81 苦しいのは最初の一歩のみ
死んでいるかと思えば、そうではなかった。ヴィスは幸運だった。なぜかと言われたらギネフェルディーナに関与している。
彼女の能力だった。彼女は誰からも愛された。それは幻妖だけではない。とりあえずイディオファナが判っている部分はそれだけだった。
彼女は庇護されるべき存在で、それを良しとしている誰かがいて、自分と違って幸福で恵まれている。そんな立場からなぜロワンモンドに逃げようとしたのかは謎だ。イディオファナにとっては理解し難いところにいる。対極のような存在だ。
息子が彼女のことを汚したのは分かっている。ただそれに対しては文句がないどころか、むしろ興奮を覚えた。あのとき錯乱していた息子の姿は、自分の姿によく似ていたからだ。やはり我々は似ているのだ。どこぞの養い親よりもよほど。
そう思えば思うほど憎悪が湧くのだが、今は関係ない。奴はここには来ないようだ。そこまで抵抗したいなら抵抗すればいい。息子のように。
(が、果たしてお前たちの願いは叶うのか? 叶うわけがないだろうに)
イディオファナは内心嗤いながらも、普段の顔で式場の扉を開ける。服はイディオファナが特注で作らせたものだったが、普通より若干豪奢という、その程度でしかない。普段から洒落た服を着ているイディオファナであったが、今回は今回だ。神族の衣装を催したくて、羽根模様を凝らした金糸に白をベースとした服、肩より長い髪は、普段は何もしないのだが、式典のために綺麗にセッティングをして結わえてあった。
淫魔族は神族の配慮で白を基調とした服を着ない。それはどこの族だってそうだった。招待状を送った神族の方は怒り心頭であろうが顔にはだしていない。それにそこそこの出席者が出揃っているようだった。それほどまでに自分の嫁の姿が見たいのだろうか。
(いやもしかしたら、茶番を見にきた可能性もあるな。取り込めきれなかった君主も混じっている)
君主は厄介だ。金狼王の件で判った話だが、自分より力の強い者には一部しか洗脳が効かない。もちろんギネフェルディーナにも洗脳は効かない。
宿敵共が来賓として招かれている中、身を晒すというのは、実際のところはかなり危ない。そんなことは知っている。だが、誘き寄せるためにだったら、なんでもやったと思う。この会場さえも、式さえも茶番なのだ。息子が生きているとしたら、ギネフェルディーナはどう出るというのか。
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いや、わかっていた。事前の情報からイディオファナ・エロン・ロワイヨムがヴィス・コルボーにそっくりだってことぐらい。しかし…
(いや、こんなの聞いてないよ!)
正装?に身を包んだ彼は本当にヴィスそっくりであった。鞆絵の恩人を五歳くらい老けさせたら、まさにそうなるような。
雰囲気は違う。ただ綺麗なだけではない。ヴィスにはない妖艶さがある。端正な顔立ちだということは言うまでもない。
神族たちの雰囲気も悪い。リョクもかなり怒りが溜まっている印象を受ける。事前に説明があったが、実際に彼らの懸念は的中したと言っていい。イディオファナは白を基調にした服を着ている。まるで神族をも率いるものとしてのパフォーマンスとしては十分すぎる。
(顔といい、服装といい、とことん俺をコケにするような出立ちだな)
(リョク、落ち着いて)
(これであいつがこなかったら、しばき倒すぞ)
(ちゃんとくるよ。来ないなんて、きっと…)
とリョクと会話をしようとした時、会場には花嫁の到着を告げる声が響いた。
幻想世界の言語は統一だ。契約していたら、幻妖の会話が聞き取れるようになる。その他、自分で語学を習得して働いているアルモニーの人たちもいる。
さすがにかすかに騒いでいた会場が落ち着きを見せた。ギネフェルディーナ・シーニュ・ロワイヨムの御姿は滅多に見れるものではない。例外となる神族や君主の他にも族の要人が招かれている。彼らの中には一度も彼女の姿を見たことがないという者もいる。鞆絵は一応姿は見ている。知っている。が彼女がどんな人物なのかは、知らない。
花嫁が長いベールに顔を包まれたまま、入場してきた。彼女の後ろから現れたのはおそらく淫魔族の子供たち。彼らは黒基調で着飾っていてバスケットを持っている。そして皆んなが注目している花嫁は黒を基調としたドレス。黒は淫魔族の好む色として知られている。
(リョク)
(分かってるさ、だがっ、こんな屈辱的なこと)
言い換えるなら生贄が行進させられているのと同じようなもの。彼女が誰のものであるかを服装で示すという行為は、そういうことになる。彼女の部下である神族の皆んななら屈辱的に感じてもしょうがない。それでも我慢しているのは、長であるリョクが何も命を下さないからだ。
ベールの中に包まれた彼女の顔は薄れて見えない。黒いドレスから繊細な金の細糸で編み出された刺繍。それが彼女をどのような雰囲気に飾り立てるのか、今は誰からも見えることはなかった。
彼らは向かい合って式が始まった。
一体誰に祈るというのだろうか。彼女が女神様だというのならば、神に祈るという祝詞は成立しない。
ひどく遅く感じた。なぜか。神父の長台詞が始まる前に、イディオファナは行動にでた。花嫁のベールを脱がしたのだ。順序を無視しての異例の行為に花嫁より周囲の方がどよめきを隠しきれず、ざわざわと騒ぎ立てる声が出てきた。
素人目でもわかる。何かが起こる。ヴィスはどこにいるのか。
「ーーそれ以上近づくな」
どこからの声か。辺りを見渡す鞆絵。彼女の耳に銃弾の音が響いた。
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「だから言っただろう。妾たちは花嫁の準備に忙しいのだと」
「それが忙しい態度か」
「まあ妾がすることではない。侍女たちが総動員じゃ。おかげさまで一人で好き勝手にできて良きかな良きかな」
内心のところ、穏やかではないだろう。
彼らの結婚式は淫魔族の著名な者たちと高貴な幻妖に仕えるものたちの共同作業で準備が行われているらしい。
「それがジュウ、というやつか?」
アンソルスランが愛銃に触ろうとしたところを、ヴィスは避ける。
「好奇心で触るようなものではない。これは…爆薬みたいなものだ。即座に貫通する弾。魔法であるかは分からんが」
「ないことは、ないな。魔弾は存在する。ただ淫魔族は好まん」
「だろうな」
「だからこれを使うと?」
アンソルスランは少し馬鹿げたような声音で、銃を見た。これの殺傷能力が理解できていないらしい。大半の幻妖がそのような反応をする。が、この愛銃は特別製で幻妖専用だ。人に撃っても作用しない。騎士になったら与えられ、自分でカスタマイズする。化学が発展しているロワンモンドならば誰もが知っている、一般的な殺傷武具であるそれは、カスタマイズすることにより、唯一無二の
独自性を獲得しているーー最大の特徴は弾にある。
「それにしても、あんたの旦那様は何をやってるんだ? 皆が準備をしているというのに、自分だけが新たな花嫁のご機嫌とりか?」
「…あの方はそのようなことはせぬ」
当然のことながら、ヴィスは血の繋がった親のことをまったく知らなかった。薄い記憶で自分を観察していたことくらい。研究が好きなのと、ロワンモンドに興味があることはわかる。ただそれだけだ。
「たまに妾も呼ばれるが、話の内容も宙に浮いてて、まるでこの世に興味がないように思える。そんな御方が何かに熱中している姿を、妾は見たことがない」
イディオファナの正妻であるアンソルスランでさえこうだ。つまりそういう性格だということで今回の結婚も片付けることは…できやしないだろう。これはイディオファナの独断だ。彼女と結婚して何が欲しいのか? 名誉、栄光? 違う気がする。
「ただな、あの御方は綺麗なものを蒐集する趣味をお持ちだ。人であれ、モノであれ、なんでも」
「ちっ、そんな動機で」
そのようなことで自分と取引されたゆえの結果がこれか。イディオファナを詰りたい気持ちは山々だが、もともとは自分の不甲斐なさに原因がある。
(決着をつけよう)
やり直しは効かない。こんな時に彼女の加護の残滓が残っていればありがたいが、それは願いすぎだった。
自分で蒔いた問題の種は、自分で摘み取らないといけないのだ。そうでないとこれから進む道では話にならない。
彼女にばかり迷惑はかけられない。




