62 生きていて何も知らずにいるのはめでたきこと
四周年記念投稿。
「幻想世界での調停者は、ロワンモンドでいう…ケイサツにあたる」
唐突に話題を変えた幻獣族の君主アルクレアラ。
そのことも驚いたが、警察という言葉に鞆絵は目を見開いた。
「ケイサツはどうやって動く?」
「法律…」
思わず、母国語である日本語で呟いていた。
なぜ幻獣族の女王であるアルクレアラがこちらの世界にこれほど通じているのかが分からない。
「そうじゃ。幻想世界には明確な法が存在しない。だからこそ余計に介入しづらいし、ある程度の自治が認められている。それがどういうことか、分かるか?」
意味がわからない。
思わず無言になる鞆絵に対し、アルクレアラは失望することはなく話を続けた。
「そなたの言う通り、我が手違いでそなたを屠ろうと…その事実を揉み消せるということだ」
結局は、そうなるのか。
身近に迫った恐怖に身体が強張る。そんなあからさまな態度を示した鞆絵に対しアルクレアラはニンマリとした。
「でもまあ、さすがに神族と縁続きの者に手を出そうとは、誰も思わん…はずだがな。私は手を出さんから安心しろ」
身体の力が抜けたと同時に感じる疲労。
前にリジニス・イロンデルの任務に動向して火傷したときに感じた恐怖が蘇ってきそうになった。
「アルクレアラ様は…ヴィスさんのことを知っていますか?」
「ヴィス・コルボーか? …そうだな、顔見知り程度だな」
鞆絵はアルクレアラから目をそらしていた。疲労がドップリと肩にのしかかってくる。
「あの方が目をかけているのを知っていたから、見に行ったことはあるし、話しもしたことはある。だがアイツは幻妖を強く憎んでいたしな。今はどうか知らんが」
「…そうですか」
「小僧に関わろうとしたのもあの男と関係あることか?」
鞆絵が思っているよりも目の前の女性は賢かった。
「はい。私はヴィスさんに助けられたので…」
「他者のことにお節介な目を向けるなら、自分のことに専念した方がいいと思うが? ましてはそなたは契約したてであると聞く。ヴィス・コルボーの尻を追いかけるよりも、アベル・エーグルとの距離感を掴むことの方が大事だと思うのだが?」
正論だった。言い返すことができない。
鞆絵は息を吸って、吐いた。
(………とりあえず)
頭がぐるぐるしてて落ち着かなかった。それにのしかかっている疲労もある。
陽が西に傾いてるものの、まだ寝る時間からは早かったがそれどころではなかった。
「…ありがとう、ございます」
冷や水をかけられたかのように、気持ちが凪いでいきそうになる。はやる気持ちに逆らいながら、鞆絵は自分の部屋へ引き下がることにした。
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「僕は水をうまく扱えないんだ。いっつも暴走して破裂する」
「コツは同族から聞かないのか?」
ここに幽閉されているのだから、同族との接触すら限られているであろうと推察はできた。
「1回聞こうと思った。でも聞こうと思う前に周囲が離すんだ。どうやら類をみないくらいに僕の魔法が強力らしくてさ。島が沈むかもしれないって」
ヴィスは何となく納得ができた。周囲から隔離される必要があるという判断が下ったから、アンディゴは隔離されているのだと。
君主は基本的に族の中で一番強い幻妖がなるため、アンディゴは君主という称号だけ持ったまま、ここに居させられている。幼少のヴィスと状況が似通っていた。
「力が強すぎるから幽閉されるなんて、訳がわからないな。お前はそれでいいのか?」
幻想世界は実力がものをいう。力の強いものが弱いものを見下ろすような構造になっている。
「いいわけではないけど…ルカンを困らせたくなかったんだ。本来の僕には威厳がないから、盾になってくれてるんだ」
ヴィスはひと息ついた。どうやらルカン・メールはこの少年の敵…というわけではなさそうだ。この情報を耳に入れただけでこちらに都合がいい。良すぎるような気がするが、それはどうしようもない。神族の加護…しかも彼女の加護とあれば、解約したとしても一生続くのだろう。そう思うしかない。
基本的に幻妖は人間を見下しており、自分たちの餌もしくは家畜としか見なしていない。イディオファナが自分を見くだすのは、自分の血に人間の血が半分混ざっているからであろうと、ヴィスは推測している。ハーフというどちらでもない、混じり物の存在は純血主義の淫魔族にとっては特に醜く映るのかもしれない。
「アンディゴ、俺と一緒に行くか?」
「えっ?」
打算的でズルな考え方でもあった。賭けでもあった。
「要は魚族に被害が出なければいいんだろう? ならお前の身柄を魚族の誰かに報告すれば、ここから出られるんじゃないのか?」
「魚族に被害が出ない………み、水場のないところって、どこにあるのさ!?」
「たくさんあるぞ。竜族のところは基本的にそうだ」
「じゃあそこに行くの? けれど僕は仮にも君主だ。他の族領にいたら何かと面倒ーー」
「ちがう」
少年の両眼が瞬いた。
「ーー行くのはロワンモンドだ」
ヴィスはアンディゴを直視して反応を視た。
目の光は失っておらず、自分の持っている力は強く作用してないらしいことに一旦安堵した。
安堵してーー自分の力を働かせようと持ちかける。
この力は一過性のものではないが、力の強さ、オンオフの切り替えは自分でやることができる。
今やろうとしていることは淫魔族なら誰もが持ち得る力である、魅了の魔法である。ヴィスはこの魔法もうまく扱うことはできない。
ーーが、少量なら暴走されたところで取り返しがつくとヴィスは考えたのだ。小さい力なら暴走されたとしても、視線を逸らすことによって解くことが可能だった。
「ロワンモンド?」
「そう。そこなら君主であるという問題は存在しないし、暴走させたとしても何ら問題はない。嫌になったらこちらへ戻ってくればいいんだ」
実際は半分くらいが本当で、もう半分が嘘のようなものだったが、ヴィスは押し通した。
「ヴィスも行くの?」
「ああ」
「じゃあ行くよ。ここにはいつでも戻ってこられるんでしょ?」
ヴィスは安堵した。そしてヘルツバールに感謝する気持ちが沸き起こった。
(あのじじいは心配してるだろうな)
まさか自分が誰かを連れて行こうという気になるとは…と自嘲する。ヘルツバールが連れ出したとき自分は何も考えてなかった。考える余地すらなかった。これもそれに似ているだろう。
アンディゴはあまり考えてはいないはずだ。ヴィスがそうさせたのだから。
(それにしても、見知ってから数時間のやつにほいほいと着いていくような君主がーー)
と考え、止めた。触れられないと分かっていても白い彼女の姿が眼に浮かぶ。
どうも思考がそちら側に行こうとしているらしいと自覚してしまった。
(阿呆だな)
誰かに似た真摯な瞳がこちらを見つめてくる。ヴィスはその眼差しが嫌いだった。こちら側の醜い感情が浮き彫りにされそうだった。
トモエには話したくないと思ったことを、このアンディゴには話したくなった。どこかで後ろめたいという気持ちが働いたのかもしれなかった。
ーー彼女と出逢ったのは、別に何ともない日だった。
本当は何ともない日ではないけれど、ヴィス・コルボー中尉にとっては何てこともない日だった。
自分の生まれたときから血なまぐさい環境に浸っていたために、目の前にそんな状況が広がっていたとしても、形ばかりの部下たちが異臭に眉を潜めようとも何ら感慨が湧かなかったのだ。ただ任務を遂行して、処罰をするだけ。
血なまぐさい現場には争いの形跡があった。血の跡は奥に続いており、奥の方は上官に任せた。
昔から異形の姿をした怪物がこの世界にやってくるのをお偉方は理解している。そんな怪物を解剖して兵器にしようと試行錯誤しているのも知っている。任務の内容は怪物を倒すことではなく、弱らせて捕獲することだったから。
怪物には一般的な銃器が効かない。人相手に使用する兵器は精々足止め程度であり、特殊技能を持つ者が数人かかって倒す必要がある。今は上官がそれに当たっているはずだ。
自分たちはーーここで足止めだった。そう上官に命じられていた。
次話はヴィスとディーナの出逢いのお話。




