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離れで萎びた花は、黄昏の庭園に咲く  作者: Mel


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6/11

花は綻ぶ 前編

 あくる朝。

 綺麗に手入れを済ませたガウンをフットマンに託し、私はいつものようにラウンジでの仕事へと向かった。

 昨夜のエルギル様の優しい声と、ガウンに残っていた微かな残り香を思い出すだけでどうにも頬が熱くなってしまう。

 浮き立つ心を落ち着かせるように深く息を吐き、ラウンジを見渡した先で——ふと、部屋の一角にあるガラス張りの部屋へと視線が向いた。


 この修道院には、時折外部からのお客様がいらっしゃる。面会希望者は事前にロクサーヌ様に面会の予約の申し入れをして、当日は守衛に身元を照会され、そのガラス張りの面会所へと衛士に案内されるのだ。

 その厳重さにも驚いたけれども、当然のように面会所の中にも衛士は控えているし、何かあった時のための伝声管も置かれている。何よりもその部屋には扉が無く、ラウンジの住人からも容易に見られる開放的な状況にあった。


「なんというか……随分と変わった造りですよね」

「悪いことを考える人がいるのよ。透明性って大事でしょう?」


 私にはよく分からない感覚だけれども、かつて国を動かした要人たちが集う場所ともなればそういうものらしい。

 大旦那様の時はむしろ私と大奥様しかいない空間でお客様が来るようなことはなかった。きっと食事を運んでくれた使用人たちは私のことをただの雇われの介添え役と思っていたことだろう。そう思うと、どこか周囲の視線が冷たかったのにも今更納得がいってしまった。


 とはいえ、その煩雑な手続きを嫌ってか、ここに面会のお客様が来ることはあまり多くはないのだけれど——。


「こちらでお待ちくださいませ、ストラウス様」


 案内を終えたフットマンの声に思わず振り返る。あの御方のお名前が聞こえたからだ。

 でも、ガラスの壁の向こう側で椅子を引かれて腰掛けたのは、ここにいる誰よりも若々しい青年だった。白銀の髪を揺らす彼はエルギル様に少し似た整った顔立ちをしている。


「あら。ストラウス家の秘蔵っ子じゃないの。ずいぶん久しぶりに顔を出したわね」


 ご婦人方も来客にすぐに気がついた様子だ。


「秘蔵っ子ですか?」


 私が尋ねると、「甥っ子よ、甥っ子」と別のご婦人が教えてくれた。


「甥っ子さんですか。……確かに、面影がありますね」

「顔がいいわよね。ちょっと線が細いから私の好みじゃないけど、最近の若い娘さんが好きそうな顔してるわ」

「エルギルの坊やが若い頃はあんなもんじゃなかったわよ。なにせ中央貴族のお嬢さんたちが、自分の釣書を手に列をなしていたんだから」

「あら、あなたもその一人じゃなかったっけ?」

「違うわよ。私は野次馬で見に行っただけ!」


 まるで令嬢のようにはしゃぐ彼女たちを微笑ましく思いながらも、私の目はつい面会所の様子を窺ってしまう。そのうちに重い革靴の音が響き渡り、こつこつと杖をつく音が聞こえてきた。

 ——エルギル様だ。

 普段から仕立ての良いお召し物を身にされていらっしゃるが、真新しいスーツに袖を通した彼の姿に自然と目を奪われてしまう。


「あらまあ、めかし込んじゃって」

「あれは甥っ子に会うために拵えたものじゃないわね。ほら見てよ、お嬢さんのこと探してんじゃない?」

「そんなことはないと思いますけれど……」


 きょろきょろと周囲を見渡していたエルギル様は、私の視線に気が付くと、顎を上げて挑発するように微笑んだ。そして何事もなかったように面会所内の椅子に腰を下ろす。

 さすがに中で何を話しているのかまではよく聞こえない。ただ終始和やかな様子で、時折甥御さんに笑いかける姿も見えた。


 ご婦人たちがすぐ近くのテーブルに陣取る中、私はいつも通りラウンジの中の様子を確認して、気さくに手を挙げてお声がけいただいた方——先日仲良くなったブラウン家の当主であり、水軍の元将校でもあるリッキー様の席に着いた。

 彼は屈強な身体と強面のお顔からは想像もつかないほどに気さくな御方で、何かと私のことを気にかけてくださっている。


「宰相閣下の目を気にせずにランタナちゃんと話せるなんて、今日は運がいいみたいだ」

「ふふ、お飲み物を用意しますね」


 愛嬌のあるウインクに私も笑顔を返してしまう。たくさんの氷を浮かべたグラスにリッキー様が好まれる炭酸水を注いで差し出せば、彼はかつて船で大陸を横断した話を語り始めた。嵐に、氷山に、海賊に。冒険活劇のようなお話についのめり込んで聞き入ってしまう。そして話は、数年前に完成した蒸気船へと移った。

 

 ——と、ご婦人方の黄色い歓声が耳に届いた。目を向けると、ストラウス家の青年が彼女らに手を振っていた。随分とご婦人のあしらいにお慣れになっているようだ。エルギル様が呆れ顔をしていらっしゃる。


「……ランタナちゃん、聞いてる?」

「——あっ、もちろん聞いてますよ。蒸気船に乗られたんですよね? その施工にも携わられていたなんて、流石は水軍を率いられていただけありますね」

「そう。それでまたチケットが手に入りそうでね。もし良かったら今度乗ってきたらどうかなって思ったんだよ」


 そう言って彼は、屈強な身体のサイズにはあまり合っていない小ぶりの革鞄から二枚の細長い紙を取り出した。


「そんな……とてもありがたいお話ですけれども、ご自宅にいらっしゃる奥様と娘さんに差し上げたほうが良いのではありませんか?」

「あの子たちは何回も乗ってるからね。もう飽きたって言われたんだよね……」

「左様でございましたか……うらやましいお話ですね」


 リッキー様がテーブルに置いたそれを物珍しさから覗き込んでしまう。なかなか手に入らないともっぱらの噂なのに、かつての重鎮ともなれば容易に手に入れられるらしい。


「でも、二枚あるんですよね?」

「そう。そこでなんだけどさ、うちの末の息子と一緒にどうかな? ちょうど先日、長期渡航から帰ってきたんだよ。船にばっかり乗っているから女っ気がなくてねぇ……」


 ああ、と思い当たる。サロンに勤めていた頃はご本人からお誘いを受けることが多かったけれども、このラウンジではお身内の方をご紹介いただく機会があった。もちろん有難い申し出には違いないしご厚意だとも分かっているけれど、正直あんな経験をした今は気が進まないというのが本音だ。

 

 さて、角が立たないようにどうお断りしたものかしら。サロン時代の定番の断り文句を思い出していると、不意に私たちのテーブルに影が落ちた。


「ご歓談中に申し訳ございません。ランタナさん、ストラウス様がお呼びです」

「……エルギル様が?」


 面会中ではなかったかしらと視線を向けると、彼は難しい顔をしてこちらを見ていた。向かいに座る甥御さんは涼やかな表情で笑っている。どうしたものかしらと少し困ってしまうと、察したリッキー様が苦笑を漏らしながら手を振った。


「まったく、宰相閣下のご命令とあっては引き留めるわけにはいかないな。行っておいで、ランタナちゃん」

「ごめんなさい、この埋め合わせはまた今度、必ず」

「いいよいいよ。蒸気船、考えておいてね」


 念を押されてしまった。返答は避けつつ、にこやかに微笑んでやり過ごす。


「閣下、何か御用でしょうか」

「ブラウンとの話を邪魔してすまなかったな。用というほどでもなかったのだが、折角だから紹介しておこうと」


 エルギル様に促されて青年が席を立つ。胸元に手を当てて一礼するその所作は、紳士と呼ぶにはまだ少しぎこちないものだった。


「初めまして、ネイサン・ストラウスと申します。叔父からお噂は聞いていましたが、確かにお美しい方ですね」

「ありがとうございます、お上手ですね。私はランタナと申します。どうぞお見知りおきくださいませ、ネイサン様」


 私の記憶にある紳士たちの顔触れにはない名前だ。きっと私がサロンを辞めた後に頭角を現した方なのだろう。


「ネイサンは現政府の公安局に勤めている。今はまだ役職はなかったか?」

「上が詰まっていますからね。世襲が当たり前だった叔父さんの時代と一緒にしないでくださいよ」

「フンッ、血筋しか取り柄のない無能にのさばられてはたまらんからな。研鑽しなさい。お前が手本となるのだ」

「簡単に言ってくれるんだから……」


 苦笑を漏らすネイサン様に同席を促される。少し戸惑いながらも、エルギル様のお隣にお邪魔させていただくことにした。


「いつも叔父の相手をしてくれてありがとうございます。気難しい上に面倒な人でしょう?」

「いえ、お優しい方ですよ」

「……驚いた。よほど気が長いのか、懐が深いのか。家にいた頃はですね、叔父の長話に付き合わされるのが苦痛で仕方なかったものですよ」

「貴様……人がせっかく時間を取ってやったのに、そのように思っていたのか」


 じろりと睨み付けるエルギル様を飄々と受け流すネイサン様。なるほど、確かにこれは大物になりそうだ。


「……それで、君はブラウンと何を話していたのだ」

「僕と話をしているのに心ここにあらずだと思ったら。嫉妬ですか、叔父さん。みっともないですよ」

「断じて違う。ただあいつは女癖が悪かった過去があるからな。よからぬ虫が寄ってきたのではないかとだな」

「あら、誤解をさせてはリッキー様に申し訳が立ちませんわ。……蒸気船の話をしていたのですよ」


 海を渡り、大陸を横断する蒸気船。これが発明されたことによりこれまでの船旅にかかる時間が大幅に短縮され、大規模な輸送も容易になったと聞いていた。興味がないわけではないけれど……。


「——なるほどな。私からよく言い聞かせておこう。ランタナ。君は何も気にする必要はない」

「閣下。私はまだ何も言っていません」

「あいつの魂胆など容易に想像がつく。おおかた、無駄にたくさんいる息子のどれかに君をあてがいたいのだろう」

「ブラウン家なら水軍にも陸軍にも顔が利く。いい話じゃないですか、ねぇ、ランタナさん?」


 にこりと微笑みかけられて、私も笑顔を取り繕った。


「まだ研修中の身ですから、長くここを離れることはできないんですよ」


 先ほど思いついた断り文句を口にして。


「ああ、なるほど。それならブラウン様の顔も潰さなくて済むいい言い訳だ。いいですね。そういう小賢しいところ、僕は嫌いじゃないですよ」

「……失礼。こやつは社交というものが分かっておらんでな」

「ふふ……これからはそういう時代になるのですね、きっと」

「まだそこまではいくまい。出世するにはもう少し揉まれる必要があるだろう。それか……そうだな。支えがあればよいかもしれん。家庭を持てば自覚も芽生えるか」

「……」


 エルギル様の言わんとすることが直ぐに分かってしまって、自分でも不思議なくらいに動揺しているのが分かった。

 ちくりと胸が痛んだのは何故かしら。

 私はいつものように、上手に笑えているかしら?


「……すみませんね、ランタナさん。人の気持ちに疎いのはストラウス家の特徴なんですよ」

「いえ、とんでもございません。楽しい時間をありがとうございます。これ以上おふたりのお邪魔をするわけにはまいりませんから、今日はこれにて失礼いたしますね。ネイサン様。またお越しの際はぜひお声がけくださいませ」


 声は震えていなかったかしら。いつもと違うところはなかったかしら。

 そんなことばかり気にして、私は逃げるようにラウンジへと戻る。どこか気の毒そうに投げかけられた視線を背中に受けながら。


 

 何事も無かったように振る舞ってはいたけれども。

 心がざわつく出来事というものは、続くもののようで——。


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