第82章 : 真の名
深い森に佇む木造の小屋は、深夜の静寂に包まれていた。風が木の葉を揺らす音が、ベッドの上で疲労のあまり深く眠り込んでいるしおりの、規則的な寝息をかき消すように響いている。
ライアンの姿をした男は、深い眠りに落ちている少女をしばらくの間見つめていた。その瞳は静まり返り、彼女が親しみを抱いていた「優しい薬師」の面影は微塵もない。彼は足音を一切立てることなく、静かに扉の方へと後ずさった。彼女がこの後の出来事に気付いて目を覚ますことが絶対にないよう、細心の注意を払って。
小屋の敷地を抜け、暗闇に包まれた森の中の開けた場所へと深く足を踏み入れると、周囲の空気が一変した。清涼だった空気が、突如として凍てつくような寒さへと変わる。
フッ……フッ……
無数の濃い色の長衣を纏った影が、暗闇の中から音もなく現れた。彼らは開けた場所を取り囲むように整列し、全員が片膝をついて深く頭を下げた。目の前に立つ男に対し、最上級の敬意を示すために。
長衣の集団の中から、一人の女性が前に進み出た。美しくも毅然とした笑みを浮かべたレナは、軽く身を屈めてから恭しい声で口を開いた。
「ミライ様……すべての準備が整いました」
村人たちやしおりが「ライアン」として知るその男は、手を伸ばして自分の頭の髪に触れ……そして、それをゆっくりと慎重に引き抜いた。元の短い色の髪は、彼の真の姿を隠すためのただのウィッグだったのだ。本来の髪が夜風に揺れる。その体から圧倒的で深淵な威光が放たれ、長衣の者たちはさらに深く顔を伏せた。
「はぁ……帽子とウィッグをずっと被りっぱなしなのは、息苦しくて仕方ないな」
頭上の太い枝から、澄んだ笑い声が響いた。アイリンのしなやかな体が枝から飛び降り、ふわりと音もなく着地する。彼女は彼の手にあるウィッグを横目で見ると、からかうような遊び心のある笑みを浮かべた。
「あらあら、『ライアン』なんていう心優しい薬師の名前……あなたにもよくお似合いでしたわよ、『ミライ様』。それとも、昔の名前で呼んだ方がよろしくて? とっても徳の高い薬師様に聞こえますわよ〜」
ミライは少し呆れたような視線をアイリンに向け、長くため息をついた。
「もういい。お前に様付けで呼ばれると、何か悪いことが起きそうな気がしてならない……。まあいい、帝都の様子はどうなっている?」
アイリンの表情は瞬時に真剣なものへと変わった。彼女は調査で得た情報をハキハキとした声で報告する。
「国王が動きましたわ、ミライ様……。あの雑兵どもが逃げ帰った後、国王は『聖なる神官』が自ら出向くことを許可しました。おまけに、専属の『影の近衛兵』まで支援に向かわせたようです。あの程度の戦力で、すべてを片付けられるとでも思っているのでしょうね」
「聖なる神官と影の近衛兵か……」ミライは一人呟き、帝都のある暗闇の方向を見つめた。
「奴らがこの森の領域に近づく前に、私たちが迎撃して殲滅いたしましょうか?」レナが冷ややかな声で尋ねた。彼女はいつでも命令に従う準備ができている。
「いや、まだいい」ミライは細く長い指で髪を払いながら、淡々と答えた。「奴らには攻め込ませておけ……。国王は自分の権力に自信を持ちすぎている。この世界がまだ自分と、あの聖なる神官を中心に回っていると思い込んでいるようだからな」
彼は遠く離れた、しおりが眠る小屋の方へ視線を戻し、口元に深淵な笑みを浮かべた。
「この機会に、帝国に思い知らせてやろう……。奴らが飲み込もうとしている駒は、もはや奴らには絶対に触れることのできない存在だということをな」
ミライが歩き出そうとする直前、アイリンが彼を呼び止め、事実を告げた。
「そのことなんですが……実は私、少し前に指示を出して、影の近衛兵たちをすでに始末してしまいましたの」
ミライは多くを語らず、「問題ない」とだけ言い残し、その場を歩き去っていった。
二時間前。
夜の暗闇の中、冷たく輝く半月の光の下で。
帝都の中心にそびえる神聖なる教会。静まり返り、濃密な魔力の気配に満ちたその場所で、純白の法衣を纏った「聖なる神官」が、帝都の景色を見下ろす大きな窓の前に立っていた。彼の手には、国王からの絶対的な勅命が記された黄金の書状が握られている。
彼は報告書の内容をゆっくりと読み終えると、羊皮紙を巻き直し、袖の中に収めた。彫刻のように美しい彼の顔に、底知れぬ企みに満ちた笑みが浮かぶ。
「私の独断での行動を許可し……さらに影の近衛兵を支援につける、だと?」聖なる神官は小さく一人呟いた。その声は平坦だったが、どこか嘲笑うような響きを含んでいた。
彼の深淵な瞳は、薬師の小屋が隠されている西の森の暗闇に向けられた。
「国王陛下……。あなたは自分が、この盤上のすべての駒を操っているとでもお思いですか?」彼の笑みが少しだけ深くなる。「あなたはしおりを捕らえ、ライアンを始末するために影の近衛兵を送った……。しかし、私の標的はそのどちらでもありません」
「あなたの影の近衛兵には、私のための囮として働いてもらいましょうか……」聖なる神官は喉の奥で低く笑った。そして彼の体は、冷たく神秘的な気配だけを残して、徐々に虚空へと消え去っていった。
国王の影の近衛兵。暗殺と闇に紛れる動きに特化した特殊部隊が、絶対の命令に従って行動を開始した。彼らは風のように高速で移動し、高位の魔法を駆使して気配を殺し、音も、痕跡も、殺気すらも完全に消し去っていた。簡単には感知されないために。
彼らは小規模なグループに分かれ、西の森をあらゆる方向から完全に包囲した。深夜の間にしおりを静かに奪い去る計画だった。
しかし、一人の影の近衛兵が森の奥深くへと足を踏み入れようとした、その時……。
フッ!
突如として、漆黒の長衣を纏った影が彼の目の前に前触れもなく姿を現した!
影の近衛兵は驚愕して動きを止めた。直前まで、何の気配も動きの痕跡も全く感じ取れなかったのだ! 彼は攻撃するために短剣を抜こうとしたが、自分の体がピクリとも動かせないことに気付いた。
チャリン……。
影の近衛兵の手から短剣が滑り落ちた。
彼の周囲には、暗闇から音もなく現れた大勢の黒衣の者たちが立っていた。彼らは完璧な陣形で、すべての影の近衛兵のグループを完全に包囲していたのだ!
「ここは……お前たちのような者が足を踏み入れていい場所ではない」
影の近衛兵の目の前に立つ黒衣の一人から、平坦だが圧倒的な重圧を伴う声が響いた。
影の近衛兵は何かを言おうとしたが、自分の口が目に見えないエネルギーによって封じられていることに気付いた。
「ミライ様はこう命じられた……。何人たりとも、あの少女の平穏を乱すことは許さない、と」黒衣を纏ったレナが前に進み出た。彼女の目は氷のように冷たく、いつでも命を奪う準備ができている。「そしてお前たちは……盤上から排除される、最初の駒だ」
目に見えない戦場で、神秘的で音のない対峙が始まった。最強の暗殺者と謳われた国王の影の近衛兵たちは、より強力で謎に包まれた黒衣の者たちの手によって、無惨にも足止めされ、完全に制圧されてしまったのだった!




