第79章 : 路地裏の声
ちょっとお知らせです!
プラットフォームの規約に少し(というか結構ガッツリ)引っかかってしまうため、最後の2段落をカットしました。
ここを飛ばしても本編のストーリーには全く影響しないのでご安心ください!
でも、「細かいところまで全部知りたい!」「カットされた部分が気になる!」という方のために、別ファイルを用意しておきました。そちらから読んでみてくださいね。
※あらかじめ言っておきますが、R-18(性描写あり)なのでご注意ください!
https://docs.google.com/document/d/1y5IlZL8Tv6oU-BU-SLwGnXyh8qcIcQI5dd-q5wf_SP4/edit?usp=drivesdk
市場での手伝いの帰り道、しおりは狭い路地を歩いていた。ふと、死角から奇妙な話し声がくぐもって聞こえてきた。不審に思った彼女は足を止め、そっと足音を忍ばせて様子を窺いに行った。
古い木造の建物の角から覗き込むと、そこにはしなやかな体つきの若い女が、複数の男たちに囲まれながらも静かに佇んでいる姿があった。
女は漆黒のノースリーブドレスを身に纏い、そこにはラベンダー色の百合の花が精巧に刺繍されていた。艶やかな黒髪が長く背中に流れ落ちている。ルビーのように赤く輝く瞳は静まり返り、パニックを起こす様子は微塵もない。右耳の上には、特徴的な黒い百合の花飾りが添えられていた。
男たちは距離を詰め、その瞳には露骨な渇望と欲望の色が浮かんでいた。一人の男の太い手が、馴れ馴れしくドレスから覗く素肌の背中へと伸びる。一方、別の男の荒れた手のひらが、細く美しい脚を這うように撫で上げる。アイリンはただ黙って立ち尽くし、すべてを制圧するかのような静かな瞳でその行為を見つめていた。抵抗するわけでも、助けを求めるわけでもない。薄暗い路地裏には、ただ男たちの荒い息遣いだけが徐々に深くなり、脅威を増して響いていた。
その光景を目の当たりにしたしおりは、すぐさま後ずさりした。熱を帯びた息苦しい空気に当てられ、当人たち以外には関係のなさそうなこの状況に、自ら巻き込まれたくはなかったのだ。
「アイリンの質問に……答えてもらえませんか」
甘く柔らかな、しかしどこか深刻な響きを帯びた声が、微かに静寂を縫って届いた。それは暗がりで繰り広げられる官能的な物音の中に混じっていた。
しおりは咄嗟に足を止めた……。今耳にしたその名は、彼女の記憶に深く刻み込まれていた。アイリン……。
前の村に住んでいた頃、Eranis Generation の放送でその名前を耳にしたことがあった。「影なき月」という組織のメンバーの一人であり、Generation Alpha として称賛され、名を馳せる存在。
(あの女の人……本当にあのアイリンなの……?)
しおりは少しの間ためらった。心の奥底では何が起きているのか知りたいという好奇心が湧き上がったが、もう一方の理性が、まだ傷の癒えきっていない自分が介入すべき事態ではないと警告を発していた。特に、その場の空気は関係者全員の合意と情欲に基づいているように見えたからだ。
彼女は決心し、足音を立てずにその狭い路地から離れた。もう二度と振り返ることなく、あの丸太小屋の温もりへと向かって歩き出した。
森を抜ける道すがら、しおりは先ほどの光景を思い返していた。エンデリアンの番組についての記憶が頭の中に爆発するように蘇る。輝くスターとして持て囃されていたエゼキエルやセネスティアの姿……。
(もし、あんな雲の上の存在の人たちが、まだこの世界のどこかを巡っているのだとしたら……)彼女は心の中で呟いた。(この世界は……私が想像していたよりも、ずっとずっと広いんだわ)
小屋に戻ると、しおりはいつものように扉の前の丸太に腰を下ろした。オレンジ色から群青色へと変わり始める夕空をぼんやりと見つめる。アイリンについての思考が、まだ頭の中で堂々巡りをしていた。
最初の村にやって来てから丸一年が経ち、ライアンを狂ったように殺しかけたあの夜から、ちょうど一ヶ月が過ぎていた。体はほぼ完全に回復したが、未来に対する疑問の結び目はまだ解けず、明確な答えは見つからないままだ。
「私……本当にこのまま、ずっと隠れて生きていくのかな……」
ライアンが小屋から出てきて、彼女の隣に腰を下ろした。彼女の顔に浮かぶ普段とは違う物思いの表情に気づく。「何を考えているんですか?」
「ただ……これから先、どうすればいいのかなって」しおりは初めて正直に答えた。「このままここに住み続けるべきなのか、それとも……もっと別の何かのために踏み出すべきなのか」
ライアンは真剣に耳を傾け、急いで何かを誘導しようとはしなかった。「それで……あなた自身はどう思っているんですか?」
しおりは長い間、深い沈黙に包まれた。「私にも……本当に分からないんです」彼女は素直に認めた。「置き去りにしてきた過去がある……かつて知っていた人たちがいる。でも、今の私にはまだ、もう一度それに立ち向かう覚悟ができていない……」
彼女は両手を顔の前に掲げてじっと見つめた。過去に二度、自分の中から噴出した謎の力の状態を思い返す。それは検査の儀式と、アイリスとの激闘の時のことだ。
「それに、私の中には……私自身にも理解できない何かがあるんです」彼女は声を落として続けた。「私が絶望の淵に沈んだ時にいつも溢れ出す……得体の知れない暗い力が」
ライアンはその一言一句に耳を澄まし、やがて温かく誠実な低い声で口を開いた。「もしかしたら……今はまだ、急いで答えを見つける必要はないのかもしれませんね」
「でも、考えるのを完全にやめなければいけないというわけでもありません」彼は言葉を継いだ。「少しずつ、ゆっくりと考えを深めていけばいい。心が整ったその日には……答えは自然と浮き彫りになってくるはずです」
しおりはゆっくりと頷いた。その言葉によって、胸を締め付けていた重い鎖が少しだけ軽くなるのを感じた。
深夜の冷気が、丸太小屋全体を包み込み始めた。風に揺れる小さなランプの光が、もはや後退する隙間のない二つの影を照らし出す。ライアンはしおりを抱き上げ、狭いベッドへと導いた。かつて傷だらけだった体は、今や熱を帯び、生命力に満ち溢れている。
押し寄せる感情の波が徐々に静まり、規則的な呼吸と肌にきらめく汗の跡だけが残る。しおりはライアンの温かい胸に顔をうずめ、美しい瞳で窓の外に瞬く星をぼんやりと見つめていた。
(この世界は……この小さな村よりも、ずっとずっと広い……)
彼女はその思いを心に刻み込んだ。体は疲れていたが、慣れ親しんだ腕の中で心地よく解きほぐされていく。自分の中に芽生え始めた、新しい感覚に気づいていた。……それは、少しずつ湧き上がる、小さな好奇心。
(いつの日か……私自身で、その世界に触れるために歩み出さなければならないのかもしれない……)




