61 勝負を投げ出す者は負け
新章。
「本当にたまたまだったよ。運が良いね」
ここは、幻想世界だ。彼女の理念が世界を支配する。“運が良い” というのも、結局は彼女の力によって守られているだけに過ぎない。
彼女と別れてから何度も…このような事態があった。彼女は自分の力を詳しく語らなかったが、親代わりであるヘルツバール・ラバス・ロワイヨムの証言と自らの調べで結論は出ていた。
ーーこれは彼女がもたらした結果であると。
ヴィス・コルボーは嘆息した。
自分が潮の流れに逆らってこの島にきたのも、魚族の君主に救われたのも偶然では無い。もはや必然に近い結果だった。
「ねえねえ、返事してよ」
「まとわりつくな」
「僕は自分のやりたいようにやるよ」
「お前一応傀儡じゃなかったのか?」
「うん、そうだよ。だからじゃないか。できる範囲で、やりたいようにやるんだよ」
ヴィスは魚族の君主だというアンディゴ・ソヴァジヌ・ロワイヨムによって助けられていた。
「ロワンモンドに行きたい。門はあるか?」
魚族といえば、ルカン・メールがいる。
彼は魚族での実力者でヘルツバールと交友がある。ヴィスとは直接は交友はないが…話は通るのではないかと思っている。
淫魔族の君主であるイディオファナ・エロン・ロワイヨムとの因縁があってか、ヴィスは幻妖を信用していない。
“彼女” や淫魔族の幻妖であるレジニア・ソワンと話せたのは…ヴィス自身は何故かはよく理解していないが… “彼女” の場合はその雰囲気に引っ張られたせいで、レジニアの場合は血縁者であり、自分の洗脳を解いて助けてくれたということのが大きい。
アルモニーという組織で幻妖を狩る騎士という職業をしていたのも、幻妖に個人的な感情を抱いていたからだ…というのは否定できない。これはヴィスだけではなく、同じアルノマルであるヘルツバールだって幻妖を憎んでいるのだ。その気持ちはヴィスよりもずっと深く澱んでいる。
というわけで、ヴィスはアンディゴの存在にイライラとしていた。
“彼女” が囚われているのだから、本当は淫魔族の族領に戻りたかったが…イディオファナに手も足もでないのだ。今の状態で単身戻るのは無謀だ。
「宮殿に行けばあるけど…僕の権限では無理だ」
「君主なのに?」
「僕に求められているのは、穏やかに過ごすこと…それだけだよ」
その声には悔しさが残っている。
力を持っているのに、使いこなせない悔しさは、ヴィスにも痛いほど分かったために、追及するのをやめた。
本来ならば、君主は族を守るために存在するためのものだ。守るための行動は君主それぞれで異なるが、君主は族の旗印ともいうべき存在になる。基本的に一番強い存在が君主になるから魔力は使いこなして当然、暗黙の了解だ。
「お前先ほど、魔力を制御できないと言ってたが…」
「うん」
「じゃあなんで君主になっているんだ?」
「複雑な事情があったりするんだけど…君主になったのは僕自身の意志だよ。後悔はしていないんだ」
青い瞳が真摯に見つめてきた。
逸らしたのはヴィスの方だった。
そんな視線をこちらに向けてくるのが、嫌いで吐き気がする。
「怖くはないのか?」
「淫魔族だから精神影響系の魔法になるのかな? 君を見ているのは僕の意志だから…君は悪くないよ。それが嫌なら君の言う通り、見なければ良いんだから。でもね、目を逸らして真実を語るのは気がひける。僕自身が許せないだけなんだ」
「……ッ」
ヴィスは絶句して、言葉もでなかった。
(ーー今まで自分自身の力を抑え込むことしか考えてこなかった。でもそういう考え方もあるのだろうか…?)
ヴィスは自分の力をワルモノだと決めつけていた。それは周囲を巻き込むからだ。
しかし同じアルノマルであるヘルツバールが使える力を、ヴィスはワルモノだとは思っていない。そもそも性質が違いすぎた。
ヘルツバールが自分の力を使いこなせるようになったのは、そうせざるを得ない状況だったりしたからだ。つまり周りから強制された。しかしヴィスは周囲から強制されることを拒んだ。
(つまり、扱えないのは、俺のせいか…?)
自分のせいであるということは、前々から自覚していた。だが、以前とは違ってその意味合いは異なっていた。
ーーなぜ扱えないのか。その根本的な問題が見えた気がした。
「結局は意志なんだ。何をしたいか、やりたいか。そのためにどうやって行動するか」
ヴィスは自分の意志で、アンディゴを見た。
「僕もできる限りのことは、協力するよ」
変わらない真摯な両眼が、こちらを見つめてきた。
+++
鞆絵は走っていた。
焦燥感に駆られながら、エフォール・シエルがいる場所へと走っていた。
本当はやらない方が良いということは、分かっている。でも何かをやらなければ、落ち着いてすらいられないのだ。
ヴィスが連れ去られてから、鞆絵は心あらずで、ふわふわと漂うことしかできなかった。待つことができなかった。心の余裕がなかったのだ。
リョクと仲違いしたことを引きつったまま、大きな魔力が発するところへ駆けて行く。
「ーー何用じゃ? 小娘」
赤い魔力の元に近づいたら、唐突に長身の女性が鞆絵の目の前に現れた。
ヘルツバールを模したような髪型に、背中にある翼。体のラインが強調される赤いマーメイドラインのドレスは艶やかで色っぽい。
「アルクレアラ様」
「何用じゃ、と聞いておる」
質問を強制されているかの問いに、鞆絵は少し戸惑いを覚えた。
少なくとも今まで出会ってきた幻妖は、自分の魔力を自制したように思えるが、彼女にはその常識が当てはまらないらしい。
圧倒されるような真紅の力に、普通のように呼吸することが難しくなってきた。
「エフォール・シエル様の手助けがしたいのです」
アルクレアラは笑いだした。
その度に波打つ力に、鞆絵の息苦しさが増す。
「おかしいな。小娘の立場ならば、あの竜の小僧を “様付け” するのはおかしいことだ。そなたは調停者の一族と縁続きになっている。しかもその主の付き人の男とだ! それがどういうことか…小娘、そなたは理解しておらんだろう?」
アルクレアラの笑いは続く。鞆絵の息苦しさはさらに増し、あまりの息苦しさに膝をついた。
「小娘よ。そなたはもう神族の一員だ。ならば余計に突っかかることをせぬことだな。身を滅ぼすぞーーそれにアレは小僧の問題だ。小僧自身が解決せねば何も意味がない」
忠告なのだろうか。それとも自分の領域にかかってこようとするのが嫌なのだろうか。
「契約は一方的だと…特に幻妖の方は思いがちだ。ヒトが死ねば契約は消滅する。消滅したときに幻妖側に生じるリスクはない」
「アルクレアラ様、貴女様は…私を、消そうとしているのっ…ですか」
鞆絵は徐々に立ち上がろうとした。その様子にアルクレアラは息を吐く。
(ーーこんなに早く順応するとはな)
シゴーニュ・テュードゥヌスもとい、ソリテュード・パンの見立ては、少しは合っていたのだな。とアルクレアラは思った。
ロワンモンドの神である彼の思惑に対し、アルクレアラは賛同している。あくまで彼女はヘルツバール至上主義であり、その過程にある存在については目をかけることはしない。鞆絵のことですら、思惑の一つの駒でしかないという考えは崩していない。
鞆絵の前に現れたのも、追っ払わないと後々面倒なことが起こると踏んでのことである。ソリテュードが本気になれば、自分はまったく敵わないことを、アルクレアラは承知している。
そもそも彼女は力への欲求がそれほどなかった。今までほぼすべてのことを自分の力で乗り越えてきたからだ。
そんな彼女でも、力不足を嘆いたことは過去にあった。




