第67章 : 英雄の持つ三つの大罪
セレンティカ聖教会の巡礼団は、触手ウロコを持つ「守護者」との死闘の末、満身創痍の状態で撤退を余儀なくされていた。教団の神官たちの衣服はボロボロに引き裂かれ、多くの者が自力で歩くことすらできず、仲間に肩を貸されながら泥だらけの足を引きずっている。その先頭を歩くのは、敗北の屈辱を噛みしめる三人の「英雄」たちだった。彼らの顔には重い緊張の影が深く刻まれている。
「ここで一度足を止め、夜営とする……」
団長を務める老神官が、かすれ果てた疲弊した声で命じた。
「一刻も早く肉体の損傷を癒やし、魔力を回復させろ」
闇に覆われた夜の森の中に、わずかな暖を取るための焚き火の炎が赤々と揺らめく。その揺らめく光の向こう――。
シュウッ……。
音もなく、一人の女性が暗い天空から舞い降りた。彼女はまるで重力など存在しないかのように、音もなくキャンプの中央へとふわりと着地する。
「まさか、わざわざこんな面倒なところまで顔を出すハメになるなんてね」
冷たく、それでいて心臓の奥を凍らせるような平坦な声だった。妖しく輝く紫色の瞳が、まるで足元の虫けらを品定めするかのように、神官たちを冷ややかに見下ろす。
「あんたたちもさぁ……もう少し身の程を弁えたらどうなのよ。『サエラ封鎖領域』なんて、足を踏み入れていい場所じゃないってことくらい、頭が腐ってなけりゃ分かりそうなものだけどねぇ」
その言葉に反応し、三人の英雄たちが瞬時に立ち上がった。全身に負った無数の傷が激痛を訴えているにもかかわらず、聖なる武具を握りしめる彼らの手には、一歩も引かないという強烈な意志が込められていた。
一人目の英雄、エドリアン。短く刈り揃えられた濃い茶髪に、感情の読めない冷徹な灰色の瞳。山のように動じない厳格な雰囲気をまとい、金色の刺繍が施された白銀の鎧を身にまとっている。胸元には黄金の聖眼の紋章が誇らしげに輝いていた。
二人目の英雄、セレスティン。背中まで伸びる美しい黄金色の髪と、雲ひとつない青空のように澄み切った瞳。どんな絶望的な状況でも慈愛の笑みを絶やさない彼女は、純白の聖衣に黄金のリボンをまとった気高い姿だった。
三人目の英雄、バルナバス。苦労を重ねた白髪交じりの灰色髪に、歴戦の疲れを色濃く宿した深い茶色の瞳。歴戦の傷跡が刻まれたその顔には、数々の死線をくぐり抜けてきた者の重みが漂う。その体には、使い込まれた古式ゆかしい青銅の鎧が重々しく装着されていた。
「『Apaxaces』に等しき存在……白川美月」
エドリアンは、波立つことのない氷のような声で告げた。
「だが、我々にはこれ以上退く道など残されていない」
美月は冷ややかな、人を食ったような笑みを浮かべた。
「自分たちが一体どれほどデカい蜂の巣を突っついているのか、未だに分かっていないらしいね、脳みそまで筋肉でできてる連中は」
セレスティンが慈悲深い微笑みを崩さぬまま、一歩前に進み出た。
「聖なるセレンティカの名のもとに……いかなる代償を払おうとも、ここで貴女を止めてみせます!」
ドオオオオオオオオオッ!!
宣戦布告の余韻すら消えぬ間に、激突の爆音が闇を切り裂いた!
三人の英雄たちが一斉に三方向から跳ね起き、フルパワーの聖法気を纏った武器で同時に襲いかかる! だが――美月はその猛撃を、まるで子供の遊戯をかわすかのように軽やかにいなした。刃の軌道を紙一重でかわし、流れるような超高速の回し蹴りと反撃の掌底を叩き込む!
バキッ! ザシュッ……! ドオンッ!
エドリアンは凄まじい衝撃に吹き飛ばされ、巨大な幹を背中でへし折りながら地面に転がった! セレスティンは鮮血を吐きながら足元から崩れ落ち、バルナバスは必死に青銅の盾で受け止めようとしたものの、その重圧に耐え切れず鎧の各部が粉々にひび割れた。
「弱すぎでしょ、これじゃ話にならないね」
美月はふっと鼻で笑い、冷ややかに吐き捨てた。
「その程度のガラクタみたいな実力で、私を止められると本気で思ってたわけ?」
少し離れた場所で戦況を見守っていた団長の老神官が、絶望に満ちた声を張り上げた。
「『罪の顕現』を発動しろ! 急げ! もう他に手段はない!」
その指示を受け、三人の英雄たちは血の海からふらふらと立ち上がった。だが、その瞳に宿る光は、先ほどまでの人間らしい意志とは完全に異なっていた。
エドリアンがゆっくりと目を閉じる。そして再び開かれたその灰色の瞳は、もはや人間としての感情や精神の欠片すら残されていない、底知れぬ虚無へと変貌していた!
「大罪……『無関心』」
彼の口から発せられた声は、機械のように冷たく平板だった。
「すべての共感と、肉体的な苦痛の知覚を遮断する」
ドンッ!
エドリアンが凄まじい踏み込みで再び美月に肉薄する! 恐怖も、躊躇も、痛みの概念すれす捨て去った彼は、まるで自壊する機械人形のように容赦のない連撃を叩き込んだ。
彼の振るう剣が、美月の予測をわずかに外し、その右腕の皮膚を浅く切り裂く! 彼女の腕に、初めて赤い鮮血の筋が走った。
「へぇ……」
美月は自分の腕に刻まれた血の線に目をやり、初めてわずかに興味を惹かれたような光を瞳に宿した。
「……少しは歯応えが出てきたじゃない」
それに呼応するように、セレスティンもまた傷だらけの体を起こした。その青く澄んだ瞳は、狂気的なまでの純白の聖光に満たされている。
「大罪……『傲慢』」
彼女の声は神託のように高潔で、そしてどこか歪んでいた。
「私の掲げる正しさに背く者どもよ……この聖域において、生きる資格などあるはずがない!」
彼女の全身から純白の聖力が爆発的に膨れ上がり、スピード、一撃の重さ、そして破壊の魔力が跳ね上がる。自らの正義を疑うことを知らないその圧倒的な迷いのなさが、彼女の剣撃を極限まで尖らせていた。
ザシュッ!
セレスティンの放った聖なる刃が、美月の左肩を深く捉え、二つ目の浅い裂傷を刻み込んだ!
最後に、バルナバスが微動だにしない巨体を大地にしっかりと根付かせた。その濁った茶色の瞳は、すでに灰のように冷めきっている。
「大罪……『怠惰』」
重く響く低い声とともに、彼のスタンスは大地そのものと同化したかのように微動だにしなくなった。
周囲の空間に無数の古代文字が刻まれた重厚な防壁が幾重にも展開される。攻撃の速度や身軽さを捨て去った代わりに、あらゆる物理・魔法攻撃をその身に引き受け、無尽蔵に吸収する究極の「絶対防御」の城塞へと変貌を遂げた。
三人の英雄による、完璧なまでの連携陣形が完成した。
一切の痛みを無視して突撃し続けるエドリアン、自らの正当性を疑わず重撃を重ねるセレスティン、そしてすべての攻撃を受け止める要塞と化したバルナバス。
三つの大罪の力を解放した彼らの猛攻は、確実に美月の肉体に浅い傷を増やし続けていた。致命傷には程遠いものの、それは彼女の余裕を削るには十分すぎるほどのプレッシャーだった。
「いいよ、いいよ! もっと楽しませてみなさいよ!」
美月は不敵な笑みを浮かべ、その瞳に戦闘の悦楽を燃え上がらせる。
だが――『大罪』の力によって一時的にステータスを極限まで引き上げられたとはいえ、矮小な「人間」と、世界の本質に触れる『Apaxaces』の圧倒的な格の差は、いかなるイレギュラーな技をもってしても埋められない絶対の溝だった。
ドオオオオオオオオオッ!!
美月が本気の一撃を解き放った。
空間が歪み、凄まじい衝撃波が周囲の森を一瞬で更地へと変える。エドリアンは正面からの直撃を受け、数百メートル先の岩肌へと激突して沈黙した。セレスティンは圧倒的な風圧に叩きつけられ、全身の骨をきしませて地面に叩き落とされる。かろうじて踏みこたえていたバルナバスの「絶対防御」も、ついに耐え切れず青銅の鎧ごと粉々に粉砕された。
「はあ……まあ、今日はこれくらいで勘弁してあげることにするよ」
美月は軽く息を整え、地面に転がる三人の英雄を見下ろしながら冷ややかに告げた。彼女は自分の腕の傷を軽く払い、興味なげに視線を逸らす。
「今回はただの『忠告』だ。……だけど、もし次にあんたたちが懲りずにあの『サエラ』の領域に足を踏み入れようもんなら――その時は、こんな生ぬるい傷じゃ済まさないからね」
言い終えるやいなや、彼女の体は淡い光の粒子へと溶け込み、夜空の闇の中へと吸い込まれるように消えていった。
残されたのは、静まり返った血塗れのキャンプと、限界を超えた代償を払い、ただ荒い息を吐きながら地面に倒れ伏す三人の英雄たちの姿だけであった。




