36 感動してしまった!
窓の隙間から感じる暖かい春風。自然の光が差し込む神聖な空間。
そして、全てを忘れさせる壮大な音色。
葵とグランドピアノが奏でる美しく壮麗な響きは百合の心の隅まで伝わり、彼女の心を容易く感動させた。
一曲弾き終える頃には百合はとっくに涙を流していて、葵のピアノに心酔していた。
「ありがとうございました」
上品に、そして堂々と一礼する彼女。しかし直後にいつものような綺麗な笑みを浮かべ、優しくハンカチを渡してくれた。
「ふふ、私の演奏に感動しちゃいましたか?」
「うん…。本当に上手だね…」
「一応コンクールで金賞を取ったこともありますからね。腕には自信があります!」
謎に筋肉アピールをしてくる。しかし自慢したくなるのも頷けるほどに彼女の実力は素晴らしく、素人の百合ですらその技量は一目瞭然だ。
しかし驚きなのは、彼女はもうピアノを辞めてしまっているということだ。詳しくないからわからないけど、これだけの実力があればプロにだってなれるんじゃないの?母親もプロのピアニストだって言ってたし。
(でも、もう辞めちゃったんだよね…。こんなにも上手なのに)
しかし葵にしかわからない苦悩があったのだろうと察し、その話題は避けることを選択した。
「やっぱ葵はすごいね。本当に格好良かったよ」
「そ、そうですか…?格好良かったですか…?」
「うん。思わず惚れちゃったよ」
「え??」
「ん?あれ?いや私__!!」
気づいた時にはもう手遅れだった。心の奥底から漏れ出した本音は、葵の乙女心を爆発させる起爆剤としては十分すぎるほどだった。
「そそそそんな風に思ってもらえるなんてとても光栄ですっ…!!!私はもうとっくに百合さんに惚れているのでこのまま付き合いましょう!!ね!?」
「いやちょ__!?勝手に話進めないで!?」
「百合さんがいけないんですよ??せっかく我慢していたのにこんなこと言われたら抑えきれなくなっちゃいますよ…!」
露骨に距離を近づけてきて、そのままの勢いで顔面を至近距離まで持ってきた。このままでは大事なファーストキスを奪われてしまうことになる。
危険を察知した百合は咄嗟に手で彼女の身体を退けようとするが、想像以上に力が強くて引き剥がせない。
「本当に待っっ…てか力強!?その力はどっから来るの…!?」
「百合さんを思う気持ちでしょうか?ふふ、なら私は百合さんを無理やりにでも自分のものにできちゃいますね♡」
「それはご勘弁をぉぉぉ!!!」
百合の叫びも虚しく、葵の唇が百合に触れた。
しかしそれは唇に対してではなく、頬に対してだった。
「流石に無理やりキスしたりしませんよ。私のことどれだけ強欲な女だと思ってるんですか?」
小悪魔な笑みを浮かべつつ、意地悪な質問をしてくる。そんな表情もまだ可愛くてついドキドキしてしまうが、それよりも早くこの距離感をどうにかしないと。
「そ、ソンナニダヨ…?…てか早く離れて!!」
「えぇ…。私はもっと百合さんとイチャイチャしたいです…」
「もう十分したでしょ!?」
「まだ足りません」
「やっぱ強欲じゃん!?」
百合の感性では頬にキスしただけでも十分なイチャイチャにあたる。なのでこれ以上のスキンシップは恋人になってからでないと認められず、彼女のことを少しだけ拒む。
「仕方ないじゃないですか。百合さんが可愛いのが悪いです」
「もうわかったからとりあえず離れてよ!!あ、そうだ!!私にピアノ教えて!ね!!」
「…わかりました。デートは始まったばかりですからまだまだチャンスはありますしね」
「それは違ぁぁうっ!!」
相変わらず走り出したら全く止まらない子だ。しかも家で二人きりということも相まってよりブーストがかかってるし。
(私もこのまま耐えられるのかな…そのうち食べられちゃったりしない…?)
今にでも食べられそうなため、ピアノを弾きながらでもちゃんと警戒するようにする。
という感じで百合はピアノの練習を始め、葵から色んなご指導を受け始めた。
そして数分経った頃、百合はあることに気がついた。
「だから近いってぇぇぇ!!!」
およそピアノを教えるのには不要な距離感で、身体を押し付けてきていた。




