28 忘却の彼方
同時刻、クロードは主君の体調をつぶさに観察していた。そのときに身体に異変が現れた。
「!?」
自分だけだったはずの泉が他人と共有化出来る海になったようだった。以前と比べてもスケールが圧倒的に違うものだ。
「クロード?」
「いや…何でもない」
と隣にいる怪訝な表情の親友に断りを入れ、レイアーナからの説明を聞いた。曰く、ソリテュードが何かしたというのであるが、彼女自身少し錯乱している様子であった。その最もたる理由がーー
《私の中に…貴方の気配が感じられるのよ!? 今まで契約でしか感じられなかった感覚が、 自分の中の全てに感じることが出来るなんてーー》
全ての感覚の共有化。それがクロードとレイアーナとの間で発生して、継続されていた。一例を説明すれば視覚だ。クロードはレイアーナの視点から彼女が今何をしているのか完璧に理解出来た。
これは今まででなかったことだ。自分の主君を観察している視点、そして契約者であるレイアーナが見る視点、クロードの中でその二つの感覚が共有化していた。よって、クロードにはレイアーナがヘルツバール、ソリテュード、そしてトモエと一緒にいることが、本体が幻想世界にあるにも関わらず、分かってしまうのである。聴覚も同様で、レイアーナが聞いたことがそのままクロードにも理解出来た。
幻妖には魔力と呼ばれるものが存在する。それは魔法を使用するたびに消費され、一定期間経つと元の値に回復する。魔力が多いほど強い魔法が使用できるため、一概にはいえないが、魔力の多さは強い幻妖と認められる上での一つの指標になる。また、これらは魔法とは違って生まれついたときから変わることはないが、ロワンモンドでの人間の素質を喰うことによって、増やすことが出来た。
人間の契約者としての素質は魔力と似たようなものだ。しかし、人間はそれを使って何かを為すことは出来ない………のだが。
(レイアーナの素質が魔力と同等のものになって、共有化されたということか…? ということは彼女は本当に魔法が使える存在、幻妖に近しい存在になった…ということ…?)
魔法を使用する感覚が今までとは全く違うことに内心戸惑いつつも、クロードは主君の診察を続行させた。
「どうだ…? 主君の御様子は………?」
「君の察している通りだよ。どこにも異常は見当たらない。部下に主君が御倒れになられた場所の鑑識してもらっているけれども…何も出ないはずだ」
導師族は治療の他にも記録の能力に長ける。過去の記憶を一瞬ながら見ることが出来たり、見えないものを読み取れるような魔法を使用することが出来る。そのため、神族が他族の制裁に赴くさいに記録係として同行するケースも多い。
アベルの眉間に皺が寄っていくのを、クロードは見つめるしか出来ない。それで無くても今自分の中で愛する人からの視点が自分の中に入ってきて心あらずといった状況下であったのだが…
「ヘルツバール様に連絡を取るしか………ないのか?」
ヴィスとは違い、アベルは自分より歳上であるヘルツバールのことについて、敬意を持って接していた。
「主君がこうなっていらっしゃるということは、向こうは命にも関わる重傷を負っているはずだけど…」
「主君が未だに "絆" を手離そうとなさらないせいか…」
クロードはヴィスの状態をレイアーナ経由で既に知っていた。しかし、それを親友に知らせようとは思っていない。アベルは一連の事件で異なる世界、すなわちロワンモンドに住む人間と契約することを嫌っているからだ。それは契約者を嫌っているのではなくて、契約しようとする幻妖たちの考えが彼の中では定着しないからだ。
アベルにとっては何故、契約しようとするのか理解し難いのである。
「御取り込み中のところ、申しわけ御座いません。アベル様」
「ーー何だ?」
神族の男ーーすなわちアベルの部下が扉越しに話しかけてきた。騒ぎを大きくしないように、ごく一部の者にしかギネフェルディーナの状態を伝えていないのだが、神族は非常に統率が取れている族であるため、緊急時の場合出来る限り下で処理出来ることは処理するようにアベルは指令していた。それくらいのことでは軍の規律が崩れることはないのである。
アベルは神族での実質上No.2だ。君主であるギネフェルディーナの側近であり、何事も彼女に通す前に彼が全てをチェックする。また、幻想世界の秩序を守るために編成されている軍隊の最高司令官でもあり、多忙を極めている。そんな彼のことを神族の皆は敬意を持って接していた。力が強い者が上に立つこの幻想世界で、彼は他族の君主と互角に渡り合える程の強力な力を保持していたからだ。
「狼族の族領で異変が発生したとのこと。君主のグランド・クル・ルーオール・ロワイヨム陛下が救援を要請しております」
「こんな時に…いや、こんな時だからこそか……」
アベルが小声でそう呟いたのを、クロードだけが聞き取ることが出来た。
「クロード、主君はお前に任せる。私は狼族の救援隊を指揮しに現地へ向かう。歯がゆいことに、治癒の面ではお前には敵わんからな」
「気をつけて」
「あと、お前の部下も借りるぞ」
「ああ。じゃあちょっと待ってーー」
異変による自然災害が発生した場合、負傷したものがいる可能性は充分にあり得たからだ。クロードはここを動くことは当然出来ないため、指令を伝えることにした。
その間、クロードの頭にはもう一つの意識があった。恋人のものだ。それが彼にとっては心地よいものだった。
(とりあえず、コルボーは無事かーー)
恋人の意識から、それがクロードには理解出来た。それと同時に主君が倒れたことによる影響を心配した。主君が崇拝される第一の理由は彼女の身体がこの世界と連動しているためでもある。
彼女に危機が訪れれば、この世界は壊れるように出来ていた。
+++
「………」
レイアーナはヴィスの顔を見た。
「刺されて出血したのですよね? ラバス様」
「そうダ」
「凶器は?」
「アー、どこやったっケ? アル?」
「ここだ」
アルゲベルトは娘が使用した凶器をレイアーナに渡した。これはヴィスを運んだ後に拾ったものだ。プランナ含め操られているものはアルゲベルトの魔法で一カ所に閉じ込められ、竜族の幻妖、アルゲベルトの直属の部下によって監視されていた。
「……………これは、何か魔法がかけられていますね。暫しクロードと相談しますわ」
「ああ。よろしく頼む」
レイアーナは目をつむり、現実世界の意識をシャットダウンした。
ヘルツバールがヴィスの顔を具に見ている。他の者がそれを見れば猟奇的とも捉えられないような光景でもあった。でも、彼と契約しているアルゲベルトはそれについて何も言わず、別の話題を出した。ここには自分とヘルツバール、ヴィス、レイアーナしかいなかったため、思念で会話する必要性もなかった。
「ヘルツバール、ペルーシュ殿は何かあったのか? いつもと違う感覚がするが…」
「流石、嗅覚の違う竜族の王ダ。その通りダヨ。テューが "施した"」
「!?」
「まア、これデ互いに対等ダ。クロードは奪う必要も無くナリ、レイアーナは取られる必要が無くナッタ。俺サマ達みたく、長生きするだろうヨ?」
「………」
それが良いことなのか悪いことなのか、アルゲベルトには判別が難しかった。自分の場合、好意で契約したようなものだ。恩情でもあるかもしれない。ラフィヌの急かしもあったが、契約したのは自分の意思だ。
まさか、それがこんなことになろうとは誰が思いもしただろうか? 契約しなければ、ヘルツバールはロワンモンドの人間という括りで済んだのだ。しかし、契約してヘルツバールは全てが変わったのだ。アルゲベルトはそれに対する負い目があった。契約の内容が変われば、もしかしたら、関係性までも変わる可能性が充分にあり得た。
レイアーナが目を醒ましたのを見て、アルゲベルトはヘルツバールに呼びかけた。それでようやくヘルツバールはヴィスの顔から視線を外し、レイアーナの方を向いた。
「ーー解ったわ。これは過去の記憶を掘り起こすものよ。多分…数日すれば効力がきれて、目が覚めると思うわ」
盟友の顔色が変わるのを、アルゲベルトは確かに見た。




