72 傷つけるのは真実しかない
いつも着ているヴィス・コルボーの黒の服が、傷つき、ボロボロになるまでに汚れている。しかし眼光は死んではいなかった。赤い光を発した、底冷えしたような視線が、リョクの方へと突き刺さっていた。
リョクの方は、頬だけが膨らんで若干腫れているが、目立った傷跡はない。服装もヴィスとは対照的に白に近い色合いだ。天からの使いのように見える色合いであるが、髪と目の色は突飛で、実際に現実にいるかのような…ここにあるように見えなかった。
黄緑色の長髪は陽光を反射して眩しい。日の光に反射して射すそれは、天の使いといってもいいほどの荘厳さが存在していた。ヴィスとは対照的な完成された美貌だ。
(目の色が一緒だ)
ヴィスの方は暗く点滅するような光であるのに対して、リョクの方は陰りのない光。混じりあったら普通の赤になるのだろうか。交じり合わせないといけないほど、互いを拒絶しているのか。
「いいか。俺にはおまえたちに言う資格もないことは分かっている。分かっているが言わせてもらうーー誰も、言わないだろうからな」
リョクの方は、先程の衝撃からさめておらず、一言も喋らずに放心していた。
無理もないことかもしれない。鞆絵が生まれる前の過去、彼自身がギネフェルディーナ・シーニュ・ロワイヨムの素性を明かして、幻想世界に連れ帰ったのは知っている。ヴィスの方が解約したのだ。ヴィスの方は彼女とつながりがないと思い込んでいた。周りもそうだと思っていた。けど…実際はそうではなかったらしい。
ヴィスのボロボロになって素肌が少し見える、そこからは、新たな血が出ていなかった。黒いコートに飛び散った血痕が目立っていて、その落差に目を見張る。
この力はヴィスが以前、契約していたギネフェルディーナ・シーニュ・ロワイヨムのものであるらしい。リョクの主君で、幻想世界の当主ともいえるべき女神様。
「あいつが…ロワンモンドに来たのはーー逃げたかったからだ。苦しかったからだ。過剰な期待と重責に肩を重くして、ガチガチに周囲に固められて、動けなかったからだ。
ほんとうは自由が、自然が、何よりも自分がいる世界のことが、誰よりも好きだというのに。その主張すら言い切れない状況を作ったのは、おまえたち神族だっ」
ヴィスが声を張り上げた。彼が声を荒らげる姿を見たことがある。あれもギネフェルディーナ・シーニュ・ロワイヨムに関する話だった。
鞆絵は暗い気持ちに苛まれる。
「くっ…だから我が君は逃げたとでもいうのかっ!?」
リョクが苦し紛れに声を発した。
苦痛に顔を歪めても彼の顔が崩れることはない。
彼ことリョクの顔とヴィスの顔だち、どちらも気が離れそうになるくらい秀麗だが(特に初めてみたヴィスの素顔については、コメントを残せない。畏れ多すぎて何を言おうとしてもダメな気が鞆絵にはした)、雰囲気だけは似通っている。どちらも人を寄せつけようとしない。
鞆絵ならば、見た目だけなら避けるタイプだった。こんなに綺麗な美貌だと何かと厄介が付き纏うような、そんな気がする。けど、ヴィスの方は人柄は穏やかだし、リョクの方はなんだかんだ優しい。いい意味で見た目によらないのだ。
「俺のことはなんとでも言えばいい。ただディーナに関することは通してやってほしい。俺は彼女がこれ以上傷つくのを見過ごすわけにもいかない」
緊迫感はあっても、戦闘する気配はない。本当ならば気を下ろす場面なのかもしれない。しかし、ヴィスが語るギネフェルディーナ・シーニュ・ロワイヨムの姿は熱意がこもっていて、彼女への感情がどれだけ強いのかを意識させられる。
ヴィスのことを想っている鞆絵にとって、あまり良いことではなかった。
その間にもヴィスとリョクの問答は続く。
「お前のことは、信頼を寄せるわけにはいかん。ただ…主君がお前のことを呼んでいたことは知っている。つ、腹立たしい。なんでお前ごときがーー」
「それは俺も知らない」
これはギネフェルディーナ・シーニュ・ロワイヨム本人にしか、知り得ないことなのかもしれない。
鞆絵は彼女のことを、見はしたものの、他者の話しだけでしか知らない。
自分のパートナーであるリョクが、悩み、怒り、強い感情をみせているなかで、ブレないで立ち続けていられるかは怪しい。
けれど鞆絵は何かしてあげたいと思った。成り行きだったが、契約した相手として付き合いは続く。たぶん、一生。
その重さを考えたら途方もないが、そばに居続けれたらと、今はそんなふうに思っていた。
ヴィスの答えに一旦は納得したらしく、リョクは剣を直した。顔は不満がありありと浮かんでいたが、少しはふに落ちたらしい。
「すべてはこの騒動が終わってからだな。主君を取り戻さなくては、我ら神族の騒ぎも収まらん。貴様の処遇はそのあとだ」
「…ああ」
鞆絵は地面を眺めていた。
よくよく考えてみれば、自分はリョクを呼び出すためのエサ…にされたということだ。
悲しいし、悔しい。でもそんな気持ちを誰に吐き出せというのか。
(うっ…)
樟葉に言えばいいのか? ーー彼女は同郷とはいえ時代が違う人間だ。友達だとしても分かり合えない部分がきっとある。それが悲しい。いっそ同じ時代に生まれてくればよかったのに。
思い出す顔といったら両親の顔…だけ。この世のどこにもいない。
「トモエ」
ヴィスを想う気持ちだって、ぐちゃぐちゃにしたまま消し去った方が楽だというのに。きっとそうだ。誰も分からないまま、一人で消して仕舞えばいいのだーー
「済まない」
「あやまるっ、必要なんて…」
リョクに当たる必要なんて、どこにもなかった。ただ行き場のない感情を吐き出しただけ。
「私がっ、いたのは、知りたかったから…だしーーでもっ」
ヴィスの姿がにじんで見えない。
「ううっ、くやしい、くやしいよっ!」
ここまでうまくやってこれた方だった。これからも頑張ればなんとかなると思っていた。しかしこればかりはそうではない。人の心なんて、本質は魔法を使ったって変わらない。
このささくれ立った心のまま、立ち続けなければならない。そうしなければヴィスは鞆絵を置いたまま、先に行ってしまうのだろう。ずっと、ずっと先に。
傍にいてくれたのは、パートナーであるリョクだけ。何も言ってくれない、彼のことがどうしようもなく憎たらしかった。そして心強かった。
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ヴィスはエフォールのところに向かっていた。彼と一緒に異母姉であるレジニアを救う手立てをたてる。それはヴィスがいてもいなくても変わらないことだった。
この作戦に参加することについては、ヘルツバールを説き伏せるのに丸一日かかった。彼はまだ完全には納得はしていないだろう。それが親という存在なのかもしれない。
ヴィスは去る際にトモエの涙を見ていた。それがどういう意味だということもわかっていた。これに関しては彼女には悪いと思っている。すべてが終わったら謝らなければ。しかし今のヴィスにはそんな余裕もなかった。
(…清算を)
進むにも、戻るにも、行動を起こさなければ始まらない。ヴィスはそのことを怠っていた。単純に怖かったからだ。
事態はヴィスの生温い気持ちに反して、悪い方向に進む。猶予は今しかなかった。




