10 豹変と消失
痛い
イタイ
いたい
ココロガチギレソウーー
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ヘルツバールから彼女の名前は聞いていた。
ギネフェルディーナ・シーニュ・ロワイヨム。
彼女は神族の君主であり、幻想世界の神様的な存在。彼女を手に入れようとして、争いが起こっていると聞いた。
鞆絵はヴィスのことを精神的に余裕を持った大人だと思っている。人を驚かすことの好きな、飄々とした47歳の自称おっさん。
前髪を顔に垂らしているために、表情は見えないものの、話してみると結構親しみやすく、人を安心させる気配を纏わせている。
だがしかし、この後とったヴィスの行動は鞆絵を震え上がらせることになる。
「誰が…」
まず、声音が違った。その声はいつものヴィスの声ではない。
鋭利な低い声。その声だけで、人が近づくことを躊躇うような、そんな声。
「誰が、誰を娶るって?」
鞆絵がそのときのヴィスの表情が見えなかったのは幸運だった。それと、ヴィスが鞆絵を視界に収めていなかったのも。
「お前が、手にかける?彼女を?」
幻妖も、手を出せない。ヴィスの作り出す雰囲気に完全に呑まれてしまっていた。
「ふふふっ…あっははははははーーーーー!!!!!」
ヴィスが突如笑い出した。その笑いに、鞆絵は震え上がる。それは明らかに普通の笑い方では無かった。
「そんなこと、お前が出来るわけがないだろう?」
馬鹿にされたことに気がつき、幻妖はヴィスの作り出す雰囲気から脱出して、自らの身体を取り戻した。
笑い続けるヴィスに幻妖の牙が迫る。
それを見たヴィスは、
「消えろ」
そういった瞬間、鞆絵の視界は白い光に包まれた。何も見えず、何も聞こえない。
白の空間に鞆絵は呑み込まれた。
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一面に大理石の豪華な建物。その中を、彼は歩いていた。彼の主君に会うために。
最近は体調がほんの少しだが、よくなった。以前ボーッとして、動かなかったのが、動くようになった。
そうなるまでに、この世界がたくさんの損傷を受けてきたのはわかっていた。この世界に住む皆が困っているのは知っている。だからいつも以上に側にいることで、自分に少しの情を持ってくれないかと期待した。しかし、いつまでたっても主君の御心はあの男の元へと飛んでしまっていた。
そのため、彼は仕方がなく、男の着ていた服を着て主君に接した。すると、主君は彼の言ったことに反応をするようになった。
ここでも違いが出るのか、と彼は思った。主君は自分を見ておらず、自分の服装を介してあの男の残滓を見て、反応しているのだ。
主君の御心はあの男に囚われたまま、あの時から何も進んではいない。
「主君。御迎えに上がりました」
「……………………みがおちたからひろわないといけないの」
「取って差し上げます」
「わたしがいかないと…ダメ」
雲行きが怪しい言葉に彼は怪訝に感じた。
「わたしがいるの。かんじるの。だからいかないといけない」
ああ、そういうことか。彼は主君が言いたいことを理解した。
男に文句を言いたい気持ちが沸き起こるが、それを押し殺し、彼は責務を優先する。
「主君、もうすぐ定例の君主会議が始まります。他の君主達はここに集結しておいでです。主君に御出席していただかないと他の君主達が困ります」
「わたしには…かんけいない。いくの。いきたいの」
「駄目です。我らには一瞬でも、人間にとっては決して短くない時が経ったのです。
あの男は主君のことを御忘れになっていることでしょう」
「いや…いや! いくの!! だから…これ、といて!!」
主君に身につけられているのは、御自身の魔法を無力化させるものだ。
そうでもしないと、主君は気配を感じるとすぐにあの男のところへ一直線に向かうはず。
それだと…困るのだ。
「御要望には御答出来かねます。申し訳御座いませんが時間が迫っておりますので、強引な手を使うことをお許し下さい」
許しを得てから、彼は強引に主君を抱きかかえる。
「いや……イヤァ!!」
主君に身につけられている無力化のアクセサリー。これは主君が本気を出しさえすれば、壊れるものだ。
神族の君主を本当の意味で縛り付けるものなど、この世には存在しない。
(主君は…あの男に会うことを迷っておいでなのか?)
主君を抱きかかえつつ、彼は考える。
(ということは、それだけ心傷が深いということの証明にもなる)
男に嫌われでもしたらーー
それだけを考えてきた主君だからこその迷い。その迷いに彼はつけこむ。
そうすることでしか、今の状態は保てはしないのだ。
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神族の大理石神殿は素晴らしい。ことに君主が住んでいる神殿だったら、なおさら。
自分の住んでいる世界にも神殿は残っている。だが、この神殿とは比べ物にならない。大きさから言っても、妍麗さからいっても、こちらの方が上だ。
《ヘルツバール様!!》
《ん?》
珍しいこともあるものだ、とヘルツバールは思った。
もうすぐ君主会議が始まるとは伝えてあるというのに。
ということは余程の用件なのか?
《日本で小規模ながら、濃密な魔法の形跡を察知しました!!現在、解析中です!!》
魔法にもいろんな種類があり、濃度が存在する。
濃度が濃ゆいほど、その場に催す効力が高い。
威力と言っても差し違いないだろう。
だが、遠く距離が離れているイギリスから察知出来るほどの濃密な魔法となると限られてくる。
例えば…大規模を消滅させる魔法。
これが扱えるものは君主級か、それに近しいものたちだけだ。
日本でそれが出来るのは…ヴィスしかいない。
(あーあ。馬鹿な幻妖がヴィスの地雷を踏んだか。ご愁傷さま)
ヘルツバールは即座にどういった状況になったか理解した。
(今のヴィスの状態だから、小規模に収まった…といえるのか?アル?)
(いや、無意識ながら手加減した…という可能性もある)
(まぁ、君主会議があって良かったわぁ~。さすがにこの状況で俺サマが住んでいる世界に関心を持つやつはいないよなぁ?
みーんなギネフェルディーナ・シーニュ・ロワイヨムがやって来るのを今か今かと待ってるんだもんねぇ~)
ヘルツバールは傍にいるアルゲベルトと思念で会話する。
思念会話は基本的に契約した相手でしか出来ない。
もうすぐ君主会議が始まる。
この会議は定期的にあって、君主達が神族の君主が住む集まり、幻想世界の問題点を議論する会議。
竜族の君主であるアルゲベルトと契約しているヘルツバールはこの会議に出る資格があった。
何故なら、君主の契約者は君主と同様の存在として扱われるからだ。
だが会議とはいっても、君主達は一つの狙いがあって参加していた。
この会議には神族の君主が主催として参加する。
(皆、彼女に会うために出ているようなものだもんねぇ~)
神族は監視者であるため、他の族と関係を持ちたがらない。
そのため、神族の君主である彼女とはこの機会を逃しては中々会えないのだ。
彼女はこの幻想世界では誰も彼もから崇拝されて、信仰されている存在。憧憬を一身に受ける存在である。
《んーっと、大体分かったから解析作業を今すぐ止めて。これ、命令ね。分かった?》
《はっ、はい!! 了解いたしました》
《んじゃ、切るね》
ヘルツバールは一方的に部下との連絡の魔法を切った。
「御機嫌よう。アルゲベルト様、そしてヘルツバール様」
(ゲッ…)
その後、そこに現れたのはイディオファナ・エロン・ロワイヨム。
誘惑に長けた魔法を持つ、淫魔族の君主。
そして、ヘルツバールが最も苦手とする君主でもある。
「ギネフェルディーナ様は今日も体調が優れないのでしょうかね?やけに御出になられるのが遅いように感じます」
「さあ、我には理由がさっぱりわからない」
「そうですか…ヘルツバール様はどう思われます?」
「さあ?」
(全くコイツは…俺たちが理由を知っているのを察知しているのではないだろうな?)
淫魔族は心を読める魔法を持っている。さすがに君主級になると、効き目は薄いものの、残滓ぐらいは感じているのかもしれない。
ヘルツバールは内心焦っていた。
イディオファナ・エロン・ロワイヨムは人間が思うところの、バンパイアやドラキュラ、吸血鬼といった感じの様相をしているため、ほぼ人間と見て遜色がない。黒く適度にウェーブさせた長い髪、そして柘榴のような、いや血のような瞳をしている。淫魔族は性質上美男美女が多いが、イディオファナもその例には漏れていない。しかもそれらの君主である以上、非常に容姿が良い。誰も彼もイディオファナの手にかかれば、堕ちない女性はいないという噂が立っている。その力は同族にも及ぶと言われていて、彼の周りには女性が絶えないそうだ。
(ギネフェルディーナについての執着度も人一倍強いしな…)
そんな彼が執着している相手、それはやはりといってもいいだろうか、ギネフェルディーナ・シーニュ・ロワイヨムであった。淫魔族は自分の容姿や異性を堕とす技巧に関しては絶大な自信を持っている。つまり、イディオファナはギネフェルディーナを堕とす絶大な自信を持っているのだ。
しかし、彼女を手に入れるには他の君主を納得させないといけない。彼女は万人の憧れの存在であるからだ。イディオファナは狡猾な策士でもあるため、裏で根回しをしているらしい。それと同時にギネフェルディーナの情報を逐一把握しているらしい。
(つまり、俺たちからしたら、要注意人物…)
ヘルツバールにとっては、いろんな意味で注意しておかなければならない人物であった。




