39 暁の別れ
(気をつけろ、トモエ)
リジニスは逃げる幻妖を追いかけようと、契約者から発せられる魔法を強引に突破した。
(あいつ、俺たちを見捨てる気だ)
(違うよ。作戦通りだよ)
"幻妖を無力化させる" というのが目的だから、自分たちを置いてでも逃げるのを追うのは当然だ。鞆絵はそう思っていた。
(リョク、契約者を足止めできない?)
(そんなことしたら、目眩ましの意味がなくなる。お前だって分かっているだろう? それよりも…避けることに集中しろ)
(避ける?)
リジニスが放つ水の余波が自分にかからないように防御していたら、嫌な音がした。何かが軋む音。
(防御しつつ、俺たちも移動するぞ。あいつを見失わないためには契約者とすれ違う必要があるかもしれん)
今、鞆絵がいる場所は住宅地の狭い道路だ。鞆絵の頭上にあるのは夜の空ばかりではない。
家の壁にぶら下げられたガーデニング。それらが支えとなるものを急に失い、落下しようとしていた。通路が狭いためか、横には回避できそうにない。
(前斜めに跳んで、屋根に飛び移れ。あの男を追跡するぞ)
鞆絵は危なっかしくもリョクの言うとおりにした。しかし、下にいる契約者が発する火の粉の残滓が少しかかった。肌の皮膚が赤くなる程度の負傷だが、鞆絵はその痛みにほんの少し声をあげた。
「…ん?」
(気づかれたかもしれん。急ぐぞ。治療は後だ)
リョクの考え通り、契約者がこちら側へやってきた。片手には中距離の攻撃に特化した炎の鞭。あの鞭に打たれたらただではすまない。
「誰かいるんじゃないのかぁ? えぇ?」
ビシっという鞭のしなり音がなるたび鞆絵は恐怖に駆られた。場所までは特定されていないようだったからこの場からなるべく音を立てずに逃げるしかない。しかし屋根の上は歩くのは不安定で飛び降りようなら音がなる。目眩ましの魔法は音まで誤魔化すことは出来ない。
(このまま…行くしか)
音がなっても良いから、逃げ出したかった。鞆絵は再び道路に降り、走り出した。飛び降りた音で誰かいるのを確信した契約者は追う。
(魔力は枯渇しているはずだからーー)
「ははっ。嘗められたものだ」
(…っ!?)
様子がおかしい。そうリョクが感じたときには魔法が発せられていた。
大量の炎の弾丸が鞆絵に迫る。防御の魔法で応戦するが、それにより場所を特定した契約者が目前に迫っていた。
魔法によって炎の剣を作り出し、鞆絵へ降りかぶろうとしたーーそのとき。
「!?」
炎の剣が急に消え去った。そう認識した後に、鞆絵は全速力で逃げた。
逃げて、逃げて、逃げたその先にリジニスと捕らえられた幻妖の姿があった。
彼らの周りには目立つ光が飛び交っていた。
+++
「終わりましたね」
契約者も捕らえ終わり、リジニスは鞆絵にそう言った。
「怪我は?」
「大丈夫です」
負傷と言えるほどではない擦り傷、火傷はしていたが、リョクが "これくらいならすぐ治せる" と言ってすべて治してくれた。
「連絡係に引き渡したのち、私たちはゆったりと帰りましょう。連絡係に頼んで本部へ一瞬で帰ることも可能ですが…」
「大丈夫です」
そんなことを話していると数分後、連絡係が転移の魔法でやってきて、契約者と幻妖を連れて行った。飛び交う光は連絡係が夜が深い中でも一目で分かるようにする目印だったようだ。
「宿に戻りましょうか。マツモトさんは目眩ましの魔法を再びかけて下さい」
「………?」
「 "彼" はよく分かっているようですが」
そう言って、リジニスは微笑った。
+++
「私、多分…運が良かった」
契約者が躊躇いもなく剣を振っていたらーーどうなっていたのか分からない。
シャワーを浴びた身体はいつもなら直ぐに眠りにつくにも関わらず、今回に限っては先ほどの出来事が頭を過ぎり、当分寝れそうになかった。
「あれも、リョクのおかげ…? それともーー私自身の運が良かった…とかはないか」
"俺は運が良い" と豪語していたヴィスもこのような出来事を味わったことがあるのではないだろうか。
(おい)
(…なに?)
( "ヴィス" って誰だ?)
(い、命の…恩人、だよ)
何で急にそれを訊ねたのか。まさか自分の心の内がリョクに筒抜けなのではないだろうか。と動揺する鞆絵に、リョクは畳み掛けるように追及しだした。
(そいつに対して、変な感情は持っていないだろうな?)
(へ、変な感情ってなによ! …ただ、ヴィスさんがいなかったら、私、幻妖に襲われて死んでた。お父さんと、お母さんみたいに)
(…ヒトは、あんまり信用ならん。あいつらは幻妖よりも貪欲だ。そいつを信用するなとは言わんが、過信するのは禁物だと思うぞ)
(………信用ならない人はいると思う。でも…信用できる人もいると思う。私はそれを…見なきゃいけないんだと、思う)
そのための第一歩を、他人の力を借りて踏み出した。
自分に出来ること、出来ないこと。それを知ることはこれからの人生を生きるのに重要なことだ。
特に、この異国の地では。
(………もう、良いだろう)
(!?)
(これ以降、俺の魔法を借りる必要もなさそうだしな)
唐突だった。鞆絵はリョクがずっと一緒にいる存在であると決めつけていた。いや、頭で決めつけようとした。そうすることで、彼に対する遠慮を無くしたのだ。
鞆絵は呆気にとられて、言葉が出なくなった。
(まあ今後助けが欲しいなら、呼べ。気分次第で駆けつけてやっても、いい)
(最後じゃ…ないんだよね?)
(…ああ)
(なら、大丈夫)
空が明るくなってきた。これから新しい日の光が空に燈るのだろう。そうなる前に、リョクとお別れだ。
大丈夫といったもののそれを強く意識すると、自分の半身が切り離されるかの如く、身体が、心が、痛んだ。
リョクもこんな状態になっているのかどうかは判別できない。今のリョクは黄緑色の光となって、鞆絵の周囲を浮遊しているだけなのだから。自分だけがこんな状態になっているのかと思うと少しばかり怒りが湧いてきそうになる。
自分の感情が分からなすぎて、ぐちゃぐちゃになる。
(泣くな。暫しのお別れだ)
(………っ)
結局鞆絵は最後まで笑うことが出来なかった。
次話から新章です。




