65 何の危険も冒さぬ者は何も得ることなし
数日が経ったが、頭がいろんなことを考えすぎて何もすることができなかった。どうしたものか、と思っていたとき…唐突にリョクことアベル・エーグルが鞆絵の元にやってきた。
「済まない」
リョクはそう言った。
「気を立てたことは素直に謝る。だが俺の意見は変わらない」
「………っ」
「もし行くというなら、止める」
きっとどんなふうに説得しても受け入れてはくれないのだろう。そんな気迫が感じられた。
以前のリョクには備わっていなかった強さ。こちらの方が本当の姿だということは判ってはいるものの、未だに戸惑うことが多い。鞆絵はリョクことアベル・エーグルのことを何も知らないと言っても過言ではない、と考えていた。
(止めるというのは…殺すって意味なのかな?)
鞆絵にとってその言葉はもう遠くないのだ。小さいが怪我だって負っている。力が意思を抑えつけることのできる世界だ。まだ誰かに守って貰わなければ何もできない。
「うん、さすがにヴィスさんの元へ行く…というのは、無謀だから諦めるよ」
諦めるということは、止めるというわけではない。ほかの方法を探らないといけない…というのが鞆絵の考えついた結論だった。
(ヴィスさんは死んだわけではないのだし…)
よくよく考えてみれば、本来のカタチに戻ったのかもしれない。ヴィスが実父の元にいるというのなら、鞆絵のいた場所での判断だと… “お家騒動” とかいう類いになる。問題をややこしくしているのは、ギネフェルディーナ・シーニュ・ロワイヨムという女性の存在だ。
「私もごめんなさい。少し…っと、かなり言いすぎた自覚はある」
「そうか」
鞆絵はようやくリョクの赤い目を見た。彼は鞆絵の反応に戸惑っているようにみえた。
「明日ラバス様とコンタクトを取る。できればリョクも一緒にいてほしい…かな」
「何をやるんだ?」
「幻想世界に行く。私がリョクと契約しているなら、神族のところに行けるってことよね」
そう言うと、リョクは考えもしなかったと言いたげに、目を瞬かせた。
ヘルツバールの場所を教えてくれたのは、ソリテュード・パンだった。この世界ロワンモンドの神さまだという、ソリテュードことテューはいつも通り神出鬼没というわけではなかった。
アルモニーのトップの代行を務める立場にいる彼は、ヘルツバールが執務をしている場所、本部の最上階にいた。テュー本人いわく真面目に職務代行に努めているらしい。
テューにも先に鞆絵のやろうとしていることを打ち明けたが、意味深な笑みを浮かべながら、ヘルツバールに許可を得てくれと言った。その笑みに対し、側にいたリョクは眉を顰めた。
ヘルツバール・ラバス・ロワイヨムの元へは、いとも容易く通されてしまった。最上階の執務室のガラスが破れてからというもの、無理矢理療養を取らされているらしく、自分の屋敷の部屋にアルモニーのトップはいた。
「ふむ、なるホドな☆」
「私には色々と足りないことがいっぱいあると思うんです」
「だカラ、向コウに行くト?」
「はい、リョクのこと、神族のこと…そしてギネフェルディーナ・シーニュ・ロワイヨム様のことも、知らないといけません」
「ッとハいえドモナ、前例がないカラナ。俺サマの立場上、そのママ行カズッテ訳にもいかナイ。向コウに居ツク可能性があるカラ」
悩む様子を見せるヘルツバール。
ヘルツバールのいる部屋は凝った装飾がある部屋だった。ところどころ鞆絵が判別できないような、明らかに古いと思わせる年代物のモノがあったが、その部屋に溶け込んでいるとは言いずらかった。あべこべだ。
「ペルーシュ…そうダナ。もし本当ニ幻想世界に行きたいナラバ、ペルーシュを説得するコトダナ」
ーーレイアーナ・ペルーシュ。
彼女と契約している幻妖はクロード・グルーといって、リョクとは親しい間柄らしい。鞆絵がアルモニーに見習いでいたときのお目付役…というか、鞆絵の担当者だった人だ。
アルモニーに正式に所属する試験がうやむやにされ、その後鞆絵はリョクと契約したため、鞆絵自身、立場がややこしくなってはいる。
どうなっているかヘルツバールに確認する必要があると、鞆絵は感じた。
「私の試験ってどうなってるんですか?」
「ヴィスからノ報告は聞いテイルから、無事合格シテる。テューから会員証は貰ったダロウ?」
「この…カードと手首の印のことですか?」
それらは鞆絵がここに来たときに、もらったものだった。今貰ったものではなかったのだが…会員証であるカードを確認すると、正式なアルモニーの会員証にデザインが変わっていた。
手首の印はカードと連携していて会員証であるカードが紛失しないように魔法がかけられているそうだ。印自体は小さいため、見ようと思わない限り、気づかない。
この会員証がある限り、居場所もアルモニーの本部から詮索できるようになっている。連絡がつかなくなったときなどに重宝するもので、普段はプライバシー保護のために、詮索されることはない。だが、今鞆絵と向かい合っているアルモニーのボスなら、権威を使って誰の居場所でも探すことが可能だろう。
イディオファナにヴィスが連れ去られても、ヴィスの居場所が判ったのはこの機能によるところもあると思われる。
そんな自動的にカードが変わることなんて、ヴィスからもテューからも何も教えられてなかったため、少し驚きはしたが…これで所属はハッキリとなったといえるのだろう。
どこの担当になるかは決まってはいないものの、鞆絵はアルモニーの契約者ということだ。しかも前にも言われた通り、幻妖の中でも別格の神族の契約者。
ヴィスも以前はそうだったのだが、そのこと事態は広く知られていないため、鞆絵が “初めて” ということになるのだろう。
「そうダ」
ふと思い出したかのようにヘルツバールはそう言って、いつもの笑みを消した。
「テューやクレアラが何か言ッテタそうダガ…まだオ前は産まれタテノ雛のヨウナ存在だ。自分のオシメさえ取り替えるコトハできないンダカラ、動けると思イ込ムなよ。自分を追い詰メルな」
「っ!………はぃ」
予想以上の真剣味と、凄みを感じた。ヒトを抑え付けるときに使われるような気迫。その気迫はアルクレアラのときよりも強烈で、凶悪な類いのものであった。
背中に汗が流れていく、リョクがいなければ、鞆絵はそこから逃げ出していたであろう。
それでもヘルツバールの言うことはごもっともであった。だからこそ歯がゆく、悔しいのだ。
鞆絵の動ける範囲は狭い。だからこそ狭い範囲の中で最大限に動かなくてはならないのだ。そう鞆絵は思っている。
(樟葉は…そう思っていないのかもしれないなぁ)
友である少女は、確かに鞆絵のことを案じてくれていた。しかしそれだけでは鞆絵自身は納得しないのだ。あのまま別れることだけはしたくなかったから、彼女にも会わないといけない。
先にレイアーナのところに行くことにした。彼女のいる場所を、顔見知りとなっている彼女の部下たちから情報を得る。治療師の長であるレイアーナはもちろんのことながら医者だ。
鞆絵は医療行為が伴わない部分での彼女の手伝いをやっていたが、意志の強い人だということは判っている。彼女を説得しないと鞆絵の願いは叶わないのだから、緊張というか、変な気合いが入ってしまう。
「あら?」
レイアーナのところには樟葉もいた。診察室ではなくて、対話室ーー日本でいうカウンセリングルームみたいなところーーで二人は話し込んでいた。
「トモエじゃないの。あの後アルクレアラ様と何かあったみたいで、私たち心配していたのよ」
怒られることも覚悟していたのに、最初の一声がこちらを心配する声だった。それだけで気が抜けてしまった。脚の力が抜けていくのを、背後にいたリョクが支えてくれた。
ここ最近は特に色々変化があり過ぎて、変化していく現状に対して、置き去りにされていた、あるいは麻痺していた感情が融けていく。
氷山の一角が溶けていくような人の温かみ。温情。
ーー温かい気持ちに包まれて、鞆絵は、泣いた。




