73 顔に当たる風は人間を賢明にする
しばらく後、また会議が開かれた。
主な内容はヴィスが幻想世界で起こったことの説明と、今度行う行動の再確認。
ヴィスが話したことはすべてではないだろうとは鞆絵は予測していた。けれども彼とはもう目を合わせるだけでも苦しかった。彼の方もそれを分かってか、鞆絵の方にはなにも言わない。
まずこの場所に新人の鞆絵がいられるのは、契約している幻妖、リョクことアベル・エーグルのおかげであった。彼の立場は非常に重要で、幻想世界を実質管理している神族の一員、しかも君主の側近だ。彼の立場は他の君主と同じくらいには尊ばれる。
そんな彼と契約したことが重みになることがあるかもしれないと思った。例えば今回のような場合とか。
リョクは以前、フランスの軍服を着てギネフェルディーナ・シーニュ・ロワイヨムのお心を慰めようとしていたようだが、ヴィスが現れたことにより、その必要がなくなった。そのため、しばらく前から白い服に衣替えをしていた。白の服は神族の普段着のようなもので、立場が高いほど装飾が豪華になる。リョクはこれでも動き辛くなるため、装飾をあえて減らしていると言ってるが、その白の色が何よりも綺麗で貴重な糸で織られたものであることがよく見ればわかる。
そんな立場の高いリョクと契約したのは迫られていたとはいえ、自分で決めた選択だった。
リョクは優しい。だからそれに少しでも報いていけるような関係になりたい。ヴィスの問題とはまた別として、考えていきたい。そう思った。
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「エフォール」
ヴィスは友人と再会した。
幻獣族の君主、アルクレアラに血反吐が出るほど厳しい訓練をされたことが、気配からしてわかる。今のヴィスの状態でエフォールに武力で勝つのは難しいだろう。
ヴィスは竜王アルゲベルトから再び仮契約の話を打診されていたが断った。本当は保険として仮契約していた方がいいということは百にも承知だった。しかしこの身にギネフェルディーナの力が宿っている以上、その力を使えと思われているように感じた。
結論からいえばヘルツバール以外からは了承をもらった。
育て親であるヘルツバールはヴィスの身の上を心配する。しかしアルモニーのトップという立場はそれを許さない。もともと無理矢理とはいわずとも、立てる立場にいる者が不在だったからアルモニーのトップという立場に居座っているだけで、本人はこの立場を鬱陶しく思っている。そのことをヴィスは知っていた。育て親は自分と同じように束縛されるのを嫌う。
「ヴィス、君は大丈夫なのか?」
「俺の力は相手がいないときに訓練するしかない」
実際、暴走したら暴走したで危険である。どれだけ危険かは使い手のヴィスが知っていた。
先日、仮契約を断ったあと、竜王アルゲベルトに連れられた。育て親が道を開いたため、ヘルツバールも一緒だったが…
竜王に連れてこられたのは、異界。たぶんロワンモンドと幻想世界の狭間にある第三の世界だった。この世界に自主的にこれるのはヘルツバールしかいない。
『これを解除できるか? できるならお前を加える価値は十分にあり得る』
そこにいたのは、昏倒したままの狼族の幻妖。ここには時間という概念がないから、昏倒させたまま留まらせているのだという。しかしそれでは洗脳が解けるわけではない。事態を先送りにしているだけだった。
本来ならば、これを治してもらうのもレジニア奪還の利点の一つではあった。しかしここには同じ魔法を使えるヴィスがいる。
つまりここにいる幻妖は淫魔王イディオファナの力をもろに受けたものたちだった。
魔法は同じ種類だと、より大きな威力の方の力を受ける。つまりヴィスがここでイディオファナよりも強い力で洗脳すれば、彼らの支配権が奪える。奪えれば操作は簡単だった。洗脳も消すことができる。
荒療治だった。ほんとうならばレジニアが触れた方が安心だ。この場に彼らの君主であるはずの金狼王グランド・クル・ルーオール・ロワイヨムがいないということは、つまり極秘の案件だった。間違いでも犯したら二度と目を覚まして行動することはできないかもしれない。外交問題にもなるから絶対に失敗はできなかった。
(酷…でもないか)
それだけの覚悟を問われているのだ。これは序章に過ぎなかった。
ヴィスは厳しいとは感じず、むしろ甘いと思った。それほどに自分の業は深いのだ。これから対峙するものは、こんなちっぽけな存在よりも遥かに重く深く、そして偉大だった。
『準備するから待っててくれ。あとじじい』
『ハ?』
『身体に負担をかけたくない。ここはじじいの世界だから、しばらく雲隠れしていてくれ。頼む』
ヘルツバールにはヴィスの力は通じない。その事実は過去にわかっている。わかっているからこそ離す…違う。別の方法で見守って欲しかったのだ。
言葉が足りなかったのはわかる。ただヘルツバールの状態をみて、以前のようにヴィスの洗脳が効かないという保証はどこにもなかった。
『………ココに来てマデ介護カ。この世界ダッタら必要モないんダガナ』
ヘルツバールは若干不満げだったが、すぐに引いてくれた。彼の人生経験は長い。ヴィスの考えなんて察知済みだろう。なにせここは彼の世界なのだから。
『オマエも過保護になったモノダ…嬉しいが、な』
捨て台詞のように言って、ヘルツバールはヴィスの元から姿を消した。
この世界はヘルツバールそのものが世界と一体化している。ここでやろうとしていることは、姿を消しているとはいえ、ヘルツバールからは見える。
感覚を研ぎ澄ませる。
見て見ぬふりをしていた景色に目を向けると、目の前の世界がぐるりと変わる。
ヴィスの目にする世界は三つあった。普通の世界と、今使っている自分の力を使った世界、そして彼女と契約したことで見えていた世界。その世界はヴィスの中では混ざり合っていて、境界線はない。自分自身が拒絶しない限り。
これは魚族の君主であるアンディゴのいう通りであった。アンディゴの助言があったおかげで進めた視界。
イディオファナの洗脳を糸で例えるなら緻密だった。だが相手が能力の低い幻妖であるからなのか、これ以上強くすると動かなくなってしまうからなのか、ところどころに穴を設けて通気孔のようにしていた。
その合間を抜けることは難しくはなかった。ブランクはあるとはいえ、ヴィスは自分の能力と一緒に幼少期は育ってきたのだ。感覚は簡単に抜けはしない。抜けたりしたら、ここまで苦労することもなかった。
力の中心にたどりつき、そこに慎重に力を送りこむ。そこさえ破れば力が相殺されて、洗脳は瓦解する。何分経ったか、あまり時間は掛からなかったかもしれないが、ヴィスにとっては長い時間で。
そんな時間は唐突に終わった、鏡が割れるように、破れる感覚がした。洗脳は切れたのだ。そこですぐさまヴィスは自分の力を切った。
『どうだ?』
『………やれることはやった。たぶん洗脳は破れたと思う。けれど精神操作されていたから、しばらくは療養が必要だ。ここは時間が止まっているから、出来る限り負担のない幻想世界にーー』
『そうか。あとは経過観察、というわけだな。身柄はグランド殿と話し合って決めるとしよう。ご苦労だったな』
こうして、ヴィスのやれることは終わった。そして小さな試練も終わった。
使えると判断された彼は潜入作戦に参加することになった。主に案内役と工作員の役割として。




