29 汝自身を知れ
ーーここは、どこなのだろうか?
霧がかかっているかのように前が見えない。誰もいない。何もない。そんな空間にヴィスは居た。
『ーーー』
何かかすかな声が聞こえると同時に霧のようなものが少し晴れた。そこは石で造られた建物の中だった。
(この風景は…)
ヴィスには思い出すことがあった。忌々しい過去の記憶。ヘルツバールに救い出されるまで彼がいた場所だ。ヴィスにはヘルツバールに救い出される少し前の記憶がところどころ抜けていて、どうしても思い出すことが今も出来ていなかった。
(確か、俺はプランナに刺されたんだったよな…刃に魔法がかけられていてそれが俺の中で作用しているのだとすれば………ここは魔法で作られた空間…か?)
魔法で作られた偽りの空間。これを脱出しなければ現実世界に戻れなくなる可能性があった。ヴィスはとりあえず建物の中を歩いて、脱出口を探すことにした。
歩いている内に、地面に血痕が付着しているのを発見した。
(まだ新しい…)
魔法を自分にかけたものは、この景色を見せることを目的としていたはずだ。血が絡んでいるということは………良くないことなのだろう。だがこの空間がヴィスの過去の景色そのものだった場合、血が絡む出来事は日常茶飯事だった。
服の上から胸を掴む。そこには確かにいつものアクセサリーがあったことに安堵しながら進む。
『ーーー』
また声が聞こえた。さっき聞いた声と同じ声だ。何と言っているかは聞き取れなかったが先程とは違い、この建物の中から聞こえてきた。
一応戦闘が起こりうる可能性もあるため、黒コートの裏から銃を取り出す。その声の持ち主と遭遇したら即座に撃つつもりだった。
『ーーー』
(…クソっ!!)
ヴィスの頭に響くような声だ。残響のように響き渡り決して消えることのない存在であるようだ。正体が分からないから余計にヴィスは苛々とした。
ヴィスは声の持ち主がいるであろう場所に近づき、扉を蹴飛ばして銃を向けた。
そこにいたのはーー
+++
「!!!」
ヴィスはガバッと起き上がった。
「起きたか」
見渡した先に映ったのはいつもの赤髪の男。一瞬、彼女とは違う意味で神々しく見えた。
「俺は…寝てたのか? どのくらい………」
「二週間ぐらいダナ。ナカナカ目が覚めなくて困ってタガ」
「そんなにか!?」
「ああ。お陰様で刺された傷は完治してしまったガナ」
それを言い終え、ヘルツバールは椅子から立ち上がる。
「レイアーナをロワンモンドから呼んでクル。お前はジッとシテロ」
ヘルツバールは一瞬で消えた。
ヴィスは刺された箇所を触る。彼の言った通り傷痕も残らず完全に完治していた。
「俺は、あいつに二週間も世話されていたのか……」
沸き起こるのは、罪悪感だ。
過保護ともいえるヘルツバールの行為にその感情が沸き起こり、ヴィスは母国の兵士となったことがあった。自分一人でもやっていけるという身勝手な思いから労役を自ら課し、実際やっていけていたが、とある出来事により最終的にヘルツバールを頼らずを得なくなった。
ヘルツバールが過保護になる理由は分かっている。だがそれに甘えるばかりではいけないと実感している。
(これじゃあ、俺もーー)
何だかんだ言ったとしても、エフォールとは立場が似ていることを自覚したヴィスは焦燥に駆られた。
「大丈夫ね。後遺症も無いでしょう」
「助かった。ペルーシュ」
「でも数日間は無茶をしないことね」
「………」
「…何が起こったか憶えているかしら? 何なら私は席を外すけれど」
「済まない。迷惑かけてばかりだな」
「良いのよ。これが私の仕事だから」
「なら、送るゾ」
ヘルツバールがレイアーナを送り返して行ったのと同時にノックがかかり、アルゲベルトが入って来た。
「大丈夫そうだな。ヘルツバールは相当心配していたが…」
「アルゲベルト様…」
「出来れば敬称を止めて欲しいのだがね。肩が凝って仕方なくなってしまう」
アルゲベルトは君主の中でも庶民的と言っていい。決して自らの地位を他の者に誇ることはない。
「申し訳御座いません………そればかりは」
「まあ、そうだろうな。しょうがないとしておこうか」
アルゲベルトとヴィスの間にはヘルツバールとは違い、明確な上下関係があった。それによりヴィスはアルゲベルトに尊敬の意味も込めて彼にしては珍しく敬語を使っていた。
「ヘルツバールは…ロワンモンドか……」
「はい。すぐにこちらに戻ってくると思いますが…」
「ヴィス、君に言っておかないといけないことがある。ヘルツバールは言わないだろうから、私から言おうと思ってな」
「………何でしょうか?」
薄々予想はついたが、やはりそれは衝撃を伴った。自分よりも早く回復し、今は元気だと知ってほんの少し安堵したのだが、問題はアルゲベルトの次の発言だった。
「それによって狼族の族領が大変なことになっている。たくさんの狼族の幻妖が…犠牲になった」
「!?…それは」
「私としてはね。君たちの仲をどうにかさせる以外、この被害を食い止める方法はないと思っているんだ。難しいということは分かっているが…」
「………」
「こんなことを言って申し訳ないとは思ってはいる。だがこのままでは幻想世界は……崩壊しかねない」
「っ………騙していたのは彼女の方なのに、私から歩み寄らないといけないと? それに彼女にはアベルがいるはず。何でそんなことになっているんですか?」
どうやらヴィスは誤解をしているらしいとアルゲベルトは思った。どこかですれ違ってしまっているのだ。アルゲベルトはそれについては断片的にしか知らないため、どう返答すればいいのか分からなかった。
「オイ。それ以上追求するなヨ。アル」
何とも良いタイミングにヘルツバールは戻って来た。アルゲベルトはそれが故意であるものと確信する。
(この話は終わりか…)
だが彼にしてみれば寛容なものだった。普通なら自分が話す前にその話題を止めさせているはずだ。必ずヴィスの心を抉ることだからこそ、ヘルツバールは自らそれを話したがらない。ヘルツバールの方も今回の出来事で何か思うところがあったのかもしれない。
ヘルツバールは椅子に座った。アルゲベルトはドア付近の壁に身体を傾けた。
「何が起こっタカ、聞かせろ。それは犯人と繋がる出来事のハズだ」
「犯人って…誰だ? やっぱりあいつなのか?」
「断定は出来ないな…まだ、暗示が解けていない以上……」
「プランナ姫は、どうなっているのですか?」
「まだ幽閉したままだ。他にもプランナと同等の暗示にかかった者たちがたくさんいる。そちらもペルーシュ殿に診て貰ったが…原因が分からない以上、どうしようもないのが現状だ」
「オイ、話がズレているゾ」
「ああ。そうだったな」
ヴィスは水を飲んだあと、夢の中で起こったことを一通り話した。
「最後はたくさんの死体とたくさんの血だまりが地面にあって……誰かがいたはずだったが見えなかったんだ」
「ふむ。成る程な。そこで目が覚めたと」
「………」
「ヘルツバール、お前何か知ってるんじゃないのか? 俺はお前に救われてから一度もあそこに行っていないが、お前は何度もあそこへ足を運んだんだろう?」
「………………俺サマにも分かラン。テューに協力してもらえば分かるダロウガ、もし分かったとしても俺サマからは伝えることはデキン」
「何故?」
珍しくヘルツバールが言葉を慎重に選んでいることが分かった。ヴィスは身構える。
「ヴィス、お前…俺みたいになりたいのか?」
ああ、つまりそういうことなのか。とヴィスは思ってしまった。
知ってしまえば多分まともな人生は歩めまい。今でも充分に異質といえば異質だが、それを知ってしまえばもっと異質になるのだろう。
ヴィスはそうなるのを嫌っていた。普通の人生を歩んでいない彼はその普通の人生というのにかすかな憧れを持っていた。ヘルツバールの辿っている人生は、常に安らぎがない。今後もあるはずのないものだ。
「すまんな。じじい」
「だからァ、じじいッテ呼ぶなッテ!!」
一時流れた重苦しい雰囲気は、一瞬の内に霧散した。そのことに内心安堵したアルゲベルトは、自分の遠い将来のことを考える。大まか、自分の考えは決まっているようなものだったのだが。
そして近くの将来のことを考え、頭痛がしてきそうな気分になった。
まだ何も終わってはいないのだ、と。
+++
そこは見渡す限り、草原の大地であった。その大地に大きな亀裂が入っている。そこに呑み込まれてたくさんの部下が死んだ。
(………)
彼は考えていた。考えるのがあまり好きではなかったのに、彼は考えざるを得なかった。
自分達の族領には最近ことごとく自然災害が発生している。このままでは全滅する可能性だってありえた。
(…どうする)
この大地を手放して匿ってもらう手段だってあった。実際に被害の大きさをみたアベルはそれを提案してくれた。だがそれは最終的な手段だった。この土地に愛着のある部下はここを離れることを承知しないだろう。
「グランド様」
部下が呼ぶ。その報告は彼の予想だにしないものであった。
これでDragon -竜- の章は終わりです。
次回から新章。鞆絵とテューの出会いをやります。




