこなければよかったとまでは思っていない。ただ、視認した時点で皆は気がつくだろう。この変装を解いて公に自分が出てくるという意味が。
ざわざわとざわつく声が大きくなった。ほぼ同じと言ってもいい顔立ちの男が二人、対峙しているわけである。自分のドッペルゲンガーが出てきたら誰でも慌てる。そんな状態だろうか。
しかし当の相手は撃たれたというのに余裕の表情を崩していない。どころか、どこか歪んだ笑みを浮かべたままだった。
「主君!」
薄黄緑髪の長髪が花嫁を護衛に来たのを片目に見つつ、花婿を魔法の衝撃波で吹っ飛ばす。この場にいる幻妖たちは実力者たちばかりだ。自分たちの諍いに異をとらえられる可能性はあるとはいえ、防御に専念していれば、致命傷にはならないはずだ。
花婿を吹っ飛ばしたが、彼は空中で立ち直り、華麗に着地した。
「どこで現れるかと思ったら、まさか神父に化けていたとは。感心感心」
「この結婚は無効だ! 俺は生きている! こいつに従う必要性はない!!」
誰かが息を呑む音が聞こえる。
ヴィスはとりあえず、この白い花婿、イディオファナを彼女から引き剥がすことにした。そうすれば、この式典も壊せる。できれば、この広大な教会から追い出したいのだが、なかなかヴィスの思う通りには行かなかった。距離を離したら銃撃を仕掛け、怯んでいる間に格闘技を叩き込む。これは普段のヴィスの得意戦闘方法である。これで攻めているにも関わらず、まともに当たった感覚がない。避けられているわけではない。ヴィスの方から避けているのだ。
「ちっ!」
「勝ち目もないのに、攫いに来たか。抗うなら結構。だがそろそろ余興も終わりにしないとこの場にいる皆さんに申し訳が立たない」
ヴィスは悪態をつく。攻撃が入らない理由は分かり切っていた。第三者からの視点からみたら完全に滑稽で仕方ないだろう。勢いよく攻撃を繰り出していったと思いきや、自分から攻撃の的を逸らしている。本当に喧嘩を売っているのか分かりかねるような状態だった。これにはちゃんと理由がある。
ヴィスは元々イディオファナから最も強烈に洗脳を受けている存在だった。そんな状態でイディオファナに挑みかかろうなど、洗脳に抗って攻撃をしてくる時点で、奇跡的なことだった。攻撃をしようにも身体の支配権はイディオファナの方にあるから、攻撃が当たらない。イディオファナは洗脳を強めていく。だんだんとヴィスの動きが鈍くなっていく。
「ヴィス!」「ヴィスさん!」
ギネフェルディーナとトモエの声が響く。
ヴィスは銃を乱射した。弾はイディオファナにかすりもしない。
的であるイディオファナに当てるためではなかった。
(だいぶ調子がいい。小人族の腕とペルーシュの情報提供に感謝しないとな)
第一の目的は威嚇だった。理由は分かるが乱入者であるヴィスを排除しようとする動きが見えたため。あと、心配するものたちを近づかせないため。
第二の目的の方がヴィスにとっては重要だった。頭痛はだいぶ治まってきた。これでやっと長期戦にも何とか対応できそうではあった。
淫魔族の特徴は魅了の魔力だ。その魅了を洗脳の域まで到達させているイディオファナには遠距離戦は不利である。
銃の弾はその洗脳で当たらないことをヴィスは理解していた。だから別の効力がある弾を詰め込んだ。特殊性である。この洗脳の効力を弱めるためにレイアーナ・ペルーシュや異母姉のレジニア・ソワン、そして自分自身がサンプルとなって、小人族の腕で完成させた代物である。
弾の内容は簡単でヴィスの洗脳の魔法をまとった弾だった。同属性の魔法がぶつかった場合、威力が強い方が優先される。そのためこの場合はイディオファナの洗脳の力が勝つのだが、副次的な効果(いろんな効力が混じり合っていた)でヴィスの動きを軽くする、ヴィスの中の洗脳を弱める(言い換えたらイディオファナの洗脳の魔力を弱める)効力を備えていた。そちらの方が本来の目的だと言っていい。
つまるところ、この弾は殺傷力は普通の弾と一緒だが、ヴィスの治療にも使えると言った弾だ。もしイディオファナに当たったら、ヴィスの洗脳の魔法を完全に無力化できる。
そんなカラクリのおかげでヴィスは何とか二本足で立つことができ、そしてイディオファナに近づくことができる。視線というのは近づけば近づくほど当たりやすい。それに対抗するためにヴィスは今度は銃を使わず、自らの魔力を使った。コントロールはせずに、乱雑に。そちらの方が突撃に専念できる。
イディオファナの目が、若干見開く。
ヴィスはイディオファナを思いっきり蹴った。洗脳のせいでかすり程度に収まったが、当たった。ヴィスにとっては収穫だ。そのままイディオファナを彼女から引き剥がすつもりでいた。
「何のつもりかな」
「とぼけるな。アルモニーの技術力をなめるな。そしてジジイのこともな」
「ふん。それで対等になったつもりか」
イディオファナの後ろに何者かの影が現れる。現・君主やそれに近いほどの力を持った実力者ばかりだった。数に驚く。自分たちが味方だと思っているものたち、以外が全員イディオファナの後ろに侍っている。
さすがに神族を始め、仲間たちは息を呑んだ。これは、まずいと。
流石にそこまで手駒を集めてきていたのは予想外だった。が。
(負けるつもりは、ないね)
ヴィスはズルをしてでもこの決着に勝たないといけなかった。そうでなければ、幻想世界の秩序が崩壊する。この目の前にいる血の繋がった男が支配者に代わるわけだ。そんなことは断じて許されない。私情としても、他の面からしても、神族からしても、裏の事情からしても。
「異母姉さん。いるんだろう! 洗脳を解くために協力してくれ!! 頼む!」
一種の賭けだった。過ごした時間は少なくて、繋がりがあるとすれば、散々に否定し続けた血の繋がりのみである。それだけで命がはれるのかどうか。そして、父親に抗えるかどうか。
(ここで頑張れば、母親に認めてもらう可能性だってある)
そんな打算もあった。
だが彼女は穏和な性格だった。血のつながりを否定したいがごとく、あの男の娘としては消極的な性格をしていたのである。そんな彼女が血のつながりというだけで、自分に応えてくれるのか。
先ほども言ったようにこれは賭けだった。彼女には洗脳は通じないから。彼女の意思でここにやってきてもらう必要があった。
誰かが倒れる音がした。




