↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

69/101

第69章 : 崩壊するもの

五感を覆っていた深い闇が、ゆっくりと薄れていく。重いまぶたの隙間から、薄ぼんやりとした光が差し込み、やがてキシリの意識は完全な覚醒へと引き戻された。


全身の細胞が焼けただれるような激痛が走る。だが、その痛みを乗り越えて意識が鮮明になるにつれ、傷口が綺麗に処置され、包帯できつく巻かれていることに気がついた。想像していたよりもずっと、体調の負荷は軽減されていた。


「あたし……まだ生きてるのか……?」


簡素な木のベッドの脇。使い古された粗末な麻布の衣服をまとい、日焼けした顔に深いしわと古い傷跡を刻んだ初老の男が、静かに椅子に座っていた。その手のひらは、長年の過酷な労働によって固く分厚く荒れている。


「目が覚めたか」


男は低く落ち着いた声で言った。


「森の奥で倒れていたところを拾ったんだ。瀕死の重傷だったから、もう助からないかと思ったが……よくぞ生き延びてくれた」


キシリは何も答えなかった。かつて鋭く輝いていた彼女の瞳は完全に虚ろであり、まるで感情を失った木偶人形のように男の顔を見つめるだけであった。


だが――彼女の脳内では、嵐のような狂気が荒れ狂っていた。


あのとき、木陰の裏で小さく身を縮こまらせて震えていた少年の姿……。


耳ではなく、魂の深淵で直接反響する、助けを求める悲鳴……。


村人たちが差し出してくれた、温かい水と素朴な食事の記憶……。


冷たく凍てついた地下牢の闇と、果てしなく続いた身体的苦痛の数々……。


そして、どんなときでも愛を注いでくれることのなかった、あの残酷な皇帝である父親の冷徹な眼差し……。


それらの惨劇が、まるで古びたレコードの針が同じ溝で引っかかったように、脳裏で激しく何度も何度も再生される。逃げることも、忘れることもできない。目を閉じても開けても、その残酷な幻影が消えることはなかった。


男は、彼女の異様なまでの虚ろな眼差しと、その背後にある深い混乱に気づいていた。彼は心配そうに、わずかに体を前に傾けた。


「どこか痛むのか……まだ傷が癒えきっていないところがあるなら……」


キシリは依然として無言のまま、一点を見つめたまま微動だにしない。


「つらかったろうな。お前がどんな恐ろしい目に遭ってきたのか、俺には想像もつかないが……」


男は優しい声色で、傷ついた少女の心を労わるように言った。


「だが、もう安心しなさい。ここは安全だ。もう誰も、お前を脅かすものなどいない」


「もう誰も――お前を傷つける者はいないんだ」


そう言って、男は温もりを伝えるために、その分厚く粗い手を彼女の肩へとそっと伸ばした。


――その瞬間。


ビュッ!


触れられるか触れまいかというほどのわずかな接触が、キシリの全身の神経にとって、高圧電流が直撃したかのような強烈な衝撃波となった!


ドオッ!


脳内で、暗黒の記憶が一斉に牙を剥いて爆発した! 鉄の鎖がキシリの四肢を縛りつける感覚、冷たい床を引きずり回される恐怖、果てしない暗闇の中で味わった絶望的な痛み……。


キシリの理性の糸は、その瞬間に完全に断ち切られた!


ガシッ!


野生の獣の本能がそのまま飛び出したかのように、キシリの両手が男の首筋へと襲いかかった! 瀕死の重傷を負っていたはずの肉体から、信じられないほどの怪力が絞り出され、十本の指が男の気道を締め上げる――容赦なく、さらに強く!


「がっ……なにを……!」


男は息を呑み、血走った目で苦悶の声を漏らした。必死に少女の手を引き剥がそうと両手を伸ばしたが、まるで鉄の万力に挟まれたかのように、その指一本すら緩ませることができない。


キシリの瞳は完全に虚ろだった。そこに殺意はなく、憎悪すらなかった。ただ、自分の手で首を絞めているその存在が「何者であるか」すら認識していない、完全に壊れた人形と化していた。


男の顔がみるみるうちに赤黒く変色していく。必死に空気を求めようとする喉の音が、小さく、そして弱々しくなっていく。


そしてその直後――!


キシリの魂の最も深い底で、何かが激しく軋み音を立てて引き戻された。


悪夢から無理やり現実へと引き剥がされるように、キシリの意識が急激に浮上する。彼女は目の前で起こっている光景をはっきりと捉えた――自分の両手が、まさに今、自分を救ってくれた恩人の首を絞め殺そうとしているその現実を!


ハッ……!


彼女は反射的に両手をパッと離し、恐怖に突き動かされるようにベッドから床へと転げ落ちた!


「ゴホッ……! ゲホッ、ハァーッ……!」


男はその場に崩れ落ち、荒い息を喉の奥から絞り出しながら激しくむせ返った。その首元には、生々しい黒紫色の手の跡がハッキリと刻まれている。


キシリは部屋の隅にうずくまり、自分の両手を信じられないものを見るかのように見つめた。その指はまだ小刻みに震えている。


「あたしは……あたしは……」


掠れた声で、どうにか絞り出すように呟いた。


「あたしは……また、人を……」


それから先の言葉を続けることはできなかった。自分自身に対する耐えがたい嫌悪感と吐き気が、のどの奥まで込み上げてきて、心臓が握り潰されるように痛む。


男が気管を抑えながら、心配そうに彼女へと這い寄ろうとしたその時、キシリは恐怖に満ちた声をあげてさらに壁際へと身を縮こまらせた。


「来るなっ……!」


その声は叫びというよりも、引き裂かれた悲鳴に近かった。彼女は両手で頭を抱え込み、自分自身の体を強く締め上げる。


「あたしに近づかないで……!」


頬を伝う涙がとめどなく流れ落ちる。恐怖、絶望、そして己の無力さと醜さに対する嫌悪が完全に溶け合い、彼女の心を粉々に打ち砕いていた。


「あたしは……誰一人として救えなかった……」


脳裏に、何度も同じ言葉が反響する。


「あの子供も守れなかった……村だって救えなかった……それなのに、今度は……今度はあたしを助けてくれた優しい人まで、この手で殺しかけた……」


彼女は自分の膝の間に顔をうずめ、暗闇の中で身悶えした。かつて高潔で誇り高かった王国の一人の少女の面影は、今や見る影もなく、ただ一つの壊れた殻だけが冷たい床の上に転がっていた。


「あたしなんか……最初から生きるべきじゃなかったんだ……誰の優しさも、誰の愛も受ける資格なんて、最初からないんだ……」


男はそれ以上近づくことができず、ただ立ち尽くしたまま、遠くで震える少女を痛ましい目で見つめることしかできなかった。彼女の心がどこまで墜ちていくのか、それを止める術を彼は持ち合わせてはいなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。