第72章 : 七日という月日
五日目
しおりは数日ぶりに、背中に冷や汗をかくこともなく静かな朝を迎えた。記憶の中にある死の光景は未だに夢の中でつきまとっていたが、その生々しさは前までの夜に比べて明らかに和らいでいる。
彼女は体を起こし、木枠の隙間から差し込む柔らかい朝日をしばらく見つめた後、声をかけられる前に自ら台所へ向かい、ライアンの湯沸かしや朝食の準備を手伝い始めた。
「今日は早いですね」
ライアンは薄い微笑みを浮かべて振り向いた。
「ただ、目が覚めちゃっただけです……」
短く返した声のトーンは、初日のように重く沈み込んではいなかった。
質素な朝食を終えた後、ライアンは回復しきっていない彼女の体に負担をかけないよう、小屋の近くにある森へ薬草摘みに誘った。
「道の脇に咲いている、この小さな紫の花は……何に使うんですか?」
しおりはしゃがみ込み、指をさして尋ねた。
「頭痛によく効くんですよ」
ライアンは腰を落とし、その花を摘んで背負い籠に入れながら答えた。
「乾燥させて、森の蜂蜜と一緒に煎じて飲むと効き目が早くなります」
しおりは彼の後に続き、同じ花を慎重に摘んでは自分の籠へと収めていった。自分自身への嫌悪感で震えていた細い指先は、少しずつ確かで安定した動きを取り戻しつつあった。
見知らぬ二人は、静寂の中で薬草を摘み続けた。初日のような緊迫感や恐怖に満ちた静けさではなく、穏やかで心地よい静寂が二人の間を包み込んでいた。
午後になり小屋へ戻ってくる頃には、しおりは身体的な疲労を感じていた。だがそれは、今まで彼女を縛り付けていた精神の摩耗とは違う、心地よい疲れだった。
小屋の扉の前にある丸太に腰を下ろし、オレンジ色から群青色へと移ろう空をぼんやりと眺める。ここ数日で初めて、心の中に小さな安らぎの雫が落ちるのを感じていた。
六日目
六日目の早朝、降りしきる雨の音が響いていた。終日小屋の中で過ごすことを余儀なくされた二人。ライアンは壊れた竹籠の修理に勤しみ、しおりは膝を抱えて木窓の外に広がる雨模様を眺めていた。
「退屈ですか?」
静寂を破り、ライアンが問いかけた。
「いいえ……」しおりは静かに答えた。「ただ、ちょっと考え事をしていて」
「どんなことを考えているんですか?」
ライアンは彼女を追い詰めないよう、慎重に尋ねた。
しおりは少し間を置いてから、ぽつりと呟いた。
「私……また『元の自分』に戻れるのかなって」
竹を編んでいたライアンの手が止まった。彼は視線を上げ、真剣な眼差しで彼女を見つめた。
「すべてが元の通り、というわけにはいかないかもしれませんね……」
彼は繕うことなく、直球で答えた。
「でも、それが必ずしも悪いことだとは限りません。ただ、違う形に変わっていくというだけのことかもしれないでしょう?」
しおりはその言葉を静かに受け止め、長い沈黙に落ちた。言葉こそ返さなかったが、屋根から滴り落ちる雨粒を見つめる瞳は、その答えを真剣に反芻していることを物語っていた。
屋根を叩く規則的な雨音が、静けさと共に彼女の心深くに染み渡っていく。
七日目
七日目の朝、空は雲一つなく澄み渡っていた。しおりは少しだけ違う感覚と共に目を覚ました。完璧な幸福感とは言えずとも、この場所で目覚めた初日のような、暗く冷たい虚無感はもうなかった。
彼女は一人で小屋の外へと踏み出した。温かな朝日に包まれながら、どこまでも続く緑の山々と森を見渡す。
自分の両手を持ち上げ、じっと見つめてみる。今度はもう震えていなかった。けれど、この手が刻みつけた記憶と悲劇が消えてなくなったわけではない。
(きっと、忘れることなんてできない……)
彼女は心の中で思った。
(でも……無理に忘れようとしなくてもいいのかもしれない。ただ前に進んで、この記憶と一緒に生きていく方法を見つければいいんだ)
小屋から出てきたライアンは、朝日に照らされて立つ彼女の姿を目にした。
「体調はどうですか?」
彼はいつものように、程よい距離感を保ちながら尋ねた。
「……まだ、すごく良いとは言えません」
しおりは素直に答え、彼の方へ振り返った。
「でも……前よりは、ずっと良くなりました」
ライアンは理解を示して深く頷き、余計な追及はせず、いつもの日課に戻っていった。
しおりはしばらく日光を浴びた後、ここ数日と同じように薬草摘みの手伝いをするため、ライアンの後を追った。
死の淵から目を覚ましたあの夜から、まる七日が過ぎ去った。崩れ去った魂が……再び蘇るとは、誰も思いもしなかったあの日から。




