第85章 茨の冠の没落
「ハハハハハ! 見たか、お前たち!? これぞ神が私に賜った偉大な力だ!」
漆黒の血管が全身に浮き上がり、瞳を血のように赤く染めた聖なる神官は、狂気じみた声を響かせながら宙に浮遊していた。
「お前たちなど、世界の真理に抗おうとするただの虫ケラに過ぎん!」
眼下で身構えるミライ、レナ、アイリンの三人。能力者としてのトップクラスの連携であるはずが、かつてないほど絶望的な状況に追い込まれていた。
「行くわよ!」
アイリンが先陣を切った。音速の跳躍と同時に右手で空間の次元を切り裂き、聖なる神官の neck を即座に刈り取ろうとする。レナは即死の魔導を刻んだ短剣を放ち、その心臓を射抜く軌道を描く。そしてミライは正面から一瞬で距離を詰め、一撃で制圧すべく突進した。
だが——予期せぬ事態が起こる!
彼ら三人が速度を上げて前方へ突進すればするほど、聖なる神官との「物理的な距離」が絶望的に広がっていくのだ。
「なっ……何ですって!?」
アイリンは目を見開いた。彼女が開いたはずの次元の裂け目が、途中で亀裂を生み、空中へ霧散していく。
限界まで歩法を加速させながらも、聖なる神官の姿がどんどん遠ざかり、豆粒のように小さくなっていく光景に、アイリンは焦燥を隠せない声を張り上げた。
「聖なる神官ミッチーの奴、こんな危険すぎる力を手に入れたっていうの!?」
ミライは足を止め、鋭い眼差しで空を見上げた。
「僕の推測が正しければ……『野望の罪』の能力は、到達したいという意図に応じて距離の概念そのものを歪めることだ。手を伸ばしても届かない『叶わぬ野望』として距離を変換している。僕たちが近づこうとすればするほど、空間が僕たちを突き放すんだ」
彼らが態勢を立て直す隙すら与えず、聖なる神官は漆黒の爪を天へと掲げた。
「怨嗟の底へと沈むがいい!」
ドドドドドーーーーン!
天空から数百条もの巨大な闇の爪が降り注ぎ、三人が立つ大地を徹底的に穿ち始めた。ミライたちは反撃のために近づくことすら叶わず、一方的な猛攻に晒され続ける。
ドカン! ガン! ズドン!
アイリンは次元の防壁を展開して必死に耐えるが、凄まじい衝撃波に追いつめられ、口から鮮血を吐き出して岩肌へと吹き飛ばされた。ミライもまた、雨のように降り注ぐ闇の連撃を回避するので手一杯だった。
「ハハハハハ! 潰れろ! お前たちが私に触れることなど、二度とできん!」
聖なる神官の高笑いが響き渡り、山頂はさながら地上に現れた地獄絵図と化していた。
裂けそうな次元壁の陰で、アイリンは唇の端から血を流しながら、遠くで嘲笑う聖なる神官を睨みつけた。
「ミライ様……アイリン姉様……下がってください」
レナが静かに、しかし決定的な覚悟を込めて呟いた。
「レナ! まさかあなた、それを……!?」
アイリンが傷口を押さえながら叫ぶが、レナは静かに eyelids を閉じ、深く息を吸い込んだ。
【罪の特性解放:勤勉の罪】
「『勤勉』の力とは……未来の生涯において到達し得る、己の身体能力・潜在能力・技術の全盛期を、この一瞬へと凝縮して引き出すこと。思考速度および行動速度を極限まで加速させる!」
しかし、その代償は過酷を極める。
全盛期の負荷に耐えきれず、全身の魔力回路と筋繊維が激しく断裂。たった数秒の行使で、命の薪である寿命と霊気が数十年分も削り取られていく。
シュカッ!
『野望の罪』が構築する絶対的な距離の法則も、極限に達したレナの思考と神速の前には意味をなさなかった。彼女の姿は黄金の光粒子へと昇華し、歪んだ空間を容易く穿って消失する。
「な、なに——!?」
聖なる神官の嘲笑が凍りついた。
ガシッ!
次の瞬間、ミッチーの目の前で光粒子が再収束した。レナの右手は空気を切り裂き、聖なる神官の首元を寸分の狂いもなく深々と締め上げる。『勤勉の罪』が放つ威圧が、ミッチーの罪の法則を一瞬で完全に停止させた!
目の前に迫るレナの橙色に燃え上がる瞳を前に、ミッチーは極限の驚愕と恐怖に顔を歪ませた。
だが、レナがその首を噛み砕く間もなく、全盛期の力を前借りした過酷な反動が彼女の肉体を襲った。口と目から鮮血が噴き出し、二つの罪の波動が衝突した反動によって、彼女の体は再び光の粒子へと分解され、山頂から遥か遠くへと跳躍・消失してしまった……。
シュン……!
次の瞬間、レナの体は王国から数百キロメートルも離れた、荒涼とした国境地帯の地表へと打ち付けられた。彼女は意識を失ったまま横たわり、全身の傷口から血を流し、その霊気は痛々しいほど弱まり切っていた。
——山頂。
ミッチーは、レナの指形と橙色の焼けた痕が深く残る自分の首を両手で押さえ、痛みのあまりガタガタと震えていた。レナが消え去った後も、その首に残る焦燥と激痛は消えていなかった。




