第94章 : 進展
空がまだ明けきらぬうちから、レナは目を覚ましていた。その口元には柔らかな微笑みが絶えず浮かんでいる。朝の食料の準備を手伝うレナを見て、アイリンは乾き肉を切る手をふと止め、怪しむような視線を友人に向けた。
「今日はなんだか特別にご機嫌ね、レナちゃん」アイリンは意味ありげな笑みを浮かべながらからかった。「みんなが寝た後に、何かいいことでもあったのかしら?」
レナは一瞬動きを止め、両頬をすっと朱に染めた。しかし、すぐに冷静さを取り戻し、平然とした声で答えた。「別に何でもないわ。ただ、いつもより熟睡できただけよ」
「へぇ~、そうなの~?」アイリンはすべてを見透かしたようにニヤリと笑ったが、それ以上は追求しなかった。見回りを終えたミライが、いつも通りの静かな佇まいで陣地に戻ってきたからだ。
それと同時に、シオリが剣を手にテントから出てきた。昨日に比べて、明らかに気持ちの切り替えと集中力が増している。彼女はまっすぐな眼差しでレナのもとへと歩み寄った。
「レナ様……今日の朝稽古、準備できています!」シオリは力強く言った。
レナは愛おしそうに微笑んだ。「準備ができているなら、始めましょう。今日はカウンターの速度を上げるために『緩急の切り替え』を練習するわよ」
出発前の1時間、シオリは猛特訓に打ち込んだ。石畳の地面に何度も倒れ込みながらも、立ち上がるたびに彼女の剣の構えと重心移動は滑らかさを増していった。遠くから見守っていたミライでさえ、少女の驚異的な吸収力には小さく頷かざるを得なかった。
一行が再び旅立つ頃には、道は「第二の谷」へと差し掛かっていた。そこはこれまで以上に急勾配で狭く, 両脇には頂の見えない断崖絶壁がそびえ立っている。
「この谷を抜ければ、西部国境の低地地帯に入るわ」ミライが先頭を進みながら告げた。「だが、気を引き締めろ。ここはもっとも伏兵の奇襲を受けやすいポイントだ」
「その点ならご心配なく」シオリは剣の柄を強く握りしめ、両脇を固めるレナとアイリンを見つめた。「もし伏兵や『七つの大罪評議会』の奴らがまた現れたとしても……今度はただ守られているだけの私ではありません!」
かつてその瞳にあった恐れは消え去り、今のシオリは揺るぎない闘志と自信に満ちあふれていた。4人の旅路は、第二の谷の深部へとさらに進んでいく。
冷たい風が狭い谷間を吹き抜け、気味の悪い唸り声を響かせていた。谷の奥深く進むにつれ、漂う混沌の気配と砕けた小石の音が緊迫感を高めていく。
ズシン……ズシン……ズシン……
重々しい足音が岩壁にこだました。ミライが即座に手を挙げて停止の指示を出す。全員が瞬時に武器を構えた。
曲がり角の先から、巨大な魔獣が3体、地響きを立てて姿を現した。それは鋼鉄のごとき頑強な外皮を持つ上級魔獣「ガーゴイル岩石」だった。真紅に染まった瞳は狂気に満ち、その胸元には「7」の数字を模した紋章が黒と紫の禍々しい光を放っている!
「大罪の力で制御されているわ!」アイリンが叫ぶように警告した。「あの刻印のせいで狂乱状態になっていて、痛みを感じなくなっているのよ!」
「左右の2体は私とレナで引き受ける」ミライが素早く指示を下し、シオリへと視線を向けた。「中央の1体……シオリ、いけるか?」
シオリはひるむことなくミライの視線を受け止めた。不安は消え去り、決意がその瞳に宿っている。深く息を吸い込み、剣を強く握り直した。「いけます!」
「今朝練習したことを忘れないでね、シオリちゃん」レナが小さく微笑むと、彼女とミライの身体は雷光のごとき速さで左右のガーゴイルへ飛びかかっていった。
中央のガーゴイルが轟音とともに咆哮し、巨岩のような爪をシオリが立っていた場所へ振り下ろした!
ドカン!
岩くずが飛び散る中、シオリはレナの教え通り、重心を滑らかに移動させて難なく攻撃を回避した。力を抜きながら体を捻り、魔獣の懐へ向けて剣を振り抜く。
キンッ!
厚い岩の皮膚に刃が弾かれ、激しい火花が散ったものの、深い傷を負わせるには至らない。ガーゴイルは怒り狂い、その巨大な岩の尾を高速で振り払ってきた!
(昔の私なら、動転して避けられなかった……でも、今の私なら力の流れが見える!)
シオリは足首に力を込め、体を低く沈めて間一髪で尻尾をかわした。集中的な精神を研ぎ澄ませ、体内に眠る温かく清らかな魔力を呼び醒ます。
「解放……!」シオリは低く呟いた。
純白と黄金の眩い光が剣身を覆い尽くした。溢れ出た聖なるオーラが魔獣の闇の力を打ち消し、胸元の「7」の刻印に亀裂を生じさせ、悲鳴を上げさせた!
シオリは全身の力を軸へと集中させ、最大速度で踏み込んだ。光を纏った刃が、ガーゴイルの胸元にある刻印の中心目がけて正確無比に突き刺さる!
ズドンッ!
聖なる光が分厚い岩肌を穿ち、黒い魔術刻印を粉々に砕いた。ガーゴイル岩石は最後の咆哮を上げると、ただの崩れた石塊へと姿を変え、地表へと崩れ落ちた。
少女は間合いを取って身構え、軽く息を荒らげた。シオリは己の手と剣を見つめた。自らの力だけで、あの上級魔獣を撃パーしたのだ。
両脇のガーゴイルを片付けたレナとミライが、感嘆の表情で振り返った。アイリンは口笛を吹きながらパチパチと拍手を送る。
「見事よ、シオリちゃん」レナは歩み寄り、誇らしげに少女の肩を叩いた。「重心のコントロールも、魔力の連動も……完璧だったわ」
「ありがとうございます、レナ様……皆さん」シオリは晴れやかな笑顔を返した。
ミライは崩れ去った石塊を見下ろし、静かだが確信に満ちた声で言った。「敵がこうして試すような刺客を増やしてきたということは、私たちの進んでいる道が正しいという証拠だ……急いでこの谷を抜けよう。出口はもう近いはずだ」
この谷の様相は、それまでの区間とは明らかに異なっていた。天を衝くような黒ずんだ岩壁は鬱蒼とした蔦に覆われ、壁面のところどころには、淡いエレメントのオーラを放つ古代の刻印がうっすらと刻まれている。
「ここから先は『千の刻印の峡谷』だ」ミライが狭い峡谷の入口で足を止め、注意を促した。「これらの刻印は大陸移動の時代から存在する自然の防衛結界だ。視界を惑わせ、知覚を狂わせる効果がある。正しいルートを進まなければ、何日も迷い続けることになるぞ」
「商売あがったりね……」アイリンが通信端末を確認し、眉をひそめた。「外部ネットワークからの魔法信号が完全に遮断されたわ。この谷の障害電波が強力すぎるみたい」
レナはシオリの隣に並び、長刀の柄を軽く握り直した。「気を引き締めようね、シオリちゃん。こういう通信障害の場所こそ、奇襲や『七つの大罪評議会』が仕掛けてくるのに絶好のポイントよ」
「はい!」シオリは気を引き締め、昨夜教わった通りに魔力を一定の周期で巡らせた。研ぎ澄まされた彼女の感覚は、岩壁を伝う風や微かな魔力の揺らぎさえも捉えていた。
4人は一列になって狭く長い峡谷へと足を踏み入れた。足音が岩肌に反響し、周囲は不気味なほど静まり返っている。野生動物の気配はなく、ただ風が岩の隙間を通り抜ける囁きのような音だけが響いていた。
2時間ほど進むと、道は谷の中央にある開けた岩場へと下っていた。しかし、ミライが突如として足を止め、警戒レベル最大のサインを出した!
カチッ……
開けた岩場の中央に、黒いローブを纏った2つの人影が待ち構えていたのだ! 胸元に刻まれた「7」の数字の刻印が禍々しい紫黒の光を放ち、周囲の空間を押し潰すような圧迫感を醸し出している。
「導き通り、実によく来てくれたな……」黒いフードの奥から、かすれた冷ややかな声が漏れ出た。「『功徳』の保持者……そして『影なき月』の面々よ」
シオリは躊躇なく剣を抜き放った。本能に従い、純白と黄金の光が刃を包み込む。目の前の敵を見つめる少女の瞳には、一切の迷いも恐れもなかった。
「この谷を抜ければ、アタナシアスだ……」ミライが一歩前へ踏み出し、鋭い眼差しで敵を睨みつけた。「そして、私たちはここで立ち止まるつもりなど毛頭ない!」




